首なし死体と「私」

庵字

首なし死体と「私」

 私は、ひとり、狭い部屋の中にいる。いや、正確には「ひとり」ではないかもしれない。私のそばには、物言わず床に横たわっている「同居人」がいる。が、もし、私の置かれたこの状況を他人が見たのであれば、やはり「ひとり」と称するかもしれない。

 なぜなら、「同居人」にはからだ。

 数センチの長さだけ残し、「同居人」の首はきれいに切断されている。切断面に向いた壁は、そこが本来はクリーム色の壁紙が貼られていたとは思えないほど、赤黒く乾いた血のりで染め上げられている。このおびただしい出血量から察するに、「同居人」は生きたまま首をはねられたのだと思う。恐ろしいことだ……。

 私は「同居人」のことを知らない。彼――体格から男性だと分かる――が身に着けている、慌てて着替えたかのように皺が寄っている鼠色のスウェットには全く見憶えがないし、何より「首」がないのだから、顔を拝することもかなわない。

 そう、「首」。彼の「首」は部屋のどこにもないのだ。彼をこんな目に遭わせた何者かが持ち去ったに違いない。何のために? そして、謎は他にもある。「私は、どうしてこんなところにいるのか?」

 最後の記憶を思い起こしてみる。

 大学の登山サークルに所属している私は、サークル仲間数名と一緒に雪山登山に出掛け、宿泊予定地である、山の中腹に建つ山荘にたどり着き、夕食を摂って自室に戻り、ベッドに入った……。

 そこまでだ。目が覚めると私は、首のない「同居人」と、この物置のような狭い空間を共有していたのだ。何者か――「同居人」の首をはねたのと同一人物だろうか?――によって、眠っているうちにここへ連れてこられたのか? 何のために?

 私の置かれた状況も謎だが……。やはり、このことが気になって仕方がない。私は、物言わぬ「同居人」を見やる。誰なんだ?

 登山の男性参加メンバーは皆、似たような体格、身長をしているため、体だけでは誰とも判別がつかない。考え込んでいた私は、頭を上げてもう一度首のない同居人に目をやった。どうしてだろう。不思議と、「恐ろしい」だとか「気持ち悪い」だとかいう感情は湧きあがってこない。この場から逃げ出したいとも思わない。それは、「彼」が私と親しい関係にある人物であり、見るも無残な死体と化しているとはいえ、無意識のうちに親近感を抱き続けているからなのだろうか? であれば、中学時代からの親友である剣屋つるぎやか? 男性メンバーは、私と剣屋の他には、繁海しげうみ松法まつのり若家わかいえと全部で五人いる。ここに、女性である宗乙むねおつ安立谷あだちだにを加えた、総勢七名が今回の登山参加者だ。死体となった人物の他に、この中にいるのか? 私をここに連れてきて、この「同居人」の首をはね、さらにその頭部を持ち去った「犯人」が……。犯人……。そうだ、「被害者」が「同居人」ひとりだけとは限らない。他に誰かが同じような目に……。それか、もしかしたら次にのは、私なのかもしれない……! そのために、私をこんなところに……?

 私は、明り取りというよりは、換気のためだけに空けられたような、鉄格子がはめ込まれた天井近くの小さな窓を見上げる。

 ――と、そこに。足音! そして声が聞こえた。私は耳を澄ます。だんだんと近づいてくる。足音は数名分。それに……次第に大きくなってくる、この声は……。

「剣屋……!」

 私は友の名を呟いた。確かに彼の声が聞こえる。近づいてくる。

「ここだ!」

 足音が止まり、いっそう張った剣屋の声がドア越しに響いた。直後、

「本当に……ここに……」

 あからさまに弱々しい声が続いた。この声は……繁海! 彼も無事なのか。

「開けるぞ……」

 意を決したような、剣屋の声。何人かが唾を飲み込む音が、ドア越しでも聞こえた気がした。

 古めかしく、しかし堅強そうな木製のドアが、ぎい、という軋む音を鳴らしながら、ゆっくりと引き開けられていく。まず、顔が見えたのは剣屋だった。

「……須之貝すのがい

 部屋を見るなり剣屋は、白い息を吐いて私の名を呼んだ。

「剣屋!」

 私も友の名を呼び返した。

「須之貝……」

 剣屋は、もう一度私の名を口にした。

 ――そうだ! 友との再会の喜びはいったん置いて私は、剣屋と一緒にいるメンバーの顔を確認していった。

 声が聞こえていた繁海の顔は、剣屋のすぐ後ろにあった。その横には、松法。剣屋を挟んで反対側には、宗乙と安立谷、二人の女性の顔が。

 ということは……。

「わ……若家なのか?」

 私は首のない同居人に視線を動かす。

「若家……」松法もその名を口にして、「お前、本当に……」悲痛に表情を歪めた。

 痛いほど理解できる。まさか、あの漫才好きで、いつもみんなを笑わせていた若家が……こんな変わり果てた姿に……。涙はこぼれなかった。あまりに悲しみが過ぎると、かえって人は泣けなくなるものなのだろうか?

「若家くんっ――!」

 安立谷が、泣き叫ぶような声を絞り出す。私は彼女の顔を直視できなかった。正式に宣言してはいなかったが、若家と安立谷が付き合っていることはサークルのみんなが知っていた。明るいがそそっかしいところのある若家と、大人しくしっかり者の安立谷は、誰もが認める似合いのカップルだった。

「若家くん――!」もう一度、安立谷の声。「どうして……どうしてこんな……」叫びは次第にそのトーンを落とし、涙声に変わった。「こんなこと……」

「全部、正しかったってことなのね……」やるせないような宗乙の声が、安立谷の嗚咽にかぶる。「剣屋くんの推理が……」

 推理? 剣屋が? あいつが推理をして、私と、変わり果てた若家がここにいることを突き止めたということなのか? そういえば、剣屋は子供のころからミステリが好きだったなと思い出した。

「おい……」それに続いたのは繁海。「何も言うことはないのか? っ!」

 ――えっ? 繁海の声を受けて、私の位置からはドアで死角になっていた場所から姿を見せた男がいた。

 えっ? 私は目を見開き、そして、もう一度この場にいるメンバーのことを確認していく。剣屋、繁海、松法、宗乙、安立谷、そして……

 そ、それじゃあ……。私はまた「同居人」に目をやる。「あれ」は、いったい誰なんだ? 誰の死体なんだ?

「お、おい! 剣屋!」剣屋が推理をしたというのであれば、彼に訊くのが一番いいだろう。「何が起きたっていうんだ?」

 だが、剣屋は、私の声など耳に入っていないかのように、鋭い視線を崩さず、微動だにしないまま、

「犯行現場は、ここしかないと思っていた。若家、お前は、納戸にしまってあった斧を使い、ここで首をはねてから死体を着替えさせたんだな。切断した首と、そして服がお前には必要だった。……」

 どうしてだろう。剣屋の声が遠くなっていく。声だけじゃなく、みんなの姿も……。

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