ある雑草の広がりについて

水上雪之丞

第1話

 シスグサという草をご存じだろうか。冷帯から温帯まで見られ、すべての大陸に生息している草である。背の低い草で濃緑色の丸い葉が連なっている。小さな花を咲かしよく種が取れる。この草の原産はヨーロッパであり、そこから全世界に伝播したといわれる。シスグサは和名であり、”死す草”からきている。この和名にはこの草の伝播にもまつわる面白い逸話がある。

 この草が伝播した理由を語るのに欠かせないのが、シズグサと呼ばれたある花である。シズグサは”死ず草”からきており、この花はシスグサに非常によく似ているが、一点大きく異なる点としてラッパ状の大きな花をつける。白の薄い花びらに紫色の淡い筋が縦に走る非常に美しい花でその花は一度咲くと適した環境において生育を続ける限り枯れないという。枯れない花、だから”死ず草”というわけだ。ただし、その花を咲かせることは非常に難しく、よほど植物に精通した人間でないとさかせることは不可能であるといわれている。

 ここまで聞いて、植物に詳しい者や聡明な者は気づいただろうがシズグサなどという枯れない花を咲かす植物はない。ではなぜこの存在しない花がシスグサと関係があるのだろうか。

 18世紀のこと、ある貴族のもとにシズグサの花が献上された。献上したのは彫金技師の男である。その男曰く、自分は田舎では農家の親を持ち植物に詳しい、ある日シズグサの株を見つけ家に持ち帰り、父に教わったシズグサの開花方法を思い出しながら丁寧に育てた。手持ちの株のうち一つだけ花が咲き、それを貴族様に献上に伺った、と。貴族は大いに喜び、その彫金技師を懇意にし、取り立てた。

 そうなると周りの者から見れば、一介の彫金技師がその辺の雑草に花を咲かせてそれなりの収入と貴族御用達の名誉を手に入れて一躍有名になったわけで、面白くないと思う者やその高名にあやかろうとする者、自分も同じように花を咲かせようと思う者が現れるのが道理である。シズグサはどこで手に入るのか、どのように咲かせるのかということをひっきりなしに問いかけられることになった。

 男はそのような者たちにそれは秘密だと言って普段は遠ざけた。しかし、男はそうばかではない。そのようにし続けていれば恨みを買うことはわかっていた。男は酒場でいかにもよて口を滑らせたというような体でシズグサのことを話していった。シズグサはシスグサと似ているが生えているところが違う、一度咲いた花は一切手を触れてはいけない可能なら透明なガラスの囲いに普段は入れる、移動させるときはその生えてる土ごと掘り起して鉢に植え替えて葉や花に水が触れないようにして水をやる、種から育てるほうが花はつきやすい、温度管理が重要であり、日に当てる時間と当てない時間をしっかり分ける必要がある……などなどである。しかしなかなかその男以外に花をつけられるものはいなかった。

 シズグサとは本当にあるのだろうか。それを見たというのは貴族だけではないか。俺たちを担いで笑っているのかもしれない。そのようなうわさが流れ始めたころ、新しい知らせが人々に伝わった。東欧のガラス職人がシズグサの開花に成功した、というのである。これを受けて貴族たちはそのシズグサを買い付けに使者を我先にと送った。チューリップ・バブルの狂奔の再来である。園芸農家もこぞってシズグサを栽培しようと株や種を買いあさった。市場が動き、人が動き、情報が動き、種も動く。ある者はシズグサというのは実は別の地域の食性なのではないかと各国に、似た形のシスグサを持たせて船や人を送りこれに似たものはないかと探し回った。またある者はこれほどの人間が育てて成功例が2件しか聞かれない、生育環境がめったに実現できないためではないかと種子や株を海外に送りその地で育成させた。

 このころスキャンダラスな事件も起きた。最初に花を咲かせた彫金技師の男が死んだのである。よって端から落ちたというのが警察の見立てであったが、秘密を話さなかったため殺されたのだとか、シズグサにその命を吸われたのだとか好き勝手にその死は語られ、さらにシズグサは人々の耳目を引いた。熱狂はとどまることなく、シズグサの種や株の値段はとどまることを知らず、シズグサだと言われればすべてヨーロッパに集まり、また植生豊かな地に育成のために送り込まれた。このようにして「シズグサ」は一気に世界中に伝播した。そのあとは各地で生域を広げ今に至るのである。

 最初に言った通り、枯れない花を咲かす花などなく、よってシズグサは存在しない。多くの人々はシスグサの株や種をシズグサだと言って投機狙いの貴族や園芸家に売りつけ、買っていたのである。では最初の男が貴族に献上したシズグサとは何であったのか。19世紀の歴史研究家リチャード・ベイカー『黄金の花――チューリップ・バブルとその影響――』の中の一節によると「この男は彫金技師であり、その花は彼の技術、それは園芸家としてのものではなく彫金技師としてのものであるが、によって作られた造花である。造花であるが故に枯れるわけはなく、造花であるがゆえに触れられないようにするためその花の育成条件は開花条件よりもはるかに細かく定められていた。」と書かれている。偽りの花に人々は踊らされ、雑草を高価な値段で買いあさり踊っていたわけである。

 それゆえシスグサのヨーロッパの花ことばは「嘘」と「熱狂」であり、シスグサという和名も花の枯れない死なない草ではなく死ぬ草であることからこの名前になっているのである。

 





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