綺麗な風景が見える窓

かさごさか

私の家の話をしよう。

 家の廊下には窓がある。私にしか見えない窓だ。

 庭から窓がある場所を見ても、壁しかない。私も常にその窓が見えているわけではないが、ふとした時に廊下の壁を見ると窓があり、その外には絵画のような風景が広がっていた。無論、私の家の庭は手入れしてはいるものの、あのように広く綺麗なものではない。

 その窓を開けたことはない。触れようと思ったことすらなく、私にしか見えないという点で少し気味悪く思っているのかもしれない。

一度、家族に窓について言ったことがある。しかし、家族は廊下の窓のことを知らないどころか、私が虚言症を患っているのではないかと医者に見せに行った。それ以降、私は、窓について何も言わなくなった。私にしか見えないだけで何か害を及ぼすようなこともなければ、この家以外の場所で私は何も無い壁に窓という幻覚を見ることすらない。


 要は、この家で暮らさなければいい話だ。

 進学、就職、結婚・・・家を出る理由はいくらでも作れる。幸い、私自身が年頃であり縁談の話も何件か来ていたので、それに乗っかることにした。動機は不純であったが良い縁に恵まれたと思う。その後、とんとん拍子で話は進み私は家を出ることとなった。

 家族に別れの挨拶をし、玄関に向かう最中、私は廊下の壁に例の窓を見た。


 その向こうに広がっていたのはいつも通りの綺麗な庭であった。


 それからしばらく経った頃、一通の手紙が届いた。内容に目を通した私は数日の間、私にしか見えない窓がある家に行くこととなった。


 家は老朽化が進んでいるのか、以前よりも古くなったように感じた。おそらく記憶の方が勝手に補正でもかけたのだろう。

 家の中に入る。戸締まりされていなかったことに少し驚いたが、民家すら数えるほどしか無い地域だ。多少、無防備になってしまうのも仕方ないだろうが後で注意しておかないとな、と思いつつ扉を閉める。出迎えはなかった。

 靴を脱ぎ、廊下を進む。ふと、窓の存在を思い出した。窓は同じ場所にしか現れなかったので、今もあるならば客間へと繋がる廊下の壁に見えるだろう。


 その時の私は懐かしさで、おそらく過去に感じていた気味悪さなどすっかり抜け落ちてしまっていたのか、よく窓を見かけていた場所まで来てはきょろきょろと壁を見渡していた。何度か左右に首を振って、廊下の壁を見ていると窓があった。その向こうには相変わらず、綺麗な庭が広がっていた。

 そして、何を思ったのか私はその窓に手をかけた。家を離れ、恐怖心すら薄れてしまったのだろう。いつも枠に縁取られていた風景の向こうへの好奇心に身を任せ、窓を開ける。窓には鍵や蝶番などは見られなかったし、見たことも無かった。はめ殺し窓だと思っていたそれは私が触れると開いた。何がどうして、開いたのかわからないが窓から花の香りを含んだ風が吹き込んでくる。同時に花や葉も飛んでくるので私は思わず目を閉じた。


 目を開けると私は庭に立っていた。手入れはしているものの華やかさが今ひとつ足りない家の庭ではなく、窓越しに見ていた綺麗な日本庭園が目の前に広がっていた。私は怖くなり後ろを向く。そこには家と開けっ放しの窓があり、少しだけ安堵した。

 また窓から戻れるだろうと思った私は突如、窓枠に小さな手がかかり、子どもが顔を出したことに驚いた。それは向こうも同じようで、顔の上半分しか見えていないが、その目が大きく開かれた。


「――― ナオ!」


 子どもが叫び、飛び出してくる。その手には自身の体よりも大きい箒を握っており、整えられた日本庭園に佇む女性をめがけて、箒の持ち手部分を振り下ろす。

 正確には、女性の後ろに迫っていた生物をめがけて、だが。


「合図するまで出てくるなって言っただろ」

 庭園に這う生物を殴打し続ける子どもを見ながら、女性は懐から一冊の手帳を取り出す。その声は女性というにはほど遠いくらい低かった。手帳に挟んでいた栞を外し、手帳を閉じると女性らしき人物が着ていた服も少し明るい色の髪も風に飛ばされる砂塵の如く消え去ってしまい、その場には地味な色の着物とくすんだ革靴を身につけた男が残った。

「・・・窓を使って嫁探しをするのはいい考えだと思うけどね、多少、強引にでも引きずり込まなければ無意味なものなんですよ?」

 男は地を這う生物に話しかける。人ほどの大きさもあるそれは、ヤモリに似ていた。この家はとうの昔に手放されているので、守るものなど何もないが。

 巨大なヤモリは低く唸る。それに答えるように男は言葉を続けた。

「僕は久文くぶみ直樹なおき。この家の掃除に来ました」




 脳天を何度も殴られ、意識朦朧としている巨大な爬虫類を子どもが丸呑みしている光景を眺めながら、直樹は先ほど懐に仕舞った手帳に目を通していた。窓とその向こうの景色という幻覚に悩まされる主人公が結婚を機に、精神を安定させていくといった内容の散文が書かれていた。独白調で日記に近いものであった。これが事実か虚構であるかは手帳の持ち主にしかわからないことだが、ページの最後の方になると字が字で無くなるほど著者が精神的に追い詰められていたのが推測される。そういう演出かもしれないが、自分しか見ないであろう手帳にそこまでする可能性は低い。どちらにしろ、直樹にとってはどうでもいいことであった。

 直樹は手帳を閉じ、「利智りさと、」と子どもを呼び寄せた。駆け寄って来た利智に手帳を手渡すと、それを頬張り食べ始める。利智は何でもよく食べる良い子である。

 利智が手帳を全て飲み込んだところで、綺麗に整えられた日本庭園は雑草が生い茂るただの庭へと変わる。

「がいけんでだまされるなんて、ばかだねー」

「まぁ、あの外見で正解だったのかも謎だけど」


 全ては虚構にして事実。夢現の狭間に揺れる町では、話し声が聞こえる空き家や目に見える家守など日常の光景である。ここでは現実ほど信じないほうが良い。

「かえろぉ」と言い、伸ばしてきた利智の手を握る。


「じゃあ、帰ろうか」


 翌日、ここが空き家どころか雑草すらない空き地となっていることを二人は知らない。

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