NO-HITTER,NO-NO

佐倉伸哉

本編

 センバツ一回戦。帝東 対 星城。

 帝東の先発は最速160キロのストレートと落差のあるフォークでプロ注目の右腕、松茂。

 絶対的エースの松茂は初回からエンジン全開で飛ばした。石川県予選、さらに北信越予選を強打で勝ち上がってきた星城打線に150キロ後半のストレートとプレートの直前で“消える”と表現されるフォークを駆使して三振の山を築いていく。八回終了までフォアボールを二つ与えた以外は一人のランナーも許さない圧巻の投球を見せる。

 球場全体が松茂の偉大な記録を期待する空気で充満される中、いよいよ9回裏のイニングを迎える。

 9回表終了時点で、帝東は一点のリード。

 松茂もここまで全力投球を続けてきた疲れに球場全体が異様な雰囲気に包まれたことも合わさって、先頭バッターにいきなりデッドボールを与えてしまう。今日三回目のランナーが塁に出たが、その後は松茂も本来の調子を取り戻して二者連続三振に仕留める。

 ノーヒットノーランまで、あとアウト1つ。観客が運命の瞬間に立ち会えると固唾を飲んで見守る。

 一方、土俵際まで追い詰められた星城。ここで森監督は代打を告げる。

「星城高校、選手の交代をお知らせします。バッター、奥山君に代わりまして星名君……」

 ウグイス嬢のアナウンスが球場内に響く中、背番号15を付けた星名がネクストバッターズサークルで一回二回とバットを思い切り振ってから打席に向かう。

「頼むぞー!! 星名ー!!」

 打席へ向かう星名に星城ベンチから仲間の声が掛かる。その目は「アイツならやってくれる」という期待が強く滲み出ていた。

 この星名という男、実は只の控えではない。公式戦通算8打数6安打、打率.750、得点圏打率1.000。打席数は少ないが、ヒットを打った打席全てで打点を記録している、驚異のバッターだった。その化け物じみた成績から付いたあだ名が“星城の秘密兵器”。文字通り、最後の切り札だ。

 何故こんなバッターがスタメンではないのか。打つ方では天才的な才能を発揮しているが、一方の守備では目を覆いたくなる程にダメダメだったのだ。落球、トンネル、暴投、ファンブル……監督も何とか星名をスタメンで使えないかと様々なポジションにコンバートしてみたが、結果は一緒だった。練習試合でエラーを連発させてしまい、投手がプッツンしてしまったことも数え切れず。守備に就かせるのがあまりにも怖いので、控えに甘んじていていたのである。監督曰く「もし高校野球でDH(指名打者)が使えるなら、文句なしで四番DH星名」……だとか。

(……またとんでもない場面で出番が来たな)

 打席に入った星名がマウンドの方を見ながら、ふと思う。1点ビハインドで9回2アウト、ランナー一塁。一発出れば逆転サヨナラだが、ここまで絶賛ノーヒットノーラン継続中。こんな状況、生まれて初めてだ。

 観客が待ち望んでいるのは俺の逆転サヨナラではなく松茂のノーヒットノーラン達成。全国中継されているテレビを見ている人達も同じだろう。全国を敵に回すのか。嫌だな~……。

 松茂の映像を何度も何度も見返した。東京地区予選だけでなく関東大会のものも。160キロに迫るストレート、打つ直前に鋭く落ちるフォーク、切れ味バツグンのカットボール、高速スライダー、カーブ。全ての球種が桁違い。これが同じ高校生とは思えなかった。何だよこれ、チートじゃん。それともメジャーリーガーが転生したのか。ゲームでもこんな選手作るの無理だし。

 でも、文句を幾ら重ねたって、松茂が弱くなる訳でもない。ふう、と一息ついてからバットを構える。

「プレイ!!」

 主審が再開を告げる。松茂はゆったりとしたフォームで投球モーションに入る。

 腕を振りかぶり、投げる―――。

 糸を引くようなストレートが、キャッチャーのミットに吸い込まれる。

「ストライク!!」

 アウトコース低め、ストライクギリギリの隅に決まった。星名は微動だに出来なかった。

(速ぇ~……何これ)

 初球は見逃すと決めていたが、ここまでのボールが来るとは。チラッとスコアボードに目をやると、157キロの表示。9回まで投げてこのスピード出せるとか反則だろ。スパン、という音ではなく、ズドン。球質も重い。これが2ストライクと追い込まれた時じゃなくて助かった、と思うしかない。

 ストレートを軸にストライクを稼ぎ、最後は得意のフォークで仕留める……というのが松茂の配球の傾向だ。それは頭に入っているが……目の前で対戦しているとそんなデータも無力だと痛感させられる。

 二球目。高速スライダー。外角に逃げていくボールを追いかけてバットを出したが空振り。2ストライクと追い込まれた。

「あと一球! あと一球!」

 場内から「あと一球」コールが鳴り始める。うるせぇ、こっちは今必死になって松茂を打とうと頑張ってるんだ。静かにしろ。内心で毒づくも、そんな星名の心の声は伝わるはずもなく、球場全体のボルテージはどんどんと上がっていく。

 三球目。外角高めにストレートが投げ込まれる。これを星名はカットして、打球は後方に勢いよく飛んでいく。

(よし、目が慣れてきた。当てられる)

 ややボール気味だったが、分からなかったので取り敢えずバットを出したら当たった。カウントは変わらないが、自信はついた。

 四球目。今度は先程と比べてやや遅いスピードのボール。

(フォーク!!)

 直感的にそう思ったが、問題はどれだけの落差があるか。真ん中の高さで打つにはちょうどいい高さだが、この高さからどれくらい落ちるのか分からない。ストライクゾーンの内と外では天と地の違いだ。加えて、外れると思って見逃したとしても、これがもしストレートだったら。様々な可能性が目まぐるしく星名の脳内を駆け巡る。

(えぇい!! いいや!!)

 考えても仕方ない! フォークと決めた以上、見送る!! ボールはベースの手前で急降下すると、キャッチャーが構えた場所にスッと入っていく。さぁ、判定は―――!!

「―――ボール!」

 球審のボールという声を聞いた瞬間、星名の全身からドッと汗が噴き出た。入っているかどうか微妙だったので生きた心地がしなかった……。でも、これでフォークの球筋は見切った。

 球場全体がどよめく中、マウンドに立つ松茂は平然としている。判定に不満を抱いているような感じではない。

 さて……決め球のフォークが外れて、次は何が来るか。自信のあるストレートか、それとも他の変化球で勝負するか。

 一度打席を外して、屈伸。緊張の連続で凝り固まった体を一度リセットさせる。

 それから一回二回と軽くバットを振る。落ち着け。大丈夫。自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返す。

 仕切り直して五球目。

 松茂が投じたのは―――ストレート!!

 ストレートは初球に見ており、軌道は脳裏に焼き付いている。力で強引に捻じ伏せる、あの圧倒的なスピード。

 いつもの感覚で対応していたら絶対振り遅れる。1・2の3で振るのを、1・2で振るイメージ!

 星名の左足が甲子園の大地をしっかりと踏み込む。体の回転をコンパクトにまとめ、1・2のタイミングで捉えるイメージで。

 体に巻き付くような感覚で出されたバットは―――弾丸のようなスピードで突っ込んできた白球を、しっかりと捉えた!!

 カキーン!!

 澄んだ金属音が球場内に響く。打ち返された打球は高々と舞い上がると、グングンとした勢いで空を目掛けて突き進んでいく。

「行けー!!」

 駆け出しながら、星名が叫ぶ。星城ベンチからも行け行けという声援が打球を後押しする。

 左中間の方角に飛んでいく白球を追いかけて、レフトとセンターが懸命に背走する。打ち返されたがこの打球をグラブに収めれば、その瞬間に帝東の勝利が確定する。勝利を自分の手で掴むため、全速力で走っていく。

 走って、走って、走って……遂に行く手をフェンスに阻まれた。

 白球は落ちてこない。打球の行方を目で追いかけるが、レフトとセンターの遥か頭上を通り過ぎていく。

 そして……観客で埋め尽くされたレフトスタンドの中段に吸い込まれていった。


 その瞬間、甲子園が揺れた。


 逆転、サヨナラ、ホームラン。

「よっしゃー!!」

 フェンスを越えた瞬間、一塁を蹴っていた星名は絶叫と共に右腕を突き上げた。

 ダイヤモンドをゆっくりと一周する間、マウンド上の松茂は打球の飛んだ方向をじっと見つめていた。

 スコアボードに刻まれた球速表示は、162キロ。センバツ史上最高球速を記録したが、そのボールはキャッチャーミットに収まらなかった。


 後日、星名は別の名前で呼ばれるようになる。

 “甲子園に愛された代打の切り札”と。


(了)

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