森は生きている
月波結
拡散する種
NO.135がそのドームのマスターとなり、周囲は騒然とした。
確かに135は優れた
「ねえ、実の所、134はどう思ってるの? ベビーベッドからずっと135の隣だったじゃない」
「別にどうも。俺の両親は0ナンバーと言っても135とは違って数が大きいし、俺と135が続いて生まれたことと、育ちのこと、これからのことになんら関わりはないだろう? 隣だっただけで特別、共通点などなかったさ」
あるひとつの星一面が植物に侵食された理由はわからない。ただ、日々勢いを増す植物の背を押すように雨は降り注いだと思うと、暖かな日差しが大地を包んだ。
人間や動物はたいてい、最初の雨で流され、その後は葉陰に隠れるようにして生きていくしかなかった。そうしているうちに偶然、葉緑素を持ったヒトが現れた。1組のヒト。それはシード01、02と人間によって名付けられた。
しかし人間は自分たち以外を好まない排他的な生き物であるから、01と02を交配させる実験をある程度繰り返すと、その新しい種子を宇宙ステーションに送った。それがここ、
「ねえ、134、わたしたち、これからどこに行くのかなぁ?」
「173、それは俺にはわからないよ。ただ
「……わたしたち、
「……それはわからないよ。
◇
わたし、No.135は優秀な0ナンバーと呼ばれる種子同士の交配によって生まれた。数が小さければ小さいほど、01と02に近い遺伝子を持つということだ。それは人間に近いという意味では忌み嫌われ、祖先に近いと言う意味では崇拝された。
わたしが望んだのはマスターになることなどではなかった。このままでは閉鎖的な
わたしだって
植物は成熟すると鞘をつけ、それを破裂させることにより種子を飛ばす。そうして自分の遺伝子が遠くに拡散するようにできているのだと、自然科学でそう習った。わたしたちの始祖の話だ。
わたしはヒトであるより、植物としての自分に忠実でありたい。拡散する種子でありたいという願いは閉じられ、鞘をつける母体となるのだ。
突然、滑りの良いドアが音少なく開き、誰かの姿が目に映った。
「134……」
彼は、やあ、と片手をあげて挨拶すると、斜め下を向いて口ごもった。
「その、いろいろ不安なんじゃないかと思って」
「心配してくれたの? ありがとう」
彼はわたしの3人掛けのソファに腰を下ろした。わたしも隣に座る。
134とはベビーベッドにいた時から隣同士だ。隣が欠番じゃないだけでも珍しいのに、成体になるまで一緒に生き長らえることができるのは珍しい。
彼の細い指が、不器用に蔓の先のようにうねるわたしの髪を巻いた。
「俺は行かなくちゃいけないんだね?」
その切実な問いに心を打たれる。どれだけそのことで思い悩んだことか。
「ええ。やっぱり鞘に乗って、わたしたちの安住の地を探して。こんなところに縛られるのはわたしだけで十分よ」
「でも交配は?」
「花粉なら十分に貯蔵されてる。気持ち悪いかもしれないけど、あなたのものも。知らないところであなたとわたしの種子ができていても怒らないでね」
彼の枝のような指はわたしの髪をまだ巻き付けたまま頬を撫で、わたしたちは初めてキスをした。
キスなんて一番価値の低い行為だ。種子を作ることができない。交配に愛情は必要ない。体に適合する花粉を見つけるために次々と実験を、これからわたしがこの
それでもどうして、意味を持たないキスに心が揺れるんだろう? ヒトに近い種として我々が誕生したのはなぜなんだろう? 陽の光を頼りに、雨水に助けられて生きてきた植物のままでなぜいられなかったんだろう?
……隣同士に生えている雑草同士なら、心痛ませることなく自然に交配できる可能性ができたのに。
「泣いているの?」
「離れたくないからよ。赤ちゃんの時からずっと一緒だったじゃない」
「どうやってもここに残るよ。記録を今から改ざんする権限があるんじゃないかい?」
「意味ないわ。わたしは、わたしの代わりにあなたに新しく根を張れる大地を見つけてほしい。そうして、わたしの願いを聞いてくれるなら、どうかたくさんの種子を作って。パートナー選びはこちらからの指示を出さないことにしたの。あなたがいい種子を残せると思う相手と交配してね」
そこまで言うとなにか言い返そうとした彼を残して、わたしは部屋を出た。交配実験が始まれば、彼のことなど考えられなくなるだろう。この身がバラバラになるまでわたしは鞘を熟すために力を注ぐ。次に彼に会えることなどないのだ。
◇
新しく割り当てられた部屋の中で、わたしは彼を想っていた。鞘は星を流すような速さで今は進んでいる。わたしたちの行動は物理的に制限される。慣性の法則を無視することの出来るゾーンは最小限に限られていて、その通路を抜けて目的地を目指す。行き方は何度も地図を見てわかっていた。
「どう、宇宙酔い」
「面白いジョークだね。宇宙で生まれた俺たちが宇宙酔いするなんて」
彼はいつもより大袈裟に笑った。なにも楽しくなんかない、それでも笑うふりはする。
「173こそどう、乗り心地は。速さに驚いてるんじゃないのかい?」
「そう、この速さなのに少しも揺れがないことに驚いたの」
「そうだね、揺れないね」
ふと目をやると、彼の前には小さなグラスが置かれていた。琥珀色の液体が注がれている。あれは人間の作り出した『酒』だ。わたしたちの体に影響はないとされているのに、一部の者の中では希少品として珍重されている。独特の匂いが鼻につく。
「酔ってるの?」
「君も知っている通り、酔うことはないんだ。気持ちの問題だよ」
「そう……。じゃあわたしにも頂戴。今度の交配は自由意志を尊重すると聞いたわ。わたし、あなたとの間に種子が欲しい。大丈夫、きっと熟すまで鞘の中で大切に育てるから」
「いいのかい? 鞘をつけている間は動けなくなるんだよ? まだまだおてんばな君がじっとしていられるの?」
失礼ね、と言ってグラスに口を付けると、含んだその液体を彼の口の中に注ぎ込んだ。
「『酒』って熱いのね」
「君は耐性が弱いのかもしれないね」
彼はぐいっと手の甲で口許を拭うと、星々が線を描く底無しの宇宙空間に目をやった。
そこには強化された板ガラスが嵌め込まれていたけれど、彼の目はそこに映るわたしの顔を通り越して、過ぎ去った何かを見つめているようだった。
『135、俺は交配して種子を作ると決めたよ。俺のいちばんの願いは叶わなかったけれど、いつかこの鞘から俺の種子が飛び立ち、君のいる
その通信を閉じないまま、『酒』を飲んだ134は眠り込んでしまったようだった。その証拠に部屋のロックはかけられていなかった。
彼の想う人は、決して彼と交わることの出来ないわたしたちの本来の姿である植物として繁殖をする役目を与えられた。意思なく、相手も選ばず、無作為抽出された花粉を受粉する。
もちろん彼女の元に、検体としての彼の花粉もあるのだろう。
それでも構わない。そばにいるのはわたし。いつでも彼の隣にいるのは間違いなくこのわたしだ。
年をとって植物としての生き方に戻り、地に根を張り、老いた枝を伸ばすことになった時にもわたしが彼の隣に。やわらかい人口太陽の光に葉をささやかに揺らしながら。
森は生きている 月波結 @musubi-me
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