解放
TARO
解放
男性が、滑落事故にあって死亡した。死体は岩に散々打ち付けられて、見るも無残な姿だった。警察は登山中の事故としてマスコミに発表した。身元は独立行政法人生命科学環境研究所主任研究員。週末になると博士は水源を求めて各地を巡るのが趣味だった。今回も北アルプスの〇〇川の源流を求めてやってきたのだと思われる。水源地がすぐそばにあった。
三日前、
一課の刑事、青山省吾は抱えていた事件の捜査中に上司から呼び出された。
「おう、青山、座れや」
「なんですか、いきなり」
「上からの指示でな、人を割かなきゃならなくなったんだ。今の案件はとりあえず相棒に任せて、お前はこっちやってくれ」
と、青山の上司は数枚の書類を差し出した。青山はそれにざっと目を通しながら聞いた。
「一人で?」
「一人でだ」
心の中で青山はため息をついた。一人で、ということは、関係者を順に当たって、適当につじつまを合わせて、報告書を作成しろ、ということだ。要するに体裁を整えるために、仕事をした事実が欲しいのだろう。そのくせ、後で問題になれば自分に責任がなすりつけられるのだ。
「はあい」と青山はやや不満を滲ませながら返事をして、席を立とうとした。
「おい、あんまり余計な正義漢はたらかせんなよ。身内の案件なんだからよ。上の方ではどうせ繋がってるんだからな」
青山はやや振り返って苦笑いを見せた。
国の機密に携わる研究所の職員の失踪。一課の自分が臨時で担当しているということは、事件性、特に国家機密の漏洩の可能性は低いのだろう、と青山は見当をつけた。リストの順番通りに聴取に向かうことにした。
その研究所にアポを取ると、すでに先方に話が入っている様子だった。応接する担当者も慌てるそぶりも見せなかった。
「こちらへどうぞ」とリストで見た通りの写真の男が出迎えた。名は佐治と言う。彼は青山をまず別の部屋で防護服に着替えさせた。佐治は慣れたものでさっさと着替えてしまう。青山は佐治に手伝ってもらってようやく身につけた。
「なんだか仰々しいですね」と青山は軽口を叩いて見た。
「通常の対応です」と素っ気ない返事が返ってきた。
研究所は三重にロックされた厳重な部屋だった。最後の佐治の虹彩認証で扉を開ける。青山は不安を覚えた。どうやら自分の思っていた重要度とは異なるようだ。
中に入ると異様な光景が広がっていた。裸の人間が両側に並んでいた。標本の類か、と思ったが、やけに生々しい。それから、絶えず頭上から液体が注ぎ続けられていた。
「驚いたでしょう? これ全部生きているんです。数年前から各地で奇病が確認されましてね、件数は少ないのですが、見つかり次第ここに運ばれてくるのです」
「奇病? 全く知りませんが、一体どういう症状なんです」
「調査上、公表は差し控えているのです。幸い件数も少ないですしね。症状は、人体植物化といえばわかりやすいでしょうか」
佐治の話はこうだ。症状は大変変わっていて、ある日突然硬直したまま動かなくなってしまう。心臓も停止し、脳波も確認できなくなる。しかし水に濡れると心臓と脳波が再び動き出すというのだ。
「水を流し続けなくなると、法的に死、ということになりますので、やむなくこうしておりますが、こちらへどうぞ」と、佐治は青山を蓋のついた水槽の前に案内した。
青山が覗き込むと、中はどろっとした濁った液体で満たされており、得体の知れないゼリー状の塊が浮いていた。
「水をかけ続けるとやがて、こうなります。これ、生きているんですよ。これでもね。わずかながら、心音と脳波が確認できるんです。でももう長くありません」
「死ぬんですか?」
「そう、実は、水を与えなければ、どうやら種子のようにそのままの状態でいられるようなのです。でもそうするとさっき申しましたように、法的に死ということになりますので」
青山は嫌な予感を感じていた。研究内容が外に漏れることを研究所は懸念して、あんなものまで見せて、忖度を要請してきたのだろうが、それより危険な事態に陥っている可能性を考えていた。佐治の聴取の際に博士の趣味に話が及んだのだが、それが、週末になると一人でハイキングに行き、水源巡りをするという話を聞いたからだった。
1日前、北アルプス山中
「あんた、それをまさか水源に撒いていたのか?」
「そう、私は未知の物質を検体の中から発見した。どうやらそれが奇病の原因らしい。私はね、思ったのですよ。これは福音ではないかとね。人が苦しまずにゆっくりと安らかに死ぬ方法を発見したんだ。そしてそれは全ての人類に適用されるべきではないか、とね」
「ウッ…」青山は怒りをぶつけようとしたが、すでに自分も被害者になっていることに気づき、その恐怖が言葉を詰まらせた。博士はそれに気づきもせず、話を続けた。
「あなたも見たでしょう? あの奇病の最終形態を。わたしも当初はなんとか救う方策はないかと懸命に努力し続けていたんですよ。でも時がくればみんなああなっちまう。ただの液体にですよ。でもね、最後の瞬間まで、あれは確かに生きているんです。わたしはやりきれなくなりました」
「最後の瞬間、そんなものがわかるのか?」
「わかるんですよ。面白いでしょ。わたしはその瞬間を放すと呼んでますがね。検体は水槽に移されてからもしばらくは生き続けますが、やがて死を迎えます。最初はデータで判断するしかなかった。しかし、ある時観察していると、ゼリー状のアレが一瞬凝縮して、それから周りの水に溶け去ることに気づいたんですよ。それはデータと完全に一致していました。まるでしかめ面をしていたのが、フッと力を抜いて安楽に身をまかせる様に」
青山は自分がそうなることを想像して、おぞましさに背筋に冷たいものを感じた。
「それのどこが福音なんだ? あんたやっぱり狂ってるよ」
「これはね、刑事さん、本質ですよ。生命の本質。今まで、生命は死の恐怖に怯えて存在を維持し続けてきたんです。死にたくない、という恐怖こそが生命の本質なんです。これは直ちに救ってあげなくてはならない。すなわち種子の様に停止するか、花の様に散るかです。もっとも、実際は花の様に美しくはありませんがね。ハハハ」
「このヤロウ!」
青山は博士を崖下に突き飛ばした。博士の話を聞いていて、急に自分があわれに思えてきて、あとは勝手に罵りの言葉と共に体が動いていた。
一人の刑事が失踪した。後日、使われていない他人の別荘の中で。からっからに干からびたミイラ化した状態で発見された。
解放 了
解放 TARO @taro2791
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