金枝片、終憶。
人生
死人に口無し、黙して語らず
四年に一度、その女は現れる。
名を、『
私の大切な人はあの日、彼女に会いにいくと言って私の前から姿を消した。
それから、明日には帰る、とも。
しかし、二度と帰ってくることはなかった。
あの人は、彼女に――
私は、そう思った。
あの人は『殺し屋』だ。依頼を受けたのか、それとも個人的な理由からかは分からない。しかしあの人が消えたということはつまり――殺されたのだ、と。
それは『殺し屋』にとって、もっとも恥ずべきことだ。
殺しを生業とし、人生としてきたあの人の生涯を貶めるものだ。
ならばこそ――
その日から、私はあの人の全てを引き継ぐことにした。
あの人と同じ名を名乗り、その死を無かったことにして――いつか復讐を果たすべく。
彼の命日、曰く死者が蘇り生者に復讐するとされる日に――四年に一度訪れるその日に、私は彼女に逢いに行く。
■
どんな人でもいつかは死んでしまう。
その運命から逃れようと、あるいは抗おうとした者たちの手によって
彼の名前は『
――彼には、性別がない。
便宜上〝彼〟と呼ぶが、彼は男でもなければ、女でもない。しかし男のように逞しくもあり、女のように美しくもある。
ヒトが子供をつくるのは、自分の血筋を後の世に残すためだ。
それはつまり、生まれたときからヒトは自分がやがて死ぬという事実を受け入れているということ。だからヒトには男女という性別がある。
なればこそ――それを廃した個であれば、死という宿命に打ち克てるのではないか。
食事も、排泄も、交配も必要としない。全ては己の中で完結した、閉じた
人のかたちをした、何か。
私はそんな彼を愛していた。
しかし振り返れば、それが愛と呼べるものだったのかは自分でも分からない。
私は、彼の奴隷だった。
言葉の比喩ではなく、正真正銘の――彼が人買いから手に入れた、奴隷。
どうして私を選んだのか……それは彼が、私が
だけど私にはその使い方も、それを使いたい理由もなく、何もなかったから。
ただ意地汚く、死にたくなかっただけだったから。
彼は私に、全てを与えてくれた。
何もなかった私を、一人の人間にしてくれた。
それは親が子にそうするように――子が親に抱くような、そんな愛情だったのかもしれない。
ただ、彼の行為は親のそれとは本質的に異なっている。
当然ながら、孤児だった私への憐みや、善意からのものではない。
彼は、己に出来ない全てを、私にさせることで心の空白を満たしていたのだ。
だから、私たちの関係はお互いの利益のためのもの。
いや――彼にとっては、ただの苦痛でしかなかったのかもしれない。
彼はある日、私にこう伝えた。
私を殺してくれ、と。
私は奴隷だったから、彼の言葉には逆らえない。
私は彼を殺し――そして、その全てを引き継いだ。
彼は死にたいと願いながら、この世界に「自分」を残したいと願っていた。
彼は子供をつくれないから、だから私にそれを託した。
私には何もなかったから、一人残されても何をどうすればいいのか、分からなかったから。
彼のようになることで、私はこの世界に彼を残すことにした。
彼はいわゆる『殺し屋』を生業としていて、この世界にいる、もうどうしようもない人たちを殺して財を築いていた。
殺し屋にとって、その殺し方は名刺代わりになるという。そうして名付けられる肩書が、殺し屋として働くため……依頼を受けるために便宜上必要なものだと聞いていた。
だから私は、その名を継いで――『
一人の人間として、殺し屋として、今一度。
目的はないが、ただ殺す。恨みはないが、ただ殺す。それが仕事だから、殺す。
とりあえず、それを四年。
その頃の私にはもう、どうして自分がそうしているのか、どうして私はそうまでして生きたいのか、分からなくなっていた。
ただ、死にたくないだけ。
彼の存在を残すために生きる私は、彼の人生の続きのようなものだ。
笑わない、笑えない。名は体を表すというけれど、その時の私にはもう表情などなく――
ただ一つ、彼が残した最後の命令――私の命日に、四年後の今日の日に、私の墓の前においで。
そこに彼はいないのだけど、私は彼に会いに行くつもりでその日、彼の眠る霊園を訪れた。
そうすればまた、彼が私に何かを与えてくれる気がして――
そこで――私の前に、『口無し』を名乗る人物が現れた。
それが私の人生を変える――いや、私に生きる意味を与える――私の人生の、新たな始まり。
私の人生の、一つの大きな転換点。
■
――私を
口元を常にマスクで覆い、何も語らず、ただ優しさをくれた人。
私の大切な人は――ある日、いなくなった。
二月、二十九日。
後に、その日その人が死んだのだと分かった。
なぜその人は死んだのか――私はその人の近くに、ある女がいたことを突き止める。
その女が、私の大切な人を殺し、その全てを奪ったのだ。
復讐を誓った。
あの人が死んで、四年後――その命日に、その墓の前で、私は彼女と邂逅する。
私は名乗った、あの人と同じ名を。
亡きあの人に代わって、その遺志を遂げるため――私は自分の
「私の名前は、『
女は笑みを浮かべていた。
少女のような、可憐な笑み。
「あぁ、これだから――私はもう、人生をやめられない。私を殺す? ええどうぞ、やれるものならどうぞお好きに。だけど私は彼と違って――意地汚いほど、死にたくないの」
ただ、それだけだったの――あなたに出逢うまでは。
「ねえあなた、子供はいる? あなたの帰りを待っている人はいるかしら。あなたが死んだら、復讐しようと思ってくれるような人。私を憎むほどに、あなたが優しさを与えた相手は」
私に子供はいない。
だけど――あの人が私にそうしてくれたように、私は私と似たような孤児を拾い、育ててきた。
あの子はきっと、私の帰りを待っている。
あの子のためにも私は死ねない。
この女を殺して――
「あなたを殺して、私は生まれ変わるわ。名を改めましょう、今日から私は『
■
四年に一度訪れる、それは私にとって最高のお祭り。
彼の命日だというのに、不謹慎なことだけど――それは彼が私に仕掛けたサプライズ。
彼は私が人生に飽きないように、きっと育ててくれたのだ。
あのときは本当に驚いた――まさか私とおんなじ名前の子が来るなんて!
あの驚きは、同じ体験をしなければ分からない。
私はその日にやってくる、私を殺そうとする人を待っている。
その人がどこの誰かは知らないし、本当にやってくるかは分からない。
だけどきちんと種は撒いたの。あなたの大切な人を殺したのは、『ヤドリギ』という女だと。
四年に一度――あなたの大切な人の、お墓に前に現われる。
あなたが私を見つけてくれるように――私は意地汚く生き延びる。
そうして次のあなたが私を殺したくなるように、あなたの今を幸せで満たしてあげる。
そして二月の二十九日がやってきて、私は生きている意味を実感するのだ。
あぁ生きていてよかったと、そんな喜びを感じるの。
■
霊園にて、私は喪服の女と邂逅する。
黒いベールで顔を隠し、口元だけを晒した女。
その姿を形容するならば、〝美しい闇〟――私の大切な人を飲み込んだ、私の心に宿るどす黒い感情の根源。
この女と出逢うため、私はこの四年を生きてきた。
どうして私の大切な人を奪ったのか、その真意を知るために。
「その質問はもう何度目かしら。……どうして、あなたの大切な人を殺したか? あなたは、それを話せば許してくれるの?」
どんな事情があったとしても、私はこの女を殺すだろう。
あの人は、この女を殺そうとして、殺されたのだ。
ならばそう、私はその想いを遂げねばならない。
きっとこの女は、殺さねばならないほど邪悪なのだ。
「彼はきっと、生きてる実感が欲しかった。私じゃそれは満たせなかった。そして私も、生きてる実感を求めてた。彼の気持ちがようやく分かったの。楽しいと感じなければ、生きてることに喜べない」
この女は何を言っているのだ。
「私は意地汚くて、絶対自分じゃ死ねないから。殺してくれる人を捜してた」
女は笑う、口元だけを覗かせて。
「だからあなたの大切な人を殺したの、あなたが私を殺してくれるように。あなたが来るのを待ってたわ。あなたが誰かはどうでもいい。早く私と――」
女が、顔を覆うベールを外した。
そこには、私の大切な人の顔があって――
■
生死を賭けた交渉は、やはり私の生存で終わる。
愛した人の顔がそこにあって、驚く顔を見るのは楽しいけれど。
愛した人を手にかける、その絶望が見たいのに。
やっぱり私は意地汚くて、なかなかすぐには殺されない。
あの子もその子も、私を殺そうといろいろ手を尽くしていて――気付けばいつも、霊園は荒れ放題。墓石は砕け、誰だか分からない死体が散乱、土埃が舞っている。
もう何回目だかも分からない。
そろそろ新しいことでも始めようか。やっぱり楽しいことは、自分で見つけるしかない。
それが生きるってものなんでしょう――
と。
一陣の風が吹き、私の髪を揺らした。
砂埃が晴れ、今年も盛大に壊れた霊園が開ける。
そこに――
喪服の女が、死んでいた。
……あれ?
金枝片、終憶。 人生 @hitoiki
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