昨日≠今日の私

依里真義貞

第1話

 日本の鉄道は優秀だ。滅多なことがなければ遅れることはない。


 昨日の今の焼き直しのようにホームのむこうに列車が見えた。

 いつもは見送る特急列車。


 けれど、今日は違う。


 通学列車を待たず、この列車に飛び込む。

 そう決めていた。

 そのために一週間かけた。

 まわりの人に気取られないよう自然に飛び込む。予行練習はばっちりだった。

 あとちょうど五秒数えたら自然な動きで列から抜け、あたり前のように飛び込めばいい。


 『残り五秒の世界』はいつも通りだった。

 音が消えた、とか、すべてがスローモーションになった、なんて特別なことはなかった。

 いつも通りのつまらない世界。退屈な日常。


 別に特別な何かを求めていたわけじゃないけれど、せめて最後くらいは夢を見せてくれたっていいのに。

 ああでも、これでこの世界に本当に未練もない。


 そうして私は列を抜け、


「あの――」


 られなかった。


 そればかりか左手をがっしりと掴まれていた。


「――どうせ死ぬなら、デートしませんか?」


 男の人だった。スーツを着ていた。わけがわからなかった。

 男の人の通る声にまわりの人が振り返り、唐突に衆人監視のただ中に放り込まれる。

 私の手を握る男の人、これはいったいどういうことかと見守るまわりの人はどうやら私の言葉を待っているらしい。

 私がぽかんと開けた口から何か言おうとした瞬間、プワァンと空気を裂きながら特急列車が通り過ぎていった。

 けたたましい通過音と地面の揺れを感じながらぼんやりと次に来るのはいつもの通学列車だなぁと思った。

 静かになったホームで私はすっかり乱れてしまった髪を右手で整え、


「ええ、いいですよ」


 そう答えた。

 私を心配する社会通念上でいうところのいい人達に「大丈夫です」を繰り返すと、おせっかいや善意も出社時間という社会の戒めには勝てないのかいい人達は通勤列車に飲み込まれ消えていった。

 さらばドナドナ。

 こうして駅のホームには私と、私の手を握る男の人と、微妙な表情を浮かべ遠くから私達を見る駅員さんだけが残った。


「それじゃあ行きますよ。せいぜい面白いところに連れて行ってくださいね」


「えーっと、会社に電話だけしてきてもいいかな……?」


 許可をすると男の人はいそいそと携帯電話を取り出しぺこぺことお辞儀をしながら誰かさんと話しだした。

 いきなり女子高生をナンパするような怖いもの知らずかと思いきや上司は怖いらしい。


 それから男の人の車で映画館にいった。

 別に映画が観たかったわけではないが、男の人にどこに行きたいか聞かれなんとなく出てきたのが映画館だった。


 というか、私の飛び込みをスマートに止めたくせに男の人の段取りは非常に悪かった。あんな奇抜な誘い方をしてきたくせに、どうもデートには慣れていないらしい。私のしたいように合わせる、というよりはどうしていいのか本当にわからないようだった。

 焦りは内心に留めておいて欲しかったけど焦る表情が思ったよりも若く、聞けばまだ20とんで少しらしい。


「じゃあ『おじさん』というよりは『お兄さん』ですね」と言うと、お兄さんはなんとも言えない表情で「ありがとう」と答え、ぺたぺたと自分の顔を触りだした。

 私としては子供と大人という区切りしかなかった。スーツを着ているのは大人だ。 でも、なんとなくその方が喜ぶかなぁと思ったのだ。昨日なんとなく流していたドラマでも明らかに社長じゃない人も社長と呼ばれると嬉しそうだったから、ただそれだけだった。


映画はつまらなかった。


 それから映画の感想を交わすこともなく無言で車に戻ると「美味しいものを食べよう」とお兄さんが提案してきた。

 よっぽど私の顔が楽しくなさそうだったのだろう。

 だって、しょうがない。実際つまらなかったのだから。お金を出してもらっている分は華の女子高生とのデート代ということでチャラだろう。

 カーナビを操作しながら「なんでもいいよ」とうかつなことを言ってきたので回らないお寿司を所望してやった。


 高速道路にのって二時間ばかり、海の見える港町にやってきた。


 とりあえず『時価』と書かれているものを片っ端から頼んでいった。全制覇してやろうとも思ったけれど半分くらいで私のお腹はいっぱいになってしまった。お腹がいっぱいになってから店の雰囲気にそぐわずケーキを扱っていることに気がついた。なんでも大将さんはもともとパティシエだったけどお父さんである先代に頼まれて店を継いだらしい。

 今度はケーキを食べにきてくれと言われ、私はなんとも言えず曖昧な笑みを返した。お兄さんは乾いた笑みを浮かべていた。


お寿司の味は正直私の貧乏舌ではよくわからなかった。

ケーキが食べれなかったのが残念だった。


 お寿司屋さんの外に出るとすっかり夕方の空気だった。

 いそいで巻いたマフラーに鼻の下まで埋め、ちらりと太陽をさがすと『地平線』に沈む寸前だった。

 レシートとにらめっこしていたお兄さんが急に立ち止まった私の視線を追っているのがなんとなくわかったけれど、私が何を見ているかはわからないようだった。そうしてしばらくして夕刻を告げるチャイムが鳴った。

 私は泣いた。

 すんすんと鼻を鳴らす私をお兄さんはおっかなびっくり助手席に誘導すると、車窓から暗闇を眺めるふりをし始めた。車内に響くのが私の鼻をかむ音だけだと気づくとだんだんと落ち着いてきた。


「……あのですね」


「うん」


「わさびが……ですね」


「うん」


「時間差で効いてきたんですよ」


お兄さんは「うん」と「ああ」の間くらいの音を出し、


「俺はかっぱ巻きしか食べなかったからわからなかったんだけど、ずいぶんと辛かったんだね」


「……えぇ、それはもう」


 私の下手な嘘にお兄さんは真面目につきあってくれた。そして、お兄さんはどこか安心したような笑みを浮かべていた。

 変な人だと思った。


 車内に沈黙が下りた。

 けれど、決して嫌な沈黙ではなかった。

 名前を知らない人と知らない土地で二人きりだというのに、学校にいる時よりも家にいるよりも自然でいられている気がした。


 お兄さんが何事か言いかけ、押し黙った。

 

十二時ではないけど鐘は鳴ったのだ。

 なら、そういうことだろう。

 お兄さんのくたびれた車はカボチャの馬車じゃない、私が履いているのはガラスの靴ではなくローファーで、私たちは現実の住人だ。


 私にとっては終わった世界でもお兄さんにとってはそうではないのだ。

 きっと、明日も明後日もお人好しなこの人はより道をしながら世界を回していくのだろう。

 それが、なぜか少し誇らしく、なぜか少し憎らしい。

「「あの――」」


 声が重なった。

 お別れは自分から切り出したかった私は言葉を紡いだ。


「今日はほんとうにありがとうございました。それに、ごめんなさい。私、自分のことでいっぱいいっぱいになっちゃってて、もうわけわかんなくなっちゃっててお兄さんにはものすごくご迷惑をかけちゃいました」

 

私は学生鞄の奥底から小切手帳を取り出し一枚破り、


「これは、せめてものお詫びです。私の家、お金持ちなんです。お金だけはあるので自由に使ってください。ご迷惑がかからないよう父には私から話しておきますので、今日は本当にありがとうございました!」


 押し付けるように渡し、車のドアを開けようと腰を浮かす、


 「――ったぁ!」


と私は天井に頭をしたたかに打ちつけ助手席に沈んだ。


 お兄さんは一瞬あっけにとられた表情を浮かべ、すぐ顔を伏せ、やがてこらえきれず笑い出した。


「わ、笑わないでくださいよ! 私は――」


「ごめんごめん。いやーだんだん君のことがわかってきたかもしれない。……最後に一緒に行ってほしいところがあるんだ」


 お兄さんは涙をぬぐい、


「一緒に宇宙を見に行こう」


 そんなことを言い出した。


 お兄さんのお願いを私はしぶしぶ受けた。

 だってしょうがない。命の恩人たっての頼みなのだから。

 うん、しょうがない。


 途中でコンビニ休憩を挟んだもののお兄さんの車はどんどん寂れたほうへと進んでいった。

 本当にこっちに宇宙があるのだろうか。

 私の見立てだとこのくたびれた車はまだ大気圏すら超えていないように思える。

 そんなことを考えているとだだっ広い砂利道に入り車が停まった。


「着いたよ、ここだ」


 港町のお寿司屋さんから二時間もかからずに宇宙に着いてしまったらしい。

 近いな、宇宙。

 これにはガガーリンもびっくりじゃないだろうか。

 ……うん、まぁわかってる。常識的に考えてお兄さんが宇宙人でしたなんてどんでん返しがない限り、天体観測に来たであろうことには。


「ここからは目隠しさせてもらってもいいかな」


 非常にベタだなぁとも思ったが、そもそも先に宇宙を見に行くというネタバラシをしていることに気づかないお兄さんだ。ここは最後まで騙されてやるべきだろう。


 ネクタイとハンカチで作ったアイマスクで目隠しをされ――ムードもなにもあったものじゃない、はた目から見ればただの酔っぱらいじゃないだろうか――お兄さんに手を引かれ歩く。

五分か十分か時間が過ぎアイマスクが外され、


「目を開けていいよ」


 目を開くとそこには満天の星空――――はなかった。


「……正直、七十六点くらいの星空、ですね」


 星は見えるが曇った空は地元の夜空よりは気持ちキレイと言ったところだった。


「前に来たときは綺麗な夜空が見えたんだけどなぁ」

 なんだかいたたまれなくなり、目を逸らす。


「あ、でもお兄さんが担いでる望遠鏡ならよく見えるんじゃないですか? 宇宙」


「……壊れててダメだった。これ妹のだからさ、あいつなら直せたんだろうけど、ごめん」


 妹さんのものらしい古い望遠鏡はいまやガラクタらしい。

 一応とことわって覗くもまったくぼやけて何も見えなかった。


「まったくダメダメじゃあないですか。どうせ、ベッタベタにこの宇宙と比べれば人間のなんたらなんて~みたいな感じで弱った私を慰めようとしていたんでしょうが、失敗ですね」


 私のひどい言葉にもお兄さんは申し訳なさそうに身を縮めるばかりで冷や汗をかく。どうも私はこういう場面が苦手だ。こんな女だから家族にも学友にも嫌われるのだろう。

 懸命に話題を探す。

 そういえば、


「……私と妹さんは似ているんですか?」


「容姿はあんまり似てないけど、強そうだけどほんとうは弱いところとかはそっくりかな。……まぁ、俺があいつの弱さに気づいたのはあいつがいなくなってからなんだけどね。五年たっても、俺はちっとも『お兄ちゃん』をやれていないみたいだ」


 お兄さんの困ったような笑顔に私はカチンときた。


「そんなこと言わないでください! お兄さんとのデートは退屈でぐだぐだでしたけど、それでも私は救われましたよ」


 お兄さんはくしゃりと顔をゆがめ空を仰ぎ、


「そっか、それならよかった」


 と呟いた。


 そんなお兄さんの姿を見て、私はまともなお礼ができていないことを思い出した。


「そういえばお礼がまだでしたね。お兄さんはお金とかは受け取ってくれなさそうなので、せめてネクタイを結ばせてくれませんか」


「あぁ、ありがとう。よろしく頼むよ」


「感謝してくださいよ。現役女子高生にネクタイを結んでもらえるなんて家族の特権か高いお金を払わないと味わえないんですからね」


 軽口を叩きながら、無防備なお兄さんの首元にネクタイを結んでいく。

 きっとお兄さんは妹か親戚のいとこにでもネクタイを結んでもらっているような気なのだろう。

 まったくもって甘い事だ。


「うん、これで完成ですね。お兄さんのみすぼらしさは相変わらずですが少なくとも格好で職質を受けることはなくなったと思います。それじゃあお兄さん、目をつぶってください」


「え? なんで?」


 流れるように自然な私の誘導に生意気にもお兄さんは疑問を口にした。


「……さっき、お兄さんも私に目隠しプレイをしたじゃないですか」


「いや、そんなことは――」


「いいから黙って目を閉じないと通報しますよ!」 


 通報という言葉がよほど聞いたのかお兄さんは黙ってぎゅっと目を閉じた。

 よしよし、最初からこうやって黙って言うことを聞いていればいいのに。

 

目標を再度確認し、踵を上げる――も高さが足りなかった。私の頭の上の方の毛がお兄さんの顎をかすめ、お兄さんはくすぐったそうに身をよじった。

 きもい。


 困った私は目の前でゆれるお兄さんのネクタイを掴み、お兄さんを屈ませることにした。

 発想の転換。

 コペルニクス先生も真っ青のたった一つの冴えたやり方だ。

 ただ一つ計算外だったのは、地面が前日の雨を吸い込みぬかるんでいた事だ。

 

 ファーストキスは血の味がした。



日本の鉄道は優秀だ。滅多なことがなければ遅れることはない。


昨日の今の焼き直しのようにホームのむこうに列車が見えた。

そしていつも通り唸るようなけたたまし音をたてながら特急列車が過ぎ去っていく。


 私はマスクの下の切れた唇をいたわりながら携帯電話の新着メールを確認した。


『新着メールはありません』


 画面の表示は変わらなかった。

 そわそわと辺りを見渡すもお兄さんの姿はなかった。


 ……まぁ、仕方ないだろう。

 お礼のキスもまともにできず恩を頭突きで返すようなちんちくりんの女に愛想が尽きてしまったのだろう。

 視界がじわりとにじんだ。

 これが噂の花粉症という奴だろうか、と現実逃避をしているとホームに通学電車の到着アナウンスが流れた。


 その時、ばたばたと階段を音を立てながら降りてくる人がいた。

 目のくまと髭の剃り残しが追加されているがお兄さんだった。


 お兄さんは私と目が合うとぺこりと会釈をし、何とかこっちに来ようとするが到着した電車から降りてきた人の波に遮られ見えなくなった。

 

 やがて電車が発車すると携帯がブルりと震え、私は思わず声を上げてしまった――あとで調べてみたところバイブ機能というやつらしい。


 返信されたメールは実に簡素な一文だった。


『次の給料が入ったらお寿司屋さんにケーキを食べにいきましょう』


 それがお兄さんらしくておかしくて、私はマスクをしていてよかったと思った。

 そして、しっかりとそのメールをロックした。

 

 さて、どう返信したものだろうか。

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