ネアンデルタール人のように

澤田慎梧

ネアンデルタール人のように

 ふと目が覚める。

 どうやら、行為の後の気怠さに身を任せすぎたのか、軽く微睡んでいたらしい。


(今、何時だろ?)


 時計を探してキョロキョロするがベッド周りには見当たらず、代わりに目に入ってくるのは鏡張りの壁とそこに映った自分自身の間抜けな顔ばかり。

 ――どうしてこのラブホテルには、時計が置いてないんだろうか? 等と、益体もないことを考えながら、枕元に置いてあったスマホに手を伸ばす。

 まだチェックアウトには早い時間だった。


「……どうかしましたか?」


 どうやら起こしてしまったのか、傍らで寝息を立てていたはずの由莉香ゆりかが、いつの間にやら目を覚ましていた。

 裸のままの慎ましい胸をシーツで隠しながら由莉香が身を起こす。その姿は、全てをさらけ出したそれよりもどこか淫靡だ。


「いや、まだ時間はあるかなって」

「……流石に、には足りなくないですか?」


 呆れたような彼女の言葉に「そうだね」と返す。

 そういう意味じゃなかったんだけどな……。まあ、由莉香の艶めかしい姿に情欲をそそられたのは確かなんだけど。


 ――由莉香とこういう関係になってから、一年ほど経つ。

 彼女は、僕の実家である新谷しんたに家に仕える使用人だ。しかも親子二代に渡って仕えているらしい。

 彼女の母親は身寄りがなく、新谷の家に引き取られて僕の祖父に仕えていた。父親も新谷の使用人だ。ほぼ身内と言っていい。


 一方の僕こと新谷小次郎はと言えば、四男坊のそのまた次男坊という、新谷の本流からは程遠い所にある存在だ。本来なら、本家勤めの由莉香は縁遠い存在だった。

 けれども僕らは同い年で、同じ学校に通って……気付けば何となくお互いを意識しあう関係になっていた。


 それでも、僕らが付き合うようになるまでに随分と時間がかかった。

 僕から何度も告白して、その度に由莉香が「小次郎さんの本家からの心証が悪くなりますから」と断ることが何年も続いた。結局、OKを貰ったのは僕が大学を出て社会人になってからだ。

 「新谷の人間には秘密にしましょう」という条件付きだったけど……。


 新谷家は江戸以前から続く旧家にして大地主だ。この地方都市において、その息がかかっていない企業はないとも言われている。

 僕はそういう因習じみた雰囲気が大嫌いだったので、外の会社に就職していた。

 由莉香が僕からの告白を断り続けていた裏には、そういう意味もあったのだろう。僕が一族の中でやっていくのなら、本家の使用人に手を出してはいけないぞ、という意味が。

 僕が一族とは関係のない会社に就職したので、晴れてOKしてくれたのだと思う。


「由莉香、次はいつ会えるかな?」

「……次も多分、一か月後くらいになると思います」


 由莉香が憂いに満ちた表情で答える。

 本家の使用人には、基本的に休日というものがない。ブラック企業も真っ青の前時代的な雇用形態なのだ。

 まともな休みをとれるのは、祖父や伯父が揃って外出するごくごく僅かな時間のみ。

 そんな貴重な彼女の休みを僕との逢瀬で消費してしまうことは、嬉しくもあり申し訳なくもあった。

 ――だから僕は、ついついこんな本気交じりの軽口を叩いてしまう。


「そっか……。じゃあさ、いっそのこと僕と結婚して、本家を出ちゃうか?」

「――っ!?」


 サッと――由莉香の顔が青ざめた。

 まるでこの世の終わりでも見てしまったかのような、そんな表情を浮かべながら。


「え、あ、ごめん!! いきなり結婚とか、びっくりしたよね!? 今のは聞き流していいから――」

「……違うんです! 小次郎さんのお気持ちはとっても嬉しいです……でも……私は……私じゃ、駄目なんです」

「私じゃ駄目って……なんでさ?」


 震えるようにして声を振り絞る由莉香の肩を抱きながら、出来る限り優しく問いかける。

 彼女の様子は尋常じゃない。何か深い理由があるはずだった。


「小次郎さんは、『ネアンデルタール人』をご存じですか?」

「そりゃあ、もちろん。現生人類の前にいた旧人類だろ? 何万年も前に絶滅した。それがどうしたのさ?」


 何故ここでネアンデルタール人? と思ったが、僕は由莉香の話を遮らず先を促した。


「それでは、こういうお話はご存じですか? という話を」

「……それも、何かで聞いたことがあるな。確か殆どの人類の遺伝子には、数パーセントだけネアンデルタール人由来のものが混ざってるんだったか」


 その昔はネアンデルタール人と現生人類には、遺伝上の繋がりは無いと言われていた。けれども近年の研究で、どうやら二つの種族は混血していたことが判明したらしい。

 でも、それと僕らの結婚に何の関係が?


「大旦那様――小次郎さんの御祖父様は、その話を聞いてこう仰っていました。『ならばネアンデルタール人は滅んでなどいないではないか。しっかりと血を遺しておる』と」

「へぇ、あの爺様らしい考え方だな。そういや昔から言ってたな『新谷の血を絶やしてはならん。家は血縁だ』って」


 由莉香は僕の言葉にこくんと頷くと、更に続けた。


「はい。それで大旦那様はこうも仰ったのです。『ならば、我ら新谷が見習うべきはネアンデルタール人かもしれんな。遍く血を遺す。広く世界に新谷の種を蒔く。だが、徒に種を蒔いても意味がない。そこに確かに新谷の血が受け継がれているのだと知らしめなければ、ネアンデルタール人のように滅んだと誤解されてしまうでな』と」

「ええと、つまり……?」


 ここに至っても、僕は由莉香が何を言いたいのか測りかねていた。

 とうの昔にいなくなった種族と僕らとの間に、何の関係があるというのだろうか。


「……私には、幼い頃より大旦那様から言いつけられてきた『使命』があるのです」

「し、使命……?」


 「使命」とは、また前時代的な言葉が飛び出してきた。けれど由莉香の表情は真剣そのものだ。変な茶々は入れずに、先を促す。


「はい、使命です。『新谷の家を離れる者があれば、その者に取り入り妻となり、子を成せ。そして密かにその動向を本家へと伝えよ。全てが新谷の利となるよう動け』と。私はその為に育てられました」

「え……?」


 ――つまり。

 つまり由莉香は、僕のように新谷の家を捨てようとする人間に近付き、子供を産んで、その上で本家にその人間の情報を逐一報告するという、スパイみたいな役割を与えられていたというのか? なんだそれは。それこそ前時代的すぎる!


「私は両親を――大旦那様を裏切ることは出来ません。でも、新谷の家を離れて自由になろうとしている小次郎さんを、裏切るようなことも出来ません。ですから、私は小次郎さんと結婚することは……出来ません」

「……もし、僕と結婚しなかったら、君はどうなる?」

「小次郎さん以外にも、新谷の家を離れた分家筋の方が何人かいらっしゃいます。恐らく、そのいずれかを篭絡するよう命じられると思います」


 今度こそ僕は絶句した。

 おかしいおかしいと思ってはいたが、新谷の家は――祖父は、ここまで狂っていたのか。

 けれども、このまま言葉を失ってはいられない。僕は由莉香に、どうしても確かめなければならないことがあった。


「……由莉香は、爺様の命令があったから僕に抱かれたのか?」

「っ!? ち、違います! ずっと……ずっと好きでした。だから、新谷の家に縛り付けるような真似はしたくなくて……でも、少しの間で良いから愛してほしくて……私が……私が小次郎さんへの想いを諦めなかったのがいけないんです!」


 ――ああ、なんだ。安心した。だったら、答えは簡単じゃないか。


「それなら何も問題はないよ。由莉香、僕と結婚してくれ」

「え……で、でも私は――」

「別に僕は新谷の家と完全に縁を切りたいわけじゃない。爺様が僕の動向を知りたいって言うんなら、自分から本家に出向いて話してやるさ。まどろっこしいことはしなくてもいい。それにね――」


 僕は、由莉香の艶やかなショートヘアを優しく優しく撫でながら言葉を続けた。


「由莉香と一緒にいられること以上に、大事なことは無いんだ。だから何度でも言うよ? ――由莉香、僕と結婚してくれ」


 ――結局このプロポーズは僕が押し切る形になった。

 僕は新谷の家を出ながらも、何かと本家に「お伺い」と「ご報告」をする羽目になったけれども、由莉香の存在には代えられない。


 それに、だ。結局、更に数年後には爺様が亡くなり、由莉香の「使命」も有耶無耶になっていった。

 更に時が流れると、災害やら大不況やらが重なって、新谷の本家はみるみる内に衰えて、かつての権勢はどこへやら。ただ古いだけの家柄にまで落ちていった。


 でも、ある程度距離を置いていた僕と由莉香――そして僕らの愛の結晶達はそれに巻き込まれることなく、平穏無事に今も過ごしている。早くに本家から距離をとっていた他の親戚も同様だ。

 新谷本家は半ば滅びたけれども、その血脈は各地に拡散し、無事に遺っている。


 新谷本家のその顛末は、まるでネアンデルタール人そのもので……僕と由莉香は苦笑いを隠せなかった。


(了)

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ネアンデルタール人のように 澤田慎梧 @sumigoro

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