拡散する種 -Pepper Mint Murder-

OOP(場違い)

本編

「犬山で宝探しが流行ってるらしいよ」


 新聞部部室。空乃そらのが突然そんなことを言い出す。

 犬山とは、ここ大正たいせい市の郊外にちんまりとそびえる小さな山で、野良犬が多いことからそう呼ばれている。正式な名前を知る市民は1割にも満たないだろうが、私のお父さんくらいの世代は子供の頃、犬山で毎日泥んこになって遊んでいたそうだ。


「なんだよ、突拍子もなく」

「いや、さき、椅子に座って今にも寝そうになってたから。退屈しのぎに世間話でもどうかなと思って」


 にこりと笑って紅茶を私の前に差し出す空乃。ありがと、と言って顔の近くまでカップを持ってくると、清涼感のある香りが鼻をくすぐった。ミントティーか。

 めったに来ないから好き放題やらせてくれる幽霊顧問と、去年の文化祭の時に持ってきたポットを面倒くさがって持ち帰らないキヨに感謝し、ふぅふぅしながら香りを楽しむ。猫舌なのですぐには飲めない。


「6月末あたりから、犬山で何かの植物が異常に繁殖してるんだって」

「……何かって何だよ」

「さぁ。噂してるのは小学生くらいの男の子たちだし、草の種類とか名前には興味無いみたい」

「小学生男子って感じだな」

「で、異常に増えている植物を見て、『無限に増える魔法の種がある』とか噂して、一部の男の子たちが熱心に山を探検してるらしいよ」

「はぁ。この2018年の日本で、そんな原始的な外遊びが流行ってるのを聞くと、大正市って田舎なんだなって感じるよな」

「元気があっていいじゃん」


 今はもちろんだが、私が小学生の頃でも、『無限に増える種』なんてものを信じる無邪気さは持ち合わせてなかったと思う。

 高校2年の夏休み直前のこの時期。そろそろ進路のことも考えださないと……という状況だからか、そんな無邪気さを持った子供たちがひどく楽しそうで、うらやましく思えた。

 紅茶を軽く啜る。ふわっと香るすっきりしたミントの香りが、さっきまで私を包み込んでいた浅いまどろみの中から引っ張り出してくれる。

 窓から差す陽の光が、長机の上にまっすぐきれいな金色の道を作り出した。


「……夏休み明けだったっけ、進路指導始まるの」

「え? あー、そうみたいだね。今年から早くなるとか何とか」

「空乃は何か考えてんの、将来のこと」

「なんで今その話ー? 犬山の話してたじゃんかー」

「さっき終わっただろそれは」

「全然終わってないよ! 犬山で増え続ける植物の謎を、この新聞部の名探偵であるところの小池咲大先生に解いてもらいたかったのに」

「誰が探偵か」


 なんかこのやり取りも久しぶりだな。2年になってから謎解きの真似事みたいなのはほとんどしてこなかったし。

 進路、進路かぁ。と、空乃は今年からお団子に髪型を変えた小さな頭をゆらゆら揺らして、眉間に皺を寄せ考える。


「……好きなことで、生きていきたい」

「ユーチューバーかあんたは」

「でも実際そうじゃない? 共働きの時代だし、女子でも社会人になったら60ウン歳まで働かなきゃかもしれないじゃん。好きなことじゃなきゃそんな歳まで続けらんないよ」

「そんなもんかね」


 好きなこと、か。

 そうだよな。去年末から水泳をめちゃくちゃ頑張りだした下邨しもむらとか見てても、体育大学に行ってプロを目指すために大会で実績作るんだ、って頑張ってるし。

 進路とか将来とか、漠然としすぎていたイメージが、多少は具体的になったかもしれない。


「って言ってもなぁ。仕事にしたいほど好きなことって、そんなないよねぇ」

「そうだなぁ……」

「咲は探偵とかあるじゃん」

「好きじゃないっての。空乃こそ、人とお喋りするの好きそうだし、詐欺師とかになればいいじゃん」

「嫌だよ! もっとあるでしょ、人とお喋りする仕事!」

「落語家とか?」

「『人と話す』じゃないでしょそれ。『人に噺す』だよ! 話振ったの咲なんだから真面目に考えて!」


 たしかに。もう少し真剣に考えてみよう。


「空乃……マスコットとか好きだよな。何だっけ、『さらさらアンちゃん』?」

「『すかすかランタン』ね。次間違えたら3日口聞かないから」

「だからデザイナーとか……あと、小説書いたりしてたじゃん。それは?」

「うーん……どうだろ。絵も小説も好きだけど、両方趣味だしなぁ」


 そうだよな。好きなことは明確にあっても、それを仕事にするという感覚を持つのは難しい。


「とりあえず私は今答え出なさそう。咲の方考えようよ。咲が好きな物は、猫とかだよね」

「ペットショップ店員とかか? イメージ湧かないなぁ……」

「動物学者とかもアリじゃない? 咲、勉強できるし、ここからいくらでも目指せるでしょ」

「いや。猫は可愛いから好きなだけで、生態とかそんな興味無いし……」

「でも前、私が野良猫にスーパーで買った牛乳あげようとしたらめちゃくちゃキレてたじゃん」

「人間用のやつなんか飲ませたらお腹壊すからな。……って、そんなレベルの生態知識で学者目指せると思ってるのか? あんた」


 その後も色々と話してみたが、将来のビジョンは一向に見えず。


「ダメだな……まぁそんな数分お喋りして解決することじゃないよな」

「そうだねー。あ、そういえば動物学者の小池教授に聞きたいんだけど」

「ならねーっつってんだろ足踏むぞ」

「さっき話に出た犬山なんだけどさ。友達の弟さんが言うには、そこに住んでる犬が、最近よく草を食べては吐いてしてるらしいんだよね。なんか分かんない? 教授」

「そんなの分かるわけ……あー……いや、分かるかも」


 昔飼っていたマープルが病気になって、色々ネットで調べてる時に、似た話を見た気がする。


「……吐瀉物に、毛玉は含まれてなかったか?」

「あ、そうそう! 言ってたよ。排水溝に溜まってるみたいな毛の塊があったとか」

「やっぱりな。犬は体の中の毛玉を吐き出すために、自分の食べれない草を食べて、毛玉と一緒に吐こうとすることがあるんだよ」

「へぇー! いや、やっぱりすごいじゃん咲!」

「いや、別にこれぐらい普通だよ。ネットの聞きかじりの知識だし……」


 そう言って、冷めかけている紅茶をさっきよりも多く口に含む。喋りすぎて乾いた喉を、ミント味がすっと潤す。


「……あ」


 頭の中で、不意に、点と点が線で繋がる。


「分かったかも、犬山の植物の謎」

「へ? 何の話?」


 いやあんたが振った話だろうが。話を脱線させた私も悪いけど。


「犬山で植物が異常に繁殖してるって話だよ」

「あぁ。そんな話もあったねぇ、懐かしいねぇ」

「10分も経ってないけどな」


 お婆ちゃんみたいな声で数分前を懐かしむ空乃に、私はカップを置いて、伸びてきた前髪をいじりながら話す。


「……さっき言ってた犬山に住んでる犬、地面掘るクセないか?」

「へ? ……あーうん。そんなことも言ってた気がするよ。地面掘って、中の植物の根とか食いちぎっちゃうんだって。さっき言ったみたいに草を食べて吐く時も、穴を掘ってゲロを埋めるらしいよ。お行儀いいよね」

「なるほどな」


 犬も植物も、そこまで詳しく生態を把握しているわけじゃないから、確信を持っては言えないけど。


「無限に増える魔法の種。その植物の正体はおそらく……これだよ」


 そう言って、私はスマホを操作しながら、目の前の紅茶を指さした。

 空乃が、きょとんと首を傾げる。


「……まさか、ミント?」

「そう。ミントの繁殖力はまさに異常で、雑草以上とも言われてるんだ。茎や根をちぎって別の場所に植えたら、だいたい5ミリもあればちぎった両方再生して繁殖すると言われてる」

「へえー……あ。そうか。犬が食いちぎるから……」

「食いちぎられた方も、そして食いちぎられて吐き出された方も、ミントは再生して根を伸ばし成長する」


 お、出た出た。

 私はさっきまで操作していたスマホの画面を空乃が見やすいよう机に置いた。


「このサイトによると、ミントの葉や茎が育つのは3月から9月。今の時期に当てはまる」

「はぁぁ。なるほど」

「住んでる犬のクセと、ミントの生態が噛み合って起きた現象ってことだな。ま、夢を壊さないように小学生どもには黙っておいてやってくれ」


 紅茶を飲み干す。

 雲によって陽は翳り、窓から差し込む光によってできていた机上の金色の道筋は、跡形もなく消え失せていた。

 私は溜め息を吐いてカップを置く。


「なんだかんだで解いちゃったねぇ、謎」

「嬉しそうだな。足踏んでいいか」

「それにしても、犬やミントの生態まで知ってるなんて。やっぱり、その知識を活かせる仕事を目指したらいいんじゃない?」

「知識を活かすの好きじゃないんですけど」

「やれやれ。好きなことばっかりやってて生きていけると思わない事だね。そんなんじゃ社会人としてやっていけないよ」


 …………。


「今、見つけたわ。好きだし、向いてると思う仕事」

「え、なになに?」

「ツッコミ」

「え」


 椅子を立ち、長机をぐるりと回って空乃の後ろ側に回る。

 そして、部室にあったいらない新聞紙を軽く丸めて、ぐわっ、と振りかぶる。


「ちょ、ちょっと、あの」

「あんたが『好きなことで生きていきたい』って言ったんやろがーい」

「めっちゃ棒読み! 向いてないから! あとツッコミなんて職業は無……」


 スパーン!


 午後3時の東大正高校に、新聞紙の軽やかな打撃音が響き渡った。

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拡散する種 -Pepper Mint Murder- OOP(場違い) @bachigai

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