赦されたいかぐや姫

もげ

赦されたいかぐや姫

「かぐや姫、今度は篠崎先輩をふったんだって?」

 階段の上から降りてきた声に、夕貴は踊り場で足を止めた。

 階上から現れたのは、ベリーショートの快活そうな少女だった。

「ちはる。何、そのかぐや姫って」

「夕貴の陰のアダ名。どんなに優れた殿方も袖にしてしまう美貌の姫君って噂になってるよ」

 かぐや姫と呼ばれた少女は、黒く長い髪を持つ美少女で、確かにその名に相応しかった。

 ただ、そのあだ名に含まれた揶揄に気付かぬほど愚かではない夕貴は、思わず眉をひそめてちはるが側に来るまで待つ。

「どうせまた悪口言われてるんでしょ」

 口を尖らす夕貴に、まぁまぁといなしながらちはるは横に並び、前に進むよう促す。

「やっかみでしょ。篠崎先輩、ファン多いみたいだから。でもふっちゃうなんてもったいないなぁ。とりあえず付き合ってみればいいのに」

 再び階段を下り始めながら、夕貴は首をふる。

「付き合ったら付き合ったで悪口言うくせに。それに、私篠崎先輩のこと何も知らないもん。それで付き合うなんて無理だよ」

「真面目だなぁ。ま、それがいいとこだよね」

 軽い調子で言うちはるだが、その言葉に思いやりを感じて、夕貴はため息をつく。

「……そんなんじゃないよ。ほんと。一応告白してくれた人には申し訳ないと思ってるんだ。……いっそ、ちはるとデキてるってことにしたら告白されなくなるかな……」

 なかなか名案だと思ってちはるの顔を見やると、思いっきり「げ」という顔をしていた。

「やだよ、そしたら私彼氏できなくなっちゃうじゃん!」

「あ、そっか」

 ぶはっとちはるが豪快に吹き出して、夕貴もつられて笑う。ひとしきりげらげらと笑い合ったあと、夕貴は2階でそうだ、と足を止める。

「ごめん、ちょっと先生に質問あるんだ。先言ってて」

「相変わらずまじめだなー。了解、じゃまた後でねー」

 手を振って別れたあと、夕貴はこころもち早足になって国語の教科準備室に足を向けた。



「先生、質問いいですか……?」

 準備室の扉をそっと開けながらおずおずと問うと、おー、と弛い返事が奥から帰ってくる。

 後ろ手で扉を閉めながら中を見渡すと、窓辺の机に座った国語教師の横顔が見えた。

 窓の向こうの新緑を背景に、一心に手元の本に視線を注いでいるその人は、少しやつれた顔をした小柄で冴えない男性だった。

 何かに集中しているらしく、こちらを見ることもない。

 そっと歩み寄り、手元に影が出来るほど近付いてからやっと「ああ」と顔をあげる。

「どこが分からないんだい?」

 今まで読んでいた本を脇に寄せて、体を夕貴の方に向き直す。

 夕貴は身振りですすめられた横の丸椅子にそっと腰掛け、持ってきたメモ帳を開く。

「……今日やった竹取り物語なんですけど……」

 ああ、と先生は机の前に立ててある本の中から教科書を抜き取る。

「……どうしてかぐや姫は地球にきたんでしょうか」

 ぱらぱらと該当のページを探そうとめくっていた手をとめて、先生はずれた眼鏡をずり上げて夕貴の方を見た。

「それは……いい質問だね。実は、何故かぐや姫は地球に来たのか、明確な表記はないんだよ」

 手元にあった教科書を閉じて、先生は今度は机の引き出しから違う本を取りだし、しばらくページを繰ってから机の上に置いた。

「ただ、そう。見てごらん、最後の方に月の使者が翁にこう言うんだ。『かぐや姫は、罪を作り給へりければ、かく賤しきおのがもとに、しばしおはしつるなり』って。つまり、かぐや姫は月の世界でなんらかの罪を犯して、流刑として地球に流されて来たと考えられるんだ」

「罪?」

「そう。ただし、なんの罪だったのかは記載がない。ただ、かぐや姫の月での身分や、地上での試練を鑑みるに、どうやら禁断の恋をしたがために罰として地上に落とされたというのが通説みたいだね」

「禁断の恋……」

 思わず見上げたところで先生と目が合い、ぱっと再度視線を本へ落とす。

「私……てっきりかぐや姫はお高くとまってるんだと思ってました。地上の民なんか自分に釣り合わないって。だから、無理難題を押し付けて、からかってるんだと思ってた。満月を見上げて泣いたのは、ただ単に故郷が恋しいからだけだと思ってた……」

 許されざる想いを胸に抱き、自力で帰ることがかなわぬ我が身を嘆いて涙する姫の姿を想像して、胸が苦しくなった。

 没入しかけて、ふと我に返る。

 不思議そうにこちらを見る視線に耐えかねて、夕貴はすっくと立ち上がる。

「あ……ありがとうございます。私なりにもうちょっと調べてみます。次、移動教室なので戻りますね」

 早口で捲し立てて、逃げるように教室を後にする。自分でもかなりの挙動不審だと思った。

 


 数学の授業も上の空だった。

 夕貴の心の中に生まれたかぐや姫は、今や確かな熱をもってそこに存在していた。

 彼女は月で禁断の恋に落ちた。親子か兄妹か、それとも身分違いの恋か……。

 許されざる恋。ただ愛する相手を間違えただけで、罪となる。

 そして彼女は罰を受ける。

 見知らぬ土地に一人堕とされ、数々の誘惑を受ける。

 しかし、どんなに高貴な身分の人の求婚であっても、彼女の心を動かすことは出来ない。

 ただひとつの想いを胸に、月を見上げ続ける。

 最終的に『罪は赦された』とかぐや姫は月へと帰るが、月に帰ったかぐや姫は恋を遂げられたのだろうか。

 ノートの端にぐるぐると丸い月を描く。

あと2年、耐えればこの恋も赦されるだろうか。

 叶わなくとも赦されたかった。この想いが罪ではあってほしくなかった。

 若気の至りかもしれなかった。しかし、この時、この瞬間は確かに夕貴はかぐや姫だった。

(おわり)

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