ロンドン・コーリング

66号線

...And they lived happily ever after.

「はい、笑って」

 カメラマンがフラッシュを焚く。艶やかな振袖姿の俺はにっこりと笑って写真に収まる。俺は特異体質で、閏年の二月二十九日だけ女になる。二十歳を迎えた今年もご多分に漏れずディズニー映画に出てくる「シンデレラ」そっくりの美女に変身した。「女の子が生まれたら成人式にこれを着せたかったのよね」と母親が用意した青地に手毬柄の振袖に身を包み、記念撮影に臨んでいるわけだ。


「あんたって、本当に男にしておくの、もったいないわね」

 表参道ヒルズ内のスターバックスで、スマホで撮った美しすぎる晴れ着スタイルの俺の写真を見ながら、幼なじみのチコがからかった。幼なじみと言ったが、高校一年の夏から付き合ってもう四年目になる。生まれた時から一緒で、何をするのも一緒だった。これまで秘密はずっと共有してきたし、お互いに知らないことはない。そう思っていた。奴の口から「ロンドンに留学して、そのまま現地で就職するつもり」と告白されるまでは。俺は飲んでたキャラメルフラペチーノを吹き出しそうになった。

「でも、いつかは帰ってくるよな?」

「分からない」

 伏し目がちのまま、俺の顔を見ない。両手でコーヒーカップをそっと持ち上げ、チコはゆっくりと縁に口付けた。

「そうか……まぁ、元気で頑張れよ」

 俺はそう返すのが精一杯だった。


 月日が流れるのは早い。日めくりカレンダーはいくつも破られ、ついに俺の恋人が日本を経つ日付を示した。ロンドン留学の話を切り出されてからなんとなくお互いによそよそしくなり、顔を合わせられずにいた。二人の絆は、こんなにも簡単に消えてしまうのだろうか。

 落ち込む俺にお構いなしといった感じで、自室の床がぐるんと百八十度回転した。まさかの「どんでん返し」に、俺はなす術なく暗闇に落ちていった。



「勇者様、目を覚ましてください」

 両サイドに三本の縦線が入ったブルーのドレスが似合う、とても美しいお姫様が俺の顔を覗き込んでいた。いつかの不思議な冒険で出会ったストライプス姫だ。するとここはワンダーランドか。その証拠と言わんばかりに、俺は今、ドイツのロマンチック街道沿いにありそうなお城の塔のてっぺんにいて、かつて石の台座から引き抜いたエクスカリバーがそばで転がっていた。

「その聖なる剣はあなたしか使えません。お願いです。もう一度、この国をお救いください」

 ストライプス姫によると、俺とチコが倒したはずの魔王デビルキングが息を吹き返し、ワンダーランドに対して復讐を果たそうとしているらしい。俺は戸惑いを隠せなかった。あの時はチコの魔法があったから倒せた。だけど今回は、彼女はいない。気づけば頼り切ってばかりの自分が情けなかった。チコがいなくても、やれるんだ。これからは何だって、自分の力でやり遂げてみせる。そう決意を固めると俺はエクスカリバーに「久しぶりだな」と声をかけ、優しく撫でた。


「くくく……間抜けな奴だ。殺されに舞い戻ってきたか」

 かつてはワンダーランド国王のものだった玉座に鎮座し、魔王デビルキングがせせら笑う。

「それはお前だ。もう一度、息の根を止めてやるぜ」

 言うや否や、俺の後頭部に鈍い衝撃が走る。膝をついて振り返ると、棒のようなものを持ったストライプス姫が後ろに立っていた。ストライプス姫は大声で笑うと、頭に折れ曲がった悪魔の角を生やした。笑い声は気味の悪い声へと変わり、ブルーのドレスは破れ、みるみる魔王の姿になった。ズキズキと痛んで働かない頭の中は疑問符でいっぱいだった。デビルキングが二人いる……?

「馬鹿め、そいつは偽物だ」

 突然現れた魔王がパチンと指を鳴らすと、鎮座していた方が玉座ごと消えた。魔王デビルキングはストライプス姫に化けていたのだ。

「さて、お前の特別な能力を拝借させてもらうとするか」

 黒くて長い爪が俺の髪の毛を一本摘んで引っこ抜いた。それを魔王が飲み込むとエクスカリバーが緑の炎に包まれ、呪いの剣へと変貌を遂げた。完全に剣は悪の手に渡ってしまった。

「ゴーレム、この間抜けを地下牢に連れて行け。そこで静かに処刑の時を待つが良い。わははは」

 頭痛で記憶がだんだんと霞んでいくなか、不気味な悪の笑いが耳にこびり付いて残った。


 五年振りにぶち込まれた懐かしの地下牢には先客がいた。

「こんな形ではありますが、あなたと再びお会いできて嬉しいです」

 ストライプス姫が丁寧なお辞儀をした。本物の方がはるかに美しかった。隣には黒いパーカーを目深に被った黒づくめの男がいる。エクスカリバーの存在を教え、俺とチコを最初にワンダーランドに呼び寄せた張本人だ。

「あんたは、あの時の。どういうことだ?」

 おもむろに男はパーカーを脱いでご尊顔を初公開した。言葉では表せないほどの超絶イケメンだった。

「彼は私の幼なじみです」

 姫とイケメンはお互いに見つめ合い、えへへと微笑みあった。美男美女の周りだけ花が散ったかのように穏やかなムードを放っている。

「ああ、そういうこと……」

 俺は全てを悟った。多幸感でむせ返りそうな二人のロマンスの話はこれくらいにして、反撃の作戦を練り始める。

「もしかしたら、この世界にもあるかもしれない」

 俺の頭に豆電球が灯った。

「目には目を、だ」


 全ての邪魔者を排除することに成功した魔王デビルキングは、王の間で「悪の最高指導者」という称号の甘美さに酔いしれていた。

「今度こそ全国民は私にひれ伏すのだ。わはははは」

「大変です、デビルキング様。勇者が来ました」

 魔王の元へ馳せ参じたゴーレムは、異常事態を報告するや否やその場に倒れた。ほとんど同時に王の間の扉が勢いよく開いた。

「ほう、勇者よ、もう私と遊びたくなったか。しかしエクスカリバーのないお前など取るに足りぬ……なんだと?」

 軽く見積もっても五百人余りもの"勇者"が隊列をなし、弓や槍、斧などを持って一斉に雪崩れ込む。いくら攻撃されてもバルーンがパァンと音を立てて割れるだけだ。俺は素知らぬ顔でたくさんの勇者に紛れ、先ほど言われた台詞を返してやった。

「馬鹿め、こいつらは偽物だ」

 この世界にも人型バルーンがあって良かった。

「お前ら全員ぶっ潰してやるぅ!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 真っ赤に充血した両目を釣り上げた小太りの男がおもちゃのナイフを手に突進し、手下のガーゴイルどもを次々と吹っ飛ばしていく。当然ながら、彼も俺が人型バルーンで作り上げたスペシャルゲストだ。

「どうなってるんだ」

 状況を把握できずにたじろぐ魔王の肩を叩く者がいた。迷彩柄のタイトパンツ姿が目印の、あらゆる世界を救う正義のヒーローだ。

「あたしのことも忘れないでよね」

「またお前かよ。てかちょっと雰囲気変わった?」

「あら、どこかで会ったかしら? まぁいいわ。初めまして、さようなら」

 スーパー女子高生のパンチ一発で、あわや魔王デビルキングの野望はまたしても潰えたのである。

「おっと、次の世界を救いに行かなくちゃ。数学のテストもあるし。じゃあね」

 正義のヒーローはウインク一つ残して慌ただしく退場していった。




 ロンドン・ヒースロー国際空港行き、ブリティッシュ・エアウェイズ直航便の搭乗手続きを開始したと電光掲示板が知らせる。待ち人の到来を心のどこかで期待し、ロビーのソファでじっと待機していたチコだが、やがて微かな望みを振り切るように立ち上がると、パスポートを片手にチェックインカウンターへと向かった。

「待ってくれ」

 呼び止める声の主はようやく現れた彼女の恋人だった。よほど急いできたのか息も絶え絶えな様子だ。

「チコ、俺、もっと頑張ってお前にふさわしい男になるよ。何年かかっても、きっと自立した良い男になってお前を迎えにいく。だから、もし、その時まで気持ちが変わらなければ」

 俺は顔をあげて真っ直ぐに彼女を見た。

「俺と結婚してください」

 俺の恋人は涙を浮かべていた。

「あんたが、男で本当に良かった」

 抱きしめ合う二人に自然と拍手が起こった。羽田空港の国際線旅客ターミナルが祝福で包まれた。



 賢明な読者なら、もう分かるだろ?

これ以上は野暮ではあるけど、ちょっとだけ、俺とチコのその後について書いておこう。


 

 大晦日のイギリス・ロンドン。今夜はハイドパークで数十年ぶりに完全復活を遂げた伝説のロックバンド・ブルーローゼズの大型野外ライブが開催されていた。

「復活の時をともに楽しもうぜ」

 ボーカルのイワンの声に応じるかのように、世界中から詰めかけた十万人以上のファンが叫ぶ。ジョシュのサイケデリックなギターリフがバンドの新たな代表曲「アイ・アム・ザ・レザレクション」のイントロを紡ぎ出すと、アレンによる目にも留まらぬ速さのドラミングとマックスのヒップなベースラインが加わる。フロアはますます熱狂した。

 俺とチコは、お揃いの結婚指輪をはめた手を固く繋いだ。唇と唇がもう少しで触れ合うまで近づくと、荒ぶるロックキッズたちが起こしたモッシュに俺だけあっという間に巻き込まれて暴れ狂うファンたちの頭上にダイブした。

「やっぱりイギリスでもダイブする宿命みたいだ」

 青いバラの花びらを模した紙吹雪が舞って、その中でチコが満面の笑顔を見せた。ビッグ・ベンが鐘の音で新年の訪れを知らせる。澄んだ冬の夜空を花火が彩り、その下で無邪気に笑い合う俺たちをロンドン・アイがいつまでも見守っていた。

 

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