終章

第22話 夢叶うとき

 肌を撫でる風と、それによって揺れる木々の葉の擦れる音で、ネルは自分が立ち止まっていたことに気付いた。まるで電源を入れたテレビのように映し出されるいつもの下校風景がどこか懐かしい。


 なんとなく辺りを見渡してみる。落ち着きがないのはネルだけで、他の人たちの様子に変わりはないし、他の人たちから注目されていないため、ネルの様子がおかしかったわけでもない。


 ネルは歩き始める。そして考える。

 ほんの少し、立ち止まっていたようだ。

 どうしてなのかはわからない。

 けれども長い夢を見ていたような気がしていた。


 そう、夢だ。


 懐かしい顔を見た。あの頃のままではないが、あのまま成長していたのならああいう凛とした顔になっていただろう。いや、あくまでそれはネルの理想だ。そうあって欲しいと思う気持ちが、あの彼女を作り上げたのだ。

 左手を見た。今まで特に意識しなかった手。


 稀有な経験をした。まるで御伽話のような、魔法のある世界で生きた。主人公ではなく悪役のような立ち位置だったのが、少し皮肉めいていた。守った人の数よりも、奪った人の数の方が多い。とても正義のヒーローとは言えない。


 もしも夢を見ていたのなら、もしかしたら『街の夢』だったのかしれない。ふとそんなふうに思った。


 また風が通り抜けた。

 ざわざわと鳴る音の中に、子供たちの声と学校のチャイムがあった。近くに小学校と小さな公園があるためだろう。雨でも降ってないかぎりは、毎日のように耳に届く日常の音だ。


 それなのに。


 そのはずなのに。


 ネルの心臓は大きく跳ね、身体中から嫌な汗が滲み出てきていた。いつもと同じだと思ってはいても、心がいつもとは違う音だと叫んでいる。

 なぜかはわからない。

 どうしてなのかはわからない。

 わからないけれど、ネルは走り出していた。


 呼吸はすぐに荒くなり、強い頭痛に襲われる。

 夢の記憶が走馬灯のごとく駆け巡る。

 そのときどきの感覚が、気持ちが呼び起こされる。

 身が引き裂かれるようだ。

 頭が割れるようだ。

 心が砕かれるようだ。

 それでもネルは走っていた。なにかがネルを突き動かしていた。そしてそのなにかが夢の記憶の果てにある。そんな気がしたのだ。


 そして。

 記憶と景色が重なる。

 その正体に気付いたのはそのときだった。

 けれども、ネルは突き進んだ。

 跳び出した。


 そうするのが「藤宮ネル」だから。


 地面から伝わる音。

 ざわつき、心配する声。

 地面とは違う温もり。

 どんどん広がっていく。


 視界いっぱいに広がるのは色の変わり始めた空。

 もうすぐ日が暮れる。

 だからこんなにも寒いのだろう。

 身体が冷えてきた。


 ふと視界に誰かが現れた。

 その女の子は言う。

 その女の子の言葉ははっきりと届いた。

 キラキラと日を浴びて光るものとともに。


「私“も”助けてくれてありがとう」


 ネルは答えず、小さく頷いた。

 これで本当に心残りはない。

 救うことができた。


 救われることができた。


 ネルの意識は落ちていく。

 どこまでも深く、底を知らぬほど黒い。

 そんな夢の淵へと誘われることなく。


 ただの終わりに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フォールダウン・ディープ・ドリーム 鳴海 @HAL-Narumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ