決して咲かぬ花の閉じた幸福

砂塔ろうか

滝をのぼる鯉にはきっと覚悟がある

 どこにでもいる普通の14歳、シャルの生活はいま、崩壊する寸前だった。

「シャル……お父さんの経営するフーゾク店がピンチなんだ」

「はい?」

「最近、妙にヤル気のない客が増えててな……お父さんが持てる限りの人脈とコネを使って700年前の勇者の封印から解き放ったサキュバス三人に、ストライキを起こされそうなんだよ」

「色々ツッコミたいとこはあるけど、おとーさんは14歳の娘にそんな話してどうしてほしいんですか」

「いや……もし店が潰れたらさ、今の生活は続けられないから今のうちに、と」

「……でも、おかーさんの絵が売れれば」

「あの、やる気の波が激しいお母さんに安定した収入を期待できると? 学院の講師だっていつまで続けられるか分からないのに……」

「う……」

「そういうわけだから、シャル。なんとかしてくれ」

 父親の顔を見て、シャルは確信した。

 ――あ、これ本気で言ってるやつだ……。



「……と、言うわけでスミレちゃん。どーしたらいいと思う?」

「ど、どうしたらって言われても」

「だよね。ごめん」

 先日あったばかりの転校生に愚痴ったことを反省し、シャルは学食のオムライスを口に入れる。この決して安くないオムライスを食べる日々も、あと少しで終わってしまうと思うとシャルは少し憂鬱になった。

「あ、あの……実は私、」

 そんなシャルを心配してか、スミレが声を発したその時。

「諦めないで! シャルちゃん!」

 割り込む声。

 いつの間にか、シャルとスミレのテーブルの真横に、銀髪の少女が立っていた。

「あ、アルさん……?」

「安心して、シャルちゃん。きみのおうちを貧乏にはさせないわ」

「アルさん」

「――だってわたしの住むところが無くなっちゃうからね!」

「アルさん?」

「あ、あのシャルさん。この人は?」

 困惑するスミレにシャルは答える。

「この人はアルさん。おとーさんが拾ってきた自称16歳の居候」

「よろしく!」

「へ? あ、は、はい……よろしくお願いします」

 スミレは頭を下げた。

「で、アルさん。その様子だと何か策があるっぽいけど……」

「ああ、うん。それはね、」

「不審者発見――ッ! そこの女! 貴様、学院の生徒じゃないだろう! ちょっとこっち来い!」

「え、あ、あれ……? 守衛さんはスルーできたのに……」

「グダグダ言うな! 話は警備室で聞く!」

「じゃ、続きは今日の夜ねー」

 突然現れた警備員に連れ去られていくアルをシャルとスミレは見送ることしかできなかった。

「大丈夫なの?」

「まあ、アルさんだから……」

 微妙な空気を打ち壊すべく、シャルは新しい話題を求めて――今朝のホームルームでの担任の剣幕を思い出した。

「そういえば、スミレちゃんはなんて書いたの? 進路調査票。なんか今朝、先生が空白のまま提出する連中が多すぎる!って怒ってたけど」

「あ、私はとりあえず『生きたい』って書いたよ」

「それは進路じゃないんじゃないかな?」

「だって成りたいものなんて、私にはないし……そういうシャルさんは?」

「ん? 私はね、ずっと昔から決めてるんだ。私の夢は――」

 シャルははにかみながら言った。

「助けを求めているのなら勇者だって魔王だって、お構いなし! みんなを助けるヒーローになること!」



「それでシャルちゃん。お昼の話の続きなんだけど」

 家に帰ると、部屋にはすでにアルがいた。

「この腕輪をして、みんなの心に巣食う雑草を抜いてほしいの」

「雑草?」

「そう。遥か昔に魔王が独占したはずの『呪い』――その一つがなぜか世界に解き放たれてしまった。最近、そこかしこで人々が無気力になってるのはその呪いが養分を得るための“種”をバラ撒いて、人間の魂の力――意志の力を吸い取っているからなの」

「だから、この腕輪でその『呪い』の雑草を引っこ抜けばいい、と?」

「ええ。そうすればお店に来るお客さんのヤル気も戻るし、お母さんの気力も多少はマシになるわ。もちろん、それ以外のみんなも、元に戻るでしょう。あ、ちなみにその腕輪には『装着者をあらゆる呪いから護る加護』を施してあるから、きみが無気力になることはないよ」

「…………」

 シャルは、腕輪を装着した。

「おめでとう。シャルちゃん――これで、きみはヒーローだ」



 それから、シャルはひたすらに『呪い』の草を抜いた。

 腕輪にはセンサーが搭載されており、それで心に草が巣食っているのかを判別することができた。草を抜く際、対象者の胸に手を突っ込む必要があるのには(腕輪に搭載されている認識阻害機能で草抜き中の姿は認識されないとはいえ)困らされたが、自分の活動によって人々が気力を取り戻していく姿にシャルは喜びを得た。

 しかし一つ。シャルには気がかりなことがあった。

 腕輪の誤作動である。

「どうしたの、シャル?」

「う、ううん。なんでもないよ、スミレ」

 シャルは腕輪をちらと見る。腕輪はスミレに『呪い』の草があると告げていた。しかし、スミレの心に草はない。それはシャルが毎日確認している。

 ――これは、どういうことなんだろう。

 アルは基本的に倉庫に籠もりきりで、聞こうにも聞けない。シャルは己の推測が外れていることを祈り、『呪い』の草を抜き続けた。

 結局、アルに会えたのはスミレが倒れてから、5日目の夜のことだった。



「早速で悪いけど、シャルちゃん。スミレちゃんを殺す覚悟はある?」

「は……?」

 アルの言葉はシャルの頭の中に渦巻くあらゆる言葉を霧散させた。

「もう、察していると思うけど、彼女だよ。『呪い』の本体」

「そ、それってどういう」

「きみが今まで抜いてきたのは呪術生命『ユメワタリスミレ』の子供たち。親であり本体である彼女に養分を与えるための端末――わかりやすく動物で例えるなら、食べ物を得るための手足、あるいは消化するための胃や腸といったところかな?」

 見えないふりを続けていたかった。けれど、あまりに筋が通っている。

「そういえば、彼女が転校してきてからだよね。みんなが無気力になりだしたの。あと、被害者は特に学院関係者が多いってことも、気づいてるよね」

「だから、殺す?」

 シャルは問う。ぎらぎらと光る目でアルを睨んで。

「うん。シャルちゃんが今まで通り草抜きを定期的に、彼女に問題のないギリギリのラインでやってけば、今まで通りの日々を送れると思う。家計が火の車になることも、きっとない。

 けど、困るんだ。彼女の種は拡散の意志を持っている。種がシャルちゃんの活動圏を抜け出てしまえば、もはや親である彼女を殺す以外に対処のしようがない。これがもしも今、表舞台で戦いを繰り広げているニセモノの勇者と魔王にまで及ぶと、最悪世界が滅びるからね。……あ、ちなみにその腕輪は希少な鉱石とか使ってるから、量産はムリだよ」

「……じゃあ、わたしが、」

 ――ずっと、考えていたことがある。

 畳み掛けるようにしてアルが告げる情報は殆ど、シャルの推察していた通りのものだ。見ないフリをしてきただけで、だいたいはもう知っていた。

 だから、シャルは考えていた。もしも、万一、スミレが例の呪いの拡散源で、スミレを殺せば万事解決、なんて話だったら――自分は、どうするべきなのかを。

 答えはとっくに出ていた。

「わたしが、わたしが、スミレに意志の力を食べさせる!」

「できるの?」

「もうやってる」

 シャルが袖を捲って見せた腕に腕輪はなかった。

「まさか」

「アルさんの想像通り……あと、そろそろかな」

 コンコン。

 シャルの部屋の扉がノックされる。

「入って」

 シャルが応えると、扉が開かれ、部屋に少女が入ってくる。

「こ、こんにちは……」

 スミレだ。

「寮の個室に籠もってるんじゃなかった?」

「あれはただの風邪。きっかけは確かに、養分不足だったのかもしれない。でも私が腕輪を外して、二三度お見舞に行ったらすぐ快復したから」

「……それは思い切りが良すぎない?」

「なに言ってるの。私はみんなに助けるヒーローになるんだから。このくらいはできて当然」

「あ、あの……?」

「ああ、ごめん。とりあえずスミレはここに座って」

 シャルは自分のベッドの上を手で叩く。

「……なるほど、その様子だと確かに問題はないみたいね。なるほどね、シャルちゃんは本物だったか」

「なにか文句はある?」

 アルは両手を挙げて降参のポーズをとった。

「文句なし。……だから、記念品を贈らせてほしい」



 アルが二人を連れて訪れたのは、倉庫に地下に設けられた工房だった。

「いつの間にこんなところを……」

 シャルが呆れ混じりに呟く横、アルが壁に立て掛けられた一本の鎌を指差す。

「あれが、スミレちゃんを殺すために作った鎌」

「えっ」

「ああ、安心して。あれはシャルちゃんがきみを殺すと決めたとき用だから。もういらない」

 そう言って、アルは手から出した光球を投げつけて鎌を破壊した。

「きみ達二人に渡すのは、これ」

 と、アルが指さしたのは一対の指輪だった。基本的なデザインは同じだが、嵌められた宝石の色は違う。一方は白、一方は紫。

「白がシャルちゃんので、紫がスミレちゃんのね」

 そう説明して、スミレとシャルに指輪をつけるよう促す。

「それはスミレちゃんの種を無力化し、拡散を防ぐ指輪。それを嵌めていると、対応する指輪を嵌めているシャルちゃん以外の人から養分を吸収できなくなって、ほかの人の持つ種は枯れて死ぬ。――それからあと、これね」

 シャルには、きらきらと輝く石の嵌められたペンダントを。

 スミレには、錠剤を。

 アルはそれぞれ渡した。

「その石は祝福の石。きみが本物であり続ける限り、きみの行く道は何者にも阻まれず、魂の力を増幅させる石」

 説明はよく分からなかったが、シャルはペンダントを付けた。

「で、その錠剤は『呪い』に過ぎないスミレちゃんに魂を与える薬」

「え……?」

「よーするに、スミレちゃんはある程度、自給自足ができるようになるってこと」

「アルさん……ありがとうございます」

 スミレは涙を零し、アルに礼を言った。

 その光景に、シャルは胸の熱くなるような充足を覚えた。

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