N回目のどんでん返し
乙島紅
N回目のどんでん返し
西暦二XXX年——。
もはや、人類の争いの舞台は地球上ではなくなっていた。
『地球人どもよ、最後の勧告だ。今すぐ投降しろ。さもなくば貴様ら全員この宇宙の藻屑となって彷徨うことになるだろう』
敵の戦艦から、冷徹な火星軍総帥ディヴァン・マルチの声が響き渡る。
戦況は地球連合軍の圧倒的劣勢。当初は千を超えていた地球連合艦隊はほぼ壊滅し、残るは五隻。そのうちの一隻、日本宇宙軍の艦内はすでに葬式のようなムードに包まれていた。ため息を吐く者、すすり泣く者、神仏に祈りを捧げる者……。
追い打ちをかけるように、フロントモニターの大画面がジャックされ、ディヴァンの顔が映し出された。彫りの深い険しい顔つきに、火星人特有の赤い瞳をぎらぎらと光らせながら、淡々とした声で幾度となく降伏勧告を繰り返す。
「もう、無理よ……!」
普段は無表情でいくつもの指令をてきぱきとこなす女司令官さえも顔を覆い、嘆きの声をあげる。
その時。
「いや、まだ諦めるには早い」
ウィン、と船内の扉が開く音がした。
まだ十八になったばかりの若い少年兵、シュンヤ・クハルだった。天才的な操縦技術を持ち、撃墜数は地球連合軍の中でも五本の指に入る。ただ、先の戦いで敵軍総帥の操る戦闘機に狙い撃ちされ、意識不明の重体で眠っていたはずだった。
「シュンヤ君!?」
彼の姿を見て、女司令官は絶句した。
彼の失われたはずの右腕、右足には機械でできた義肢がつけられていた。つい先ほど、手術が終わったばかりなのだろう。額に浮かぶ脂汗からは明らかに無理をしていることが伝わってくる。付き添うように少年の後ろについていた医者は、気まずそうに視線を逸らした。
「地球連合軍が勝つには、こうするほかなかった」
「あなた、なんてことを……!」
「先生を責めないでください、司令官。俺はやります。先生から聞いたんです。日本軍にはまだ、最終兵器があるって」
「っ……! だめよ、あれはまだ、安全試験をクリアしてはいない……!」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう!」
ドォン、と轟音がして艦全体がぐらぐらと揺れた。敵の攻撃が始まったのだ。
パニックに陥る艦内。だが、若き少年兵の視線は揺らぐことはない。司令官はぎゅっと奥歯を噛み締め、彼に視線を返す。
「あれの搭乗ゲートは一方通行よ……。一度乗ったら、降りることはできない」
例の機体は圧倒的なパワーを誇る反面、どれだけ腕のいいパイロットでも制御は不可能。敵味方見境なく攻撃する危険性があるため、自爆作戦にしか使えないだろうと言われていた。
「それでも、俺はあの美しい地球を守りたい」
シュンヤは窓の外に見える、宇宙空間に浮かぶ母星を眺めながら言った。
一体何が彼をそうさせるのだろう。もし彼と同じ技量を持っていたとして、同じ立場だったとして、同じ言葉を言えるだろうか。
司令官には、その自信はなかった。彼女だけではなく、艦内にいる全員がそうなのだろう。つまりここにはもう、彼以外に地球を救える者は誰一人いない。
「……行きなさい、シュンヤ。あなたに全てを託します」
シュンヤは頷き、義足を引きずりながらエレベーターに乗り込んだ。司令官は目の端を拭い、ぎゅっと帽子を深くかぶりなおした。
「全クルーに告げる……! 作戦変更! 最終兵器『
彼女がそう言うと同時、流れ星のように白く美しい機体が宇宙空間を駆け抜けていった。敵の艦隊から集中砲火をくらうが、それを物ともせずに、敵軍総帥が乗る本艦をまっすぐに目指す。
『なっ……!?』
ディヴァンのうろたえる声とともに、モニターに映し出されていた映像が乱れて消える。それと同時、『機械仕掛けの神』を操るシュンヤの映像に切り替わった。
「うおおおおおおおおっ!!」
彼が力強くレバーを引くと同時、『機械仕掛けの神』は煌々と輝く光のサーベルを構え、一閃。耳を裂くかのような轟音が響き、敵の艦隊は一斉に爆発した。
……やった。ついにやったのだ。
長い戦争が終わる。
一人の若者の命を犠牲にして。
モニターにはもう、何も映らない。
「機械仕掛けなんかじゃない……。奇跡は、人の手で起こすものよね……」
司令官の瞳に涙が光る。
こうして、宇宙戦争の幕は閉じた——。
***
「っちゅう企画をな、実写でワンカットでやってみたいねん」
「いや、無理でしょ」
無邪気に微笑むプロデューサーの言葉を、食い気味に両断したのは売れない映像監督、
「ちょ、なんでや〜。あんたんとこ、なんでもやりますって評判なんやろ。納品率百パーセントだってホームペエジにも書いてあるやん」
「ええそうですよ! こういう無茶な企画はあらかじめ断っているんでね!」
だいたい、と出羽はキャスト候補一覧の表を指でつつくようにして指した。
「どうして僕が! キャストに入る前提なんです!? しかも火星軍総帥役って!」
「だってな〜、最近流行りやん、そういうの。出羽君の顔、悪役ヅラやし」
「顔の問題じゃないですよ! だってね、主役は今をときめく若手の
「しょうがないやろそこはー。隼也君のギャラ見積もったら予算なくなってしもて。出羽君にキャスト兼任してもらうからなんとか〜って上から予算承認もろたんやで。いや〜我ながら良い判断やったわ」
けらけらと笑うプロデューサーに、出羽は呆れてそれ以上何かいう気にはなれなかった。
「……とにかく、企画考え直してくださいよ! じゃなきゃ引き受けませんから!」
吐き捨てるように言うと、出羽はテレビ局を飛び出した。
実を言うと、ほんの少し後悔している。
高圧的な敵軍総帥? 最高の役じゃないか。普段下に見られてばかりの仕事をしている男が、新進気鋭の若手俳優を罵倒する。きっと良いストレス解消になるに違いない。
だが、こんな失敗の匂いしかしない企画を引き受けている暇などないはずなのだ。出羽も四十代半ば、良い年齢になってきている。映像監督として成功するにはもっと高みを目指さなければいけない。
そう、彼にはやるべきことがあるはずなのだ。もっと重大な、何か。ずっともやもやしているのに、その答えが見出せない。
——ゴンッ。
突如、金属バットで殴られたような衝撃を受けた。頭がズキズキと痛み、出羽はうめき声をあげてその場に崩れ落ちる。
自由に動かない頭。必死に眼球を動かして殴った相手を探すが、周囲に人影は見当たらない。それはそうか。誰かに恨まれて殴られるような大層な人生ではない。だとすると、この感覚は……。
出羽の頭に「死」の一文字がよぎった。
こんなところで死ぬのか? 世の中に何も残せないまま……大器晩成という言葉を信じて生きてきたのに……。
朦朧としていく意識の中で、女の声が微かに聞こえる。
——目醒めなさい……あなたの、真の姿に…………。
***
はっと飛び起きると、彼は無機質な青白い壁の小さな船室の中にいた。閉ざされた窓のカーテンを開けると、一面黒々とした景色が広がっていて、星があちこちに瞬いている。
ウィン、と部屋の扉が開く音がして、振り返ると見慣れないデザインのドレスを着た女が立っていた。
「ディヴァン……! よかった、気がついたのね……!」
彼女は瞳いっぱいに涙を溜めると、ディヴァンと呼ばれた彼をぎゅっと強く抱きしめた。
「心配したのよ……。あなた、ずいぶんと地球での生活にのめりこんでいたようだから、時々
地球での生活? 後遺症? どういうことだ?
まだ、頭はズキズキと痛む。
部屋の中の姿見に自分の姿が映っている。
赤い瞳。身分の高そうな軍服。
まるで、あの馬鹿げた企画に出てきた火星軍総帥のような。
「ああ、記憶が混濁してしまっているのね。あなたは地球人殲滅作戦の重要任務のために、長い間地球人として潜伏していたのよ。脳内回路のハッキングを通じてね」
「ということは今は……」
「覚えてないの? あなたたちがハッキングで得た情報をもとに、地球侵攻作戦が進行中よ。あなたはその指揮官。しっかりしてよ……もう少しで地球が私たち火星人のものになるところなんだから」
彼女は愛おしげにディヴァンの頭を優しく撫でる。
そのたびに、ズキズキと頭痛が激しさを増した。
本当にあの筋書き通りなのか? だとしたら火星人に訪れる末路は……。
「それなら僕は、
彼は彼女の手を取り、彼女の胸元に戻した。
「現実で起きるどんでん返しなどナンセンスだ。そこにいたる過程がたいてい悲劇なのだから。何事もなく、平穏な毎日が一番良い」
「え、突然どうしたの?」
きょとんとする彼女。
もしかしたらこれもまた、どこかにいる本当の自分が見ている夢にすぎないのかもしれない。現実か夢かを判別する
だから、今見える景色を現実だと信じ込み、与えられた役割を愚直に全うするしかない。
ディヴァンは自らの愛機に乗り込み、戦場へ飛び出した。敵軍の若きエースパイロットの命を狙って……。
〈おわり〉
N回目のどんでん返し 乙島紅 @himawa_ri_e
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