どんでん返しのその先で

望月くらげ

どんでん返しのその先で

 お父様から言われた小言にうんざりしながら、私は今日もお城の中のもう使われていない部屋へと向かう。その部屋には他の部屋にはない秘密があった。

 誰もいないことを確認して中に入ると、私はふすまの横の壁を三回叩いた。

 すると中からも三回壁を叩く音が聞こえてくる。ふふっと笑い声を漏らす私に、壁の中から声が聞こえた。

「大きな木には何がなる?」

「大きな大きな栗がなる」

 秘密の合い言葉を唱えると、目の前の壁がくるりと回転して秘密の部屋が現れた。

「やっと来られたわ。お父様ったらお話が長いんだもの。嫌になるわ」

「仕方ないですよ。御殿様にとって姫は可愛くて仕方がないんですから」

 そう言われてしまうと何も言えなくなる。お父様が私を可愛がってくださっているのは十分わかっているつもりだ。そこに政治的要因が全くないとは言えないけれど、それを抜きにしても十分に可愛がってもらえていると思う。だからこそ多少のわがままも自由も許されているのだ。

「でもそろそろ戻った方がいいんじゃないですか? 三味線の稽古が入っていらしたでしょう?」

「わかってるわよ。ねえ、荘助。またここに来てもいい?」

 私の言葉に、荘助は口元に手をやるとおかしそうに笑った。

「姫に言われて、私が拒めるとお思いですか? いつでもお待ちしてますよ」

 優しく微笑む荘助に私も笑顔を向けると、もう一度くるりと反転する壁とともに元の部屋へと戻った。

 

 この部屋の向こうに隠し部屋があることを知ったのはもう十年も前のことだ。お父様に叱られて泣きながら飛び込んだあの部屋で、どんでん返しの向こう側に行こうとしている荘助を見つけて捕まえたのだ。

 荘助はうちの城に使える忍の一族の子どもで、その日も修行のために城の中にいて、ちょうど隠し部屋へと戻るところだったようだ。

 荘助のお父様はとても怖いらしく、この隠し扉の存在が知れたことが分かれば怒られるどころではすまないと真っ青になっていた。そこで私はたまにここに遊びに来させてもらう代わりに今日見たことは内緒にすると約束したのだ。

 それから十年。荘助の身長が私を超しても、肩までだった私の髪が腰に届くようになっても、私たちはこうしてたまにこの部屋で会っていた。

 でも、それももうそろそろ終わりかもしれない。

「はぁ……」

 荘助には言えなかったけれど、私の輿入れが決まった。そこに私の意思など関係なく、ただお父様の決めたとおりに動く。それがあったから今まで自由にしてこられたのだ。

「仕方ない、よね」

 少し寂しいけれど、そういう運命なのだとわかっていた。そのためにいるのだということも。だから、この胸の奥に感じる痛みには気付かないふりをする。気付いても何の意味もないことだから。


 私の輿入れが決まり、城内は騒がしくなった。私自身も忙しく、荘助の元へと向かうこともできなかった。

 ようやく少しの暇ができたのが、最後に荘助と会ってから三週間が経った頃。そして、輿入れのための出発の前日だった。

「久しぶりね。変わりはない?」

「はい。姫様は少しおやつれになったのではないですか?」

「そうかもしれない。ここのところ忙しくて、なかなかここに来る時間も取れなかったから」

 私の言葉に、荘助は困ったように笑った。

 私の嘘を見抜いているのかもしれない。知ってて気付かないふりをしてくれているのかもしれない。

 本当はここに来る時間をどうにかして作ることぐらい容易かった。でも、そうしなかったのは、きっと荘助の顔を見てしまうとこの決心が揺らいでしまうから。

「明日、私はこの城を出るわ。今までありがとう」

「姫様……。私こそ、ありがとうございました」

 頭を下げる荘助に私は別れを告げた。

「さよなら、荘助」

 どんでん返しになっている壁を押すと、荘助の元を逃げ出した。――でも、扉が閉まりきるよりも早く荘助は私の腕を掴むと、身体を引き寄せた。

「なっ……」

「姫様、私は――いや、俺は、ずっと、ずっと……!」

 十年間、ずっと一緒にいた荘助のぬくもりに、初めて触れた。何があっても私に指一本触れることがなかった荘助の腕の中のぬくもりはとても優しくて、そして苦しかった。

 このままこの腕に全てを委ねてしまいたい。この身体に腕を回して、私も荘助を想っているのと――。

「駄目よ」

「姫、様……」

「駄目なのよ……」

 笑いなさい。笑って、荘助にさよならを言いなさい。

 頭の中で私自身の声がそう囁くのに、私の意思とは裏腹に気が付けば頬を涙が伝う。こんなにも苦しいのに、どうしても荘助と出会わなければよかったとは想えない。だって、私にとって荘助は、大切で、大好きで、宝物のような存在だったから。

「さよなら、荘助。もう二度と会えないとしても、ずっとあなたの幸せを祈っているわ」

「姫様……!」

 荘助の腕を振り払うと、今度こそ私は隠し部屋を飛び出した。廊下を走って自分の部屋へと戻る私を叱る声が聞こえてくるけれど、そんなのもうどうでもよかった。

 どうでもいいぐらい、痛くて辛くて苦しかった。


 翌日は雲一つない快晴で、私の輿入れを祝福しているかのようだった。今日は朝から準備をし、正午には城を出る、はずだった。

「どうなっているの?」

 なのに寝間着から着替え、朝餉を食べ終わっても誰一人として呼びに来る者はいなかった。このままでは正午に間に合わないのではないか。そう不安になった頃、ようやくお父様がお呼びだと扉の向こうから声をかけられた。その声は、荘助のものだった。

 慌てて扉を開けると、そこには困ったような荘助の姿があった。あの隠し部屋の中以外で荘助に会うのは、これが初めてだった。

「どう、して……?」

「私にもわかりません。ただ、姫様をお連れするようにと御殿様に言われ……」

 この状況についていけないのは荘助も同じだったようで、私たちは今から何が起こるのかわからないままお父様の元へと向かった。

「姫様をお連れしました」

「入れ」

 お父様ではないその声に首をかしげる私とは対照的に、荘助の顔色が変わるのがわかった。

「今の声は……?」

「父上、です……」

「荘助のお父様?」

 戸を開けて部屋に入ると、そこにはお父様と髭を生やしたお父様と同じぐらいの年齢の男性がいた。この人が荘助のお父様……。

「どうして呼ばれたかわかってるな」

 お父様の声に、私たちは身体を震わせた。あの部屋で荘助と会っていたことが知れたのだ。嫁入り前の娘が家臣と密会など、外に知れれば醜聞でしかない。だから……。

「申し訳ございません。姫様は何も悪くなく、全て私一人の責任でございます」

「そ、荘助! 違います、お父様。元はといえば私が荘助にあの部屋に遊びに行かせてもらうように頼んだのです。だから荘助は悪くはないのです。お願いです、荘助を罰しないでください!」

「違います!」

「違わないわ!」

「黙れ」

 お父様の一声で、私たちは言い合っていたのをやめる。そんな私たちに――お父様はため息をついた。

「お互いにお互いをかばい合うとはな。おい、新助。どう始末をつけるつもりじゃ。姫の輿入れ先は今回のことをお知りになって一の姫ではなく二の姫を輿入れさせるようにと言ってきておる」

「申し訳ございません。荘助、お前には失望した。このままこの城で仕えることは私が許さん。さっさと荷物を持ってこの城から出て行け」

「っ……招致致しました」

「な、駄目よ! 荘助は何も……!」

「姫、これは新助と荘助の問題じゃ。姫が口を出すことではない」

「そんな……!」

 なんとか荘助を取り成してもらおうとする私をお父様が止める。でも、こんなの私のせいで荘助が……!

「それから、姫。そなたにも罰を与える」

「……はい」

「聞いての通り、輿入れはそなたではなく二の姫が行うこととなった。もう、そなたに用はない」

「え……?」

 お父様の言葉の意味が、私には理解できなかった。それは、つまりどういう……。

「……お前の幸せは、お前が決めるんじゃ。ただし荘助はこの城を追われた身。もし一緒になるとするなら、姫もこの城を出て行ってもらう」

「この城を、出る……」

「そうじゃ。その覚悟が、姫にはあるか?」

 私は、荘助を見た。荘助は「そんなの駄目です」と首を振っている。でも、私は……私は……。

「それでも、荘助と、一緒にいたいです」

「姫! なんてことを! いけません! その言葉、取り消してください!」

「荘助、お前が姫に命令するなどどういうつもりだ!」

「ですが、父上!」

「荘助」

 必死に私を止める荘助に、お父様が声をかけた。

「姫はこう言っているが、お前にはその覚悟はなく姫をたぶらかしたのか」

「っ……違います! 私は姫様が何よりも大事なのです。ですから姫様には幸せになって頂きたい。その相手は私ではないのです!」

「そんなの荘助が決めることじゃない!」

「姫様」

「私の幸せは私が決める。私は、荘助とあのどんでん返しの向こうの秘密の部屋で過ごす時間が大好きだった。幸せだった。だから、もしも許されるならこれからも荘助、あなたと一緒にいたい」

 こんなふうに自分の気持ちを伝えたのは、生まれて初めてかも知れない。

 たくさんの人に迷惑をかけることはわかっている。想像もつかない大変な思いをすることになるのかもしれない。でも、それでも、もうこの想いを止めることはできない。

「荘助、私じゃ、駄目? 私と一緒に、城を出てはくれない?」

「っ……駄目、じゃ……ないです」

 差し出した手を、荘助のゴツゴツとした手がぎこちなく握りしめる。

 その手のぬくもりは優しくて、泣きたいぐらいにあたたかかった。


 数日後、二の姫の腰入りを待たずに私たちは人知れず城を出た。

 これから先に何が待ち受けているのか分からない。でも、荘助と二人ならきっと乗り越えられると思うから。

「ずっと一緒にいてね、荘助」

「はい、姫様」

「……もう、姫様じゃないわ」

「そう、だね」

 小さく咳払いをすると、照れくさそうに荘助は私の名前を呼んだ。私にしか聞こえないぐらい、小さな声で。

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どんでん返しのその先で 望月くらげ @kurage0827

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