溢れるほどの花束を

柚城佳歩

溢れるほどの花束を


遥か昔。名もなき島の森の奥。

花人はなびとと呼ばれる種族がいた。


どこか儚さを纏った美しい見目をしており、時に植物の成長を助け、共に生き、その生命いのち終わる時も植物に寄り添った。


滅多に人と関わる事はなく、森の外へ出る事もない。

だからだろう。いつからか、彼らの姿を見た者には幸運が訪れると言われるようになった──。



* * *



街全体が見渡せる丘に座り込み、“よくがんばりました”のハンコが押された自由研究レポートを睨むように見つめながら、何度目かわからない溜め息が口から零れた。


「もうちょっと頑張れば花を咲かせられるんだよ。お願いだから頑張ってよ。どうしたらまた元気になってくれるの?」


萎れた苗の鉢を傍らに置いてぼそぼそと話し掛ける様は、子どもながらにさぞかし不審な事だろう。

先程から近くを誰かが通る度、心なしか距離を開けられている気がする。


ひと繋がりの大きな大陸。

私の住む国には澄んだ川がたくさんあって、綺麗な水の作り出す風景で有名な反面、植物が育たない事でも有名だった。


土が硬い訳ではない。雨が降らない訳でも、太陽の日差しが届かない訳でもない。

ずっと昔から、何故か植物だけが育たないのだそうだ。


小学校の自由研究で、種から育てて花を咲かせる事をテーマに据え、いろいろ調べて手を尽くし、なんとか蕾をつけるところまでは成功させた。


この土だって、他の国へ旅行に連れて行ってもらった時に、ビニール袋いっぱいにして半ば引きずりながらも苦労してわざわざ運んで来た土だった。


蕾も順調に膨らみ、あとほんの少しで開花するというところで、何の前触れもなく急に萎れてしまったのだ。


「やっぱりこの国じゃ花は育たないのかな…」

「大丈夫だよ。その子、まだ生きてるから」


再び零れた溜め息に被さるようにして、背後から声が聞こえた。

振り向くと、はっとする程に綺麗な女の人が萎れた苗を指差して優しく微笑んでいた。


「その苗、どうするの?」

「どうするって……、もうどうしようもないよ。このまま枯れていくのを見守るしかない」

「じゃあさ、私が預かってもいいかな」

「え?」

「必ず元気にしてみせるよ。約束する」


差し出された手に、おずおずと小指を絡める。


「ありがとう。大切に任されるね。私はサクラ。あなたは?」

「……つぼみ」

「可愛い名前ね。私はしばらくこの国に滞在する予定だから、花が咲いたら遊びにおいで」


それが、私とサクラさんとの出会いだった。




サクラさんは、いろんな土地を渡り歩いて旅をしているという。


あの日偶々見掛けた私が気になり、あまりの落ち込みように放っておけず声を掛けてくれたんだそうだ。


後日、サクラさんは本当に萎れた苗を復活させてくれた。

枯れかけていた事が嘘みたいに、力強く美しい花を咲かせている。

どうやったのかとしつこく尋ねてみても、「こういう事は得意なんだよ」としか答えてくれなかった。


上手くはぐらかされている気がしなくもないが、鉢植えだったとしてもこの土地で花が咲いた事には変わりがない。

きっかけはこの出来事だったんだと思う。

私は高校を卒業後、大学へ進み、本格的に植物の研究をするようになった。




この場所を気に入ってくれたのか、はたまた単純にただの気紛れだったのかもしれない。

サクラさんは旅を一時中断したようで、小学生の時に出会ってから今に至るまで、私のよき友達であり相談相手にもなってくれていた。


「サクラさーん、またあと一歩のところで上手くいかなかったよぉ……」


この土地を花でいっぱいにするという夢を掲げ、もう何年も研究と挑戦を重ねているけれど、なかなか進展する気配はない。


「でもあと一歩のところまでは成功したんでしょ。すごいじゃない。それにしてもよく飽きずに挫けず続けているねぇ。偉い偉い」


白くしなやかな手で優しく頭を撫でてくれるサクラさんは、初めて会った時からその見た目がほとんど変わっていない。ずっと綺麗なままだ。


だけど最近、寝込んでばかりいる。

病院に行くよう勧めても、「寝てれば治るよ」といつもの笑顔でやんわり断られる。

サクラさんが外に出られない代わりに、私がサクラさんの元へと通う事が多くなった。


「あのね、サクラさんは今までいろんな国を旅してきたから知ってるかもしれないけど、サクラさんと同じ名前の花があるんだよ」


写真で見た“桜”という花は、小さいながらも可愛らしい形をしていて、淡いピンクの色合いもどこかサクラさんを連想させた。


「きっといつか、初めて会ったあの丘に、桜の花を咲かせてみせるからね!」

「ありがとう、楽しみにしてる」




以前に比べ、サクラさんの体は明らかに痩せていった。けれど美しさは損なわれないまま。

そのギャップが危うい色気を醸し出していて、同性ながらにどきりとさせられる事があった。


「つぼみちゃん、“花人”って知ってる?」


ある日、いつものようにサクラさんの家で過ごしていると、ふいにそんな事を聞かれた。


「昔、絵本で読んだ事があるよ。美しい姿をしていて、植物を育てるのが得意で、植物と一緒に生きるっていう人たちだよね」

「うん。他にはあまり知られていないけど、花人の寿命は人より遥かに長く、見た目も変わる事がないっていうのもあるね」

「へぇ、ずっと綺麗なままっていうのはなんだかサクラさんみたい」


どこか遠くを見据える横顔。開いた窓から入ってきた風が、優しく髪を掬う。本当に綺麗な人。


「だから一つ所に留まり続ける事が出来ず、旅をする人が多いの」

「……それも、サクラさんみたい」

「ねぇ、つぼみちゃん」


窓の外から視線を移した瞳と真っ直ぐに目が合う。ドクン。鼓動が大きく脈打つ。


「花人が死んだらどうなるか知ってる?」

「……知らない。聞いた事もないよ」

「人も動物も、死んだら土に還るでしょう?でもね、花人が死ぬ時、その体は花となる。風に乗って種を運び、その地を花で彩るの」

「お伽噺、でしょう?」

「お伽噺みたいだよね」


ドクン、ドクン。心臓の鼓動が少しずつ早くなる。ざわつく胸を鎮めるように細く息を吐き出してから、震えないように気を付けて声を出す。


「……どうしてそんなに詳しいの?」


少しの間の後、一際美しく笑ったサクラさんが、何でもない事のように言った。


「それはね、私が花人だから」


薄々、そんな感じはしていた。

だってあまりにも姿が変わらないから。

萎れた花を蘇らせてくれたのも、あの一度だけではなかったから。


「花人の姿を見ると幸運が訪れるなんて言われているけど、私にとってはつぼみちゃんと出会えた事が人生で最高の幸運だったよ。旅を続けてばかりで、友達なんて一生縁がないと思っていたから。本当に、出会ってくれてありがとう」


その時、強い風が舞い込んだ。

咄嗟に瞑った目を開くと、サクラさんの体が指先からはらはらとほどけていくところだった。


「サクラさんっ」


優しい笑顔を最後に残して、一瞬のうちに体全体が花びらに変わる。

そのまま舞うように風に乗って窓から外へ、小さな花びらは街中に広がり、街を淡い桃色へと染め上げていく。

それはとても幻想的で、悲しい気持ちも忘れて見惚みとれた。




今年もそこかしこから小さな新芽が顔を出す。

花が咲かないと言われた国は、いつしか花で溢れる国として有名になった。


街を見渡せる丘の上には、見守るように立つ大きな大きな桜の木。

あの日、一夜にして現れた奇跡の桜。


「サクラさん、あなたに出会ってからたくさんの幸運に恵まれました。この国を花でいっぱいにしたいっていう夢を叶える事が出来たのもサクラさんのおかげ。あなたは最高の友達です」


子どもの頃、サクラさんが初めて救ってくれた花は、押し花にして今も大切に保管している。私のお守りであり、気持ちが沈んだ時には奮い立たせてくれるものでもあった。


ありがとうの言葉だけじゃ足りない。

今までの感謝の気持ちを目一杯込めてあなたに贈ろう。

溢れるほどの花束を。





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