強盗返
良前 収
歌舞伎の舞台にて
江戸の町はその日も入道雲が昇る青空だった。
「
同心の彦八を見つけた配下の
「そう言うお
「へっへっへ」
笑って頭をかくジロベーが酒臭いのは常日頃のことだったが、
「ちょいと
ジロベーの胸元と袖はずいぶんと濡れていた。
「そりゃ
「へえ、いきなり店に飛び込んできて叫んだ奴、今度見かけたらしょっ
「叫んだってのはここの殺しのことかい?」
「
さぁさ、とジロベーは彦八を森田座の中へ案内した。
なるほど、これは観客たちが叫んで飛び出していったのも分からんでもない。一見して彦八はうなずいた。
窓という窓を開け、さらに灯りも
「こいつぁ
「よくお分かりで」
答えたのは青ざめた初老の男だった。
「座元の森田
「ホトケさんは?」
「
「ああ、こいつが」
彦八はホトケに歩み寄り、しげしげと眺めた。見るからに二枚目の顔に殴られたような跡もある。壁に
「ところで強盗返って何ですかい?」
横からジロベーが聞いてくる。
「舞台の早替えに使うカラクリさ。この壁の裏をのぞいてみな」
陰になって暗い向こうを見たジロベーが、あっと声を上げる。
「やや、壁に畳や花活けが貼りついてやがる!」
「初めはそこが床で、早替えってなったら床を持ち上げて立てて、反対側を壁にするんだ」
「そしたらこっち側は初め、舞台の床下だったんですかい?」
「そういうこった」
「下手人が殺したのは床下でだったというわけで!」
「そういうこったな」
彦八は無造作にホトケの胸の短刀を抜いた。
「こいつに見覚えは?」
座元に示すと、相手はさらに青くなった。
「それはおそらく……長十郎の物です……」
「おっと、下手人のじゃねぇのか」
ジロベーは残念そうに首を振り、彦八へ振り返る。
「ところでダンナ、森田座の、次の座元の襲名争い、知ってやすかい」
「ちったぁな」
もう顔色がない今の座元を見やりながら彦八は答えた。
今の座元には跡を継げる息子がない。三人の娘それぞれの婿に
「あと二人の婿さんも呼んでくんな」
意気盛んに言うジロベーの肩を、彦八は叩いた。それにしても酒臭い。
「それには及ばねぇよ」
「なんでですかい――って、もう下手人が分かったんですかい!? さすがダンナ!」
振り返ったジロベーは早口にまくしたてる。
「姉婿の又吉ですかい、末娘の婿の福松ですかい!? さっそくお縄を――」
「まあ待て」
彦八は再びジロベーの肩を叩く。
「お前の女房は、長屋にしっかり送っておいた」
「へ?」
びっくり顔になったジロベーに彦八は続ける。
「真っ青で、とても独りで歩けないほど震えてたからな」
「あ、ああ……そういや今日の森田座を
言いながらも目が泳ぎ、そしてジロベーは頭を下げた。
「手前の女房が、とんだご迷惑をおかけしやした」
「ああ、そうだな」
頭を下げたままのジロベーの肩を、彦八は
「お前も、迷惑をかけられたな」
ジロベーの体が震え出した。
小者ジロベーの女房と長十郎はデキていた。それを知ったジロベーは、女房を責めるのではなく長十郎に金の無心をしにいった。貧乏というのはそういうものだった。
舞台の床下で会った長十郎は、金ではなく短刀を取り出した。だが荒事に慣れているジロベーはあっけなく返り討ちにした。しかしさすがに困った。
なぜ強盗返のカラクリを使ったかについては、ジロベーはこう言った。
「せめて女房の目に見せたかったんでさぁ。お前の
「酒で返り血を洗ったまでは、お前にしちゃあ上出来だったが」
彦八がそう言うと、囚人は
強盗返 良前 収 @rasaki
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