蜂蜜酒と角笛の音

白里りこ

Šárka


「ああ、どうか助けて下さいまし!」


 木に縛り付けられて懇願する娘を見て、ツチラトは困惑していた。

 これはどういう状況だ……?


 この地では、男と女が文字通り雌雄を決して戦争をしている。

 ヴラスタ率いる女性軍により壊滅的な被害を受けた男性軍だったが、ツチラトの活躍によって女たちもまた多くが殺され、今は形勢が逆転していた。

 そのためツチラトは男性軍の名将として有名となり、その武勇は鳴り響いている。


 そのツチラトに、女が、助けを乞うている……?

  

 罠か、とツチラトはチラリと思った。

 しかし、目の前の娘は悲壮な声で訴える。


「お助けを、どうか!」

「しかし、そなたは」

「いいえ違います。女たちが、女たちが私に乱暴をしたのです。私は無理矢理、女性軍に連れて行かれて、戦争に利用されるところだったのです!」

「なに……」

「私は戦うのはいやです。なのにあいつらは、私に言うことを聞かせるために、こうして縛り付けて、ぶって……。でも、貴方様がいらっしゃるのを見て女たちは慌てたんです。私を置いて逃げてしまいました。お陰で私は身動きが取れないのです」

 娘は涙を流し始めた。

「貴方様がいらっしゃったのは奇跡です。ああ、どうか助けて下さいまし。お礼はいたします」


 娘はあまりにも哀れに見えた。とても嘘をついているようには見えない。

 ぶたれたという頬は腫れ上がり、血が流れている。衣服もしわくちゃだ。縄も容赦なくぎりぎりと娘の体を縛っている。


「ふむ……」


 女性軍がこうして有無を言わせず人員を補充しようとするのは、ありうることだ。ツチラト自身の手柄によって、女性軍は大打撃を受けている。人手が不足しているのだから。

 それに……。

 ツチラトは、涙に濡れて色っぽく光る、娘の瞳を見た。

 ……これを捨て置くなどということは、できない。


「よろしい。助けよう」


 良いのですか、という従者に、ツチラトは黙って首肯した。


 こうして解き放たれた娘は、地に伏してツチラト一行に感謝をした。


「ああ、ありがとうございます。貴方様は命の恩人です」

「良い。それより、怪我は」

「大丈夫でございます。お優しい方、もし宜しければ、お名前を伺っても?」

「……ツチラトだ。そなたの名は?」

「シャールカと申します。ああ、ツチラト様、この御恩は忘れません」

「いや……」

「お礼を致しますわ。今、お時間は?」

「まあ……急ぎではない。城に帰るだけだからな」

「ああ、良かった。丁度ここに、蜂蜜酒がございますの」


 シャールカは腰に下げた大きな袋から、酒の入った容れ物を取り出した。

 その時、彼女の首にさがっていたものが、ゆらりと揺れた。

 角笛だった。


「その角笛は……?」

「ああ、これですか。女たちが私に無理に持たせたのです。もう、必要ありませんね」


 シャールカは角笛を首から外して、無造作に木の後ろに放り投げた。


「では皆様、些少ながら、御礼の品でございます。どうぞ、遠慮なさらずにお飲みになって」

「それは、そなたのものではないのか」

「いいえ、良いのです。貴方様がいらっしゃらなければ、どうせ女たちに奪われていたものですから。……受け取って下さいまし」


 熱心に言い募られて、ツチラトは戸惑いがちに、差し出された杯を受け取った。そこへシャールカは丁寧にお酌をした。同じように、従者たちにも、シャールカは蜂蜜酒を注いで回った。


 そうして賑やかな宴が始まった。


 やけに酔いの回るのが早いように、ツチラトには感じられた。それは、このシャールカという娘が、優しく美しいことと、無関係ではあるまい……。

 ツチラトは否応なく彼女に惹かれる自分を意識しつつ、杯を煽った。


「まあ、素敵な飲みっぷり。さあ、もっとお召し上がりになって」


 シャールカは惜しげもなく、次々と酒を注いでいく。

 しかし、こんなに大盤振る舞いしてもらって、シャールカは大丈夫なのだろうか。

 ……それにしても旨い。

 ……美女と、美酒と……。

 いいことをしたものだ……。


「……まあ、そのように……」


 シャールカの声が遠くから聞こえる。

 些か飲みすぎたかもしれない。これから帰らねばならぬというのに……。

 頭がぐわんぐわんと揺れるようだった。こんなに酔ってしまったのは久方振りだ。体が力を失って、つい地に倒れ込んでしまう。眠い。気持ちがいい。


「……そう、それで良いのですよ……」


 シャールカが何か言っている。そして、意識が遠のきかけるツチラトの耳を、唐突に貫くものがあった。


 ──角笛の音。


(なに……)


 ツチラトはハッと正気に返った。霞む目で辛うじて捉えたのは、シャールカがあの角笛を首にかけ、力一杯に吹き鳴らしている姿だった。


(……まさか……!)


 ツチラトは慌てて立ち上がろうとしたが、手足に力が入らない。サッと周りを見渡すと、従者たちはみな酔い潰れて眠りこけている。

 そして恐ろしい音が聞こえてきた。武装した一団がこちらへ駆けてくる音。


(謀られた……!)


 女たちがやってくる。やはりこれは罠だったのだ。このツチラトが、迂闊にもまんまと騙された!


 混乱の中、逃げようともがくツチラトの顎を、シャールカが強引に捉えた。そして、残った蜂蜜酒を、みんなツチラトの口に流し込んだ。


「死んでね?」

「ごぶっ……!」


 だんだんと迫りくる軍靴の音と、ふふ、というシャールカの笑いを聞いたのを最後に、ツチラトの意識は途切れた。




 おわり


 ── 古代チェコ神話「乙女戦争」より抜粋、一部脚色

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蜂蜜酒と角笛の音 白里りこ @Tomaten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ