彼女と共に、生きられたのなら

入川 夏聞

本文

      一


 ねえ。私にも、周りの人たちのように“自我”というものがあるのだとしたら、それが芽生えたのは、つい最近のことだと思う。なぜなら、私には“お父さん”の記憶も、“お母さん”の記憶も、何にも無くて、気づいたらもう、この小さな白いお部屋の中で、一人ぼっちで横たわっていたのだもの。


 一人ぼっちということは、私はきっと、もう“家族”というものから独立をして、生きているのだわ。だって、そう書いてあったもの。


 ほら、あそこ。私のお部屋の片隅にある、腰の高さほどの茶色の棚には、お勉強用の本がたくさん、置いてあるの。

 どの本にも大きな見開きいっぱいに、あざやかな色の絵が描いてあって、それに寄りそうように、ロマンティックな文が、書いてあるの。

 それによれば人間は、昔、怪獣や鬼にすぐ食べられてしまう弱い生き物で、神様の与えた力や魔法に頼っていたんですって。不思議よね。


 “家族”についても、書かれてあるわ。“お父さん”は、とても怖いけれど、頼りになる大人。“お母さん”は、反対に優しくて、いつもなぐさめてくれる大人。ううん、それだけではなくて、もっとたくさんの種類の“家族”が書かれていた。びっくりするのは、一人の人間に必ず、一組の“家族”がいるんですって。……不思議よね。


 そんな本を読んでいると、なんだか言い表せないのだけれど、とにかく最後にはとっても暖かい気持ちになるお話ばかりで、言葉に出来ない部分はきっと、魔法のようなものなのかも知れないわ。そして、いつも考えてしまうの。


 私は、なぜ、“一人ぼっち”なのだろうって。


      二


 薄暗い会議室のコンソールには、すでにこの会議に招聘された各セクションを代表する閣僚級の面々が写し出されていた。超量子通信網を利用した遠隔会議のため、この会議室中央の大きな円卓下に納められたルーティング装置から時折、独特の電子的臭気に似た匂いが、ドクトル・チョリソーの鼻を突いた。彼は微かに顔をしかめたが、元より深く刻まれた眉間や頬の皺がわずかに揺れた程度にしか見えず、緊張感を要するこの会議のお歴々からは特に指摘は無かった。彼は神経質な指先の動きで手元の資料を再度確認してから、おもむろに話し始めた。

「ええ、皆様、大変お忙しい中……」

「おいおい。いい加減にしろ! 忙しい我々が今、奇跡的にオンラインで揃ったのだ。必須メンバーが揃っているうちに、今回の『新型兵器の完成と“拡散する種”計画の今後について』とやら、さっさと要点を述べたまえ!」

 勇敢で鳴る統合航宙軍総司令兼軍務省長官のアルデバラン元帥が雷鳴のような指摘を浴びせてきた。ドクトルは一瞬瞑目し心を落ちつけて、早速資料に視線を落とした。居並ぶコンソールの向こうから、紙を繰ったり、タブレットを叩く音が聞こえてくる。

「……予てより、この“拡散する種”計画は、我が連邦国家の星間戦争における兵器開発、とりわけ相手文明に対して、その内部から星全体、種全体に至る崩壊を与えるための大量殺戮兵器開発プロジェクトとして、超法規的なレベルで極秘裏に進められてきたものです」

「ふむ。確かに、私はこの会議のインビテーションで初めて知ったよ、いや、恐れ入った。国務大臣殿は、知っていたのかね」

 二又に割れた顎を揺らしてワイズリー連邦元首が発言すると、サカタ国務大臣は自分のハゲ頭を瞼の裏で見上げるような白目をむいて、肩をすくめた。

 別のコンソール音声オンラインのランプが、ドクトルの横顔を照らす。

「で、どのような新兵器が完成したと言うの? 事と次第によっては大変な問題になりますわね、超銀河フェデレーションにどうエスカレーションするのかも、きちんと考えてらっしゃるの、ミスター・チョリソー?」

「はい、ミス・ファズマ首席広報官殿。まずは完成した兵器をご説明します。そのあとにそう言った問題も話し合えれば……」

「あらあら、これから決めるのね、なんとまあ悠長なこと! そんな有り様では、その兵器もあまり期待出来ませんわね」

 手のひらを開いておどけて見せるミス・ファズマの巻髪が滑稽に揺れると、一同に笑いが起きた。

 その中にあっても、ドクトルの目に、気の緩みは一切認められなかった。


      三


 ねえ。私に“家族”がいないのは、私が大人だからではないって、この前言っていたわよね。

 あれ、少しショックだったんだから。


 あ、責めてるわけじゃないの、教えてもらえて嬉しかったのもあるから、おあいこね。だって、あなたの前の人は、私に何にも、お話してはくれなかったのだから。


 あなたの言うとおり、やっぱり、“家族”がいないというのは、悲しいことなのだと思う。


 確かに、本の主人公たちが最後のページで見せるようには、私はまだ、強くもないし、かしこくもないわ。だから、あなたが言うように、私はまだ、子供なのね。


 そして……“一人ぼっち”、なのね。


 ねえ。手をつなぎたい。今日は少し、このままでいたいわ。


      四


「……元々は神経性の毒ガス兵器でしたが、これはすでに二十世紀から人類における禁忌であったことは皆様ご存じの通りです。そこで、我々は、そのアンチテロメラーゼガスの持つ“子供が一世代しか残せなくなるDNA破壊因子”に着目し、その機能を、とある細菌に移すことにしたのです」

「お前らは、バカかね!? 細菌兵器もほぼ同じ時期に地球では国際条約で禁止されとったわ。その存在が元で、同時期に地上から国が一つ消えたか崩壊したかしたはず。千年も前の歴史を、今度は銀河規模で繰り返そうと言うのかね、バカかね?」

 ドクトルは目元の資料から目を離さなかった。

「バカは頂けませんが、ご指摘はコレクトです、ミシガン民政大臣。たしかに、細菌兵器のままでは、フェデレーションの視察からは隠し通せない。だが、一つだけ、我々は策を編み出しました」

 ほう、と言う声が漏れた。各コンソールからの視線が集まったことをちらりと確認し、ドクトルは続けた。

「要は、に、出来れば良いのです」

 一瞬、疑念のざわめきが起きた。が、すぐに収まった。

「そのために、我々は先程の新種の細菌、リケッチア・イグテロメラルゼを、まずは植物に組み込む研究を始めました……」


      五


 ねえ。今日は、よく晴れていると、思わない? 私ね、晴れている日、とっても大好きなのよ? なぜかしらね。


 あ、今、あなたと繋いでいるこの手を見て、ようやく気づいたわ。


 あの白いお部屋と、このお庭、どちらも同じような広さで、毎日行ったり来たりしているでしょう?

 私が知っている景色の中で、唯一、私の手の届かないもの、変えられないものが、あのお天気。

 だから、その中でも晴れの日って、素敵に感じてしまうんだわ。


 え? どういうこと?

 だって、あなたたちは、いつも白い服を着て、変わらないでしょ?


 うん? ああ、ごめんなさい。まだ読んでいないの。

 あなたが初めてくれたあの本は、今夜、読むつもり。


      六


「……細菌兵器は植物内のミトコンドリアに置き換わり、一世代しか残らない植物は完成しました。そして、チンパンジーの動物実験では、その植物から抜き出した新ミトコンドリアを“万能細胞”に移植して精子と卵子を培養し、それらを交配させることで、一世代しか残らない種を創ることに成功しました」

 ミス・ファズマのペン回しが、止んだ。

「まさか……その先って……」

 ドクトルは、全員がまとめて映る正面の大スクリーンより更に遠くへ、視線を送った。円卓上のコンソール光が顎の下から不気味に、彼を照らし出す。

「そうです。我々は、先日、人体実験に成功しました。急速培養装置により十六歳まで発育した彼女を我々は、コードネーム“シード・スプレッダー”と名づけました」


      七


 ねえ。どこに行くの? 逃げるって、どこへ?


 私、実はね。あなたに聞いてほしいことが、出来たの。あなたがくれた本、とっても素敵だった。あなたは、本当に、私にたくさんの“初めて”をくれる。


 あのね、私、“子供”が、ほしいの。

 たくさん、たくさん。


 たくさんいれば、みんな、さみしくないわ。

 ん、どうしたの? そんなに、怖い顔をして……。


 あ。

 

 ううん、大丈夫。えっとね、胸の奥が、ホントはね、あの本の二人を見てから、ずっと、きゅうっとなっていて、自分でも、悲しいのか、嬉しいのか、よく、分からないの。


 ねえ。お願い。もう少し、このまま、あなたといたい。


      八


「なるほど、その副作用で逆に超長寿命とはな。素晴らしいじゃないか」

 アルデバラン元帥が、レトロなパイプを咥えだした。流れが来ていると見て、ドクトルはたたみかけた。

「木を隠すなら森の中。人型兵器を隠すなら人の中です。仕組上DNA検査でも、絶対に見つけられません。例えば、敵本国に定期的に訓練した絶世の美女型兵器を難民として送り込めば、種を拡散してじわじわと人口が下がり、国力を確実に衰退させられます」

「ブラボー!!」「なかなか、やるじゃないの!!」

 惜しみない称賛の嵐。だが、ドクトルはまだ、笑顔を見せなかった。

 鷹揚なワイズリーのコンソールが光る。

「まさに最終兵器だな、いや恐れ入った。それでは、今後について、早速話し合おう」

「はい、ぜひお願いします。喫緊の課題ですから」

「まあまあ、焦るなよ。よし、要件は何かね。予算かい?」


 ドクトルは、ワイズリーの話を即座に否定して、こう答えた。


――その最終兵器“拡散する種”が、先程、彼女に関する資料一切と共に、逃亡いたしました。


      エピローグ


 ねえ。あれから、もう何年、過ぎたのかしら。


 私は、また“一人ぼっち”ね。

 でも、もうさみしくはないわ。


 私には、あなたとの“思い出”がある。


 呪われた“拡散する種”としての私を救いだしてくれた、あなたとの素敵な“思い出”が。


 子供がいなくても、私は幸せなのよ。

 “家族”って、そういうものなのでしょう?


 今日は、よく晴れている。

 “一人ぼっち”も、悪くはないわ。

 

 ねえ。あなた。


(了)

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