幽魔の子供テレア

 冷静になって考えてみると、この子供は一体何者なんだろうか、そんな疑問が脳裏に浮かぶ。ここは、。とても、小さな子供が迷い込める場所とは思えない。


 宵闇を彷彿とさせる真っ黒の髪は不自然に長い。髪に隠されて両目を覗くことは出来ないが、子供の左目は何者かにくり貫かれ、空洞と化している。


 身体の構造、さっきチラッと見た容貌が人間に似ていたけど、まとう雰囲気が人間のものとはまるで違う。どちらかと言うと、紅鬼と人間の混血であるフラムに近い感じがする。どこか神秘的だ。


 痛みが去って穏やかな寝息を立てている子供の髪を撫でる。隣にうずくまったオオジカのつがいがお詫びの品のルートの実を美味しそうに食んでいる。持ってきた甲斐があったと内心喜ぶ。


 太陽が半分ほど沈んだ今の時間帯になると、日差しの眩しさも和らぎ始め、汗で顔がグシャグシャになることもなくなる。今頃、フラムは仕事終わりに読書でもしていることだろう。ダイニングチェアに腰かけて、旅先で買ったお気に入りのマグカップを傾けているフラムの姿が目に浮かぶ。


「私はもう暫く帰れそうにないかな」


 独りぼやいて、視界一杯の緑を堪能する。雲一つない蒼空あおぞらが清々しい。青と緑の二重奏ってところだろうか。とても目に優しい景色だ。


 ヴィルがオオジカの角の上で蝶と戯れている。甲を開け閉めしている様は、楽しさの表れなのかもしれない。


「良い天気だなあ、本当に。ふわああ、眠い」


 陽だまりの海の陽気に当てられて、瞼が重たくなってくる。


「いけないいけない。寝たら絶対起きれない。夜になって帰ったら、またフラムを心配させちゃう」


 頬を両手で叩く。頬からパチパチと薪が弾けるような音が鳴る。


 眠気が意識をおぼろにさせるから、思考もままならなくなってくる。それを誤魔化すように、子供の右目にかかった髪をそっと掻き揚げる。愛くるしさの残る寝顔だ。瑞々みずみずしい肌が若さを如実に表している。


 ガサガサと枝葉の揺れる音が子守歌のよう。遠足中の親子の気分はこんなものなのだろうか、なんてぼんやりと考える。


 すると、子供の肩がブルッと震えた。瞼が上がり子供の瞳が露わになる。


「目に歯車の模様が…」


 瞳に歯車が刻まれている。時計の指針を動かす一つのピースがそこにはあった。


 子供が私を視認すると、小動物が狩人から逃れるみたいに飛び起きては俊敏しゅんびんに私から距離を置く。得体の知れない者への恐怖が窺える。


「だっ…誰!どうして、僕はこんなところに…それに、視界が…」


 じっとこちらを見据えたまま、子供は自分の左目に手を宛がう。帳のように前に垂れた髪の裏に手を忍ばせる。おそらく、空洞が出来上がっていることに気が付いたのだろう。顔が真っ青になる。


「眼が、僕の、眼が…」


 途端に子供は膝から崩れ落ち、下草の上に頭を擦り付けるように垂れる。くぐもった声が木霊する。誰かに赦しを乞うような、懺悔ざんげ嗚咽おえつに聞こえる。喬木きょうぼくの後ろに隠れてしまいそうなほど傾いたお日様が仄かな茜色を放ち始める。まるで、子供の悲しみに同調しているように。


 腰を上げ、子供に近寄る。両手で頬を包み、顔がよく見えるように上に少し傾ける。歯車の瞳から止めどなく涙が溢れ、唇に歪みが生じている。放っておいたら、自壊してしまいそうな儚さを感じる。


 無意識の内に子供を抱きしめていた。


 性質も、出自も、名前すらも知らない子供。それでも、枯れてしまいそうな花を見てしまったら、自分の衝動を止めることが出来なかった。


 すると、子供は私の胸に顔を埋める。胸に声が振動して、この子の悲しみ、辛さ、憤りが切に伝わってくる。真っ黒な髪に白い輪っかが出来上がって、まるで母親を亡くした天使のように思われる。


 長い嗚咽が静まり始めると、子供は上目遣いでこちらを仰いだ。真っ赤になった右目に涙の水滴がポツリと生じていたので、私はそれを人差し指で拭う。隻眼せきがんの子供が、その行動に何かを思い出したのか、また胸に顔を埋める。今度は、嗚咽は無しに人の温もりを求めているだけのようである。


「落ち着いた?」


 手に吸い付くようなしっとり感の髪を撫でながら、子供に声をかける。


「うん、うん…」


 子供は胸から顔を離すと、椿を咲かせた頬を隠すみたいに黒髪を前に流す。私も、少しだけ子供から離れる。照れ隠しをする子供の姿に微笑が洩れる。


「君には、色々と訊きたいことがあるんだけど」


 青と茜が入り混じった薄紫色の空を仰ぐ。後ろから木の影が伸びて来て、陽だまりの海を呑み込み始める。


「そろそろ夜も近いし、私の家で話をしない?ここは夜になると冷えるし、視界も良くない。ただでさえ、君は…左目が無いんだから、危険だと思うよ」


 半ば脅しのような形の提案になったけど、これもこの子の身を思ってのことだ。それに、何よりも訊きたいことは山ほどあるのだ。


 彷徨ほうこうの末にラグナに辿り着いた私には、この子供がとてもじゃないが尋常であるとは思えない。歯車の模様が刻まれた瞳、異形の雰囲気、くり貫かれて空洞となった左目。


 子供の容貌は中性的で、長い睫毛が目立つ右目は可愛らしい印象を与えてくる。どちらかというと、見た目は女の子のように見えるけれど、ハスキーな声と一人称からして男の子である可能性の方が高いかな。男の子として意識すれば男性的、女の子として意識すれば同様に女性的に見える。


「君…じゃあ無いね。良かったら名前を教えてくれる?嫌なようならだいじょ…」


「テレア…幽魔のテレア。それが僕の名前」


 大分食い気味に子供は答えてくれた。その時、軽く身体を前に突き出して、右目にかかっていた髪が捲れる。赤銅色の歯車に薄ぼんやりと光沢が浮かんだ。


 『幽魔』の名前を聞いた時、私はとある村のことを思い出した。


 それは、魂魄こんぱく滞留たいりゅうせし幽暗ゆうあんなる村『エレボス』。逢魔界の南西部に位置する大きな村で、死霊と密接な関係を結んだ種族が創造したと言われている。この村に住まう者は死という概念を『救済をもたらすもの』として崇拝していて、死からあぶれてしまった哀れな魂魄を、真なる静寂へと還すことを絶対的な教義としている。故に、エレボスには彷徨さまよえる魂魄が多く存在し、生者と共に生活を送っている。


 ラグナへの彷徨の道中に、私とフラムはエレボスに立ち寄ったことがあった。ラグナは最東端に位置するから、かなりの距離を彷徨していることになるがそこは別に良い。


 おどろおどろしい二つ名を持っているが、エレボス自体はとても綺麗で穏やかな村で、一見して生者と死者の区別がつかないほど、死と生が完璧に混ざり合っている。特産品は加工すると真っ白な肌を露わにするマテレカ石で、家々の建材に主に使われ、村一面は雪が降り積もった銀世界のような外観を誇る。


 その村に滞在させて貰っていた時、ある事件が切っ掛けで知り合ったカラフィナという名前の女の子から『幽魔』のことを聞いた覚えがあった。正確には、当時の私はまだ研磨されたナイフのようなものだったから、フラムと会話しているところを小耳にはさんだだけだけど。



「この村には幽魔って呼ばれる種族が居るらしくて、代々特殊な力と使命を持ってこの世に生まれてくるんだってさ。見た目は人に似ているけど、人間から見たらどこか違和感を持つらしいよ。幽霊を可視化しているみたいな、そんな印象を受けるんだって。まあ、お伽噺のことなんだけどね」


 そんなことを言っていた。


 そのお伽噺の中の存在が、今私の眼前にいるらしい。この子が嘘をついていなかったらの話だけれど。


「幽魔?テレアは本当に幽魔なの?」


 テレアは鷹揚おうように頷く。その証拠を見せるように、右目を隠す帳を自ら掻き揚げた。


「僕は、『歯車の眼』を持つ、


 そう言い切ったテレアは昂然ぜんとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦場に咲く花 wagasi @wagasi11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ