-2-《桜吹雪にご用心》
四月。
春がやってくると城下町はまた一際賑やかになります。
それは城の城壁に沿って満開の桜が咲き誇るからでございます。城壁に沿って、屋台や露店が連ね、城下町の百姓は、賑やかさ、華やかさを求めて、その桜の宴を楽しむのです。もちろん、城主である殿様も承知の上です。
満開の桜をできるだけ多くの人々に見せたいとの思いを、城下町の人々へ届けるため、城内の役人たちはせっせと露店の準備を手伝います。
現代でいうところの、文化祭前の学生たちのような忙しさであります。
そんな中、その賑やかさの中に際立つ悲鳴が聞こえてきました。
「やめ……、あぁ~!!」
「ちょ……!!」
「は……はは……ぶぁっくしょん!!」
一体全体、どうしたんでしょうか。
今日は、初登場のあの人が、大活躍しますよ~!
◆
「透ノ心〜、あたしよあたし、入るわよ!」
勝手口の方から声がしました。ゆき姫の声です。
ゆき姫は我が城下町のあるじ、蛸川城城主、蛸川
透ノ心は、いつも通り算学をしたためていました。
「こんな天気のいい日に一体…、なに…を」
声のした方を振り返り、ゆき姫を見ると、透ノ心は言葉を止めました。いつもここに来る時は、百姓の娘のような出で立ちに変装してくるのでありますが、今日は豪華絢爛な姫の出で立ちで来たからであります。
役人を引き連れて、あくまで公式に訪問されたということです。
そして、さらに驚くことを言ってのけたからたまげました!
「それ、脱ぎなさいよ」
「はあっ?!」
言うが早いか、ゆき姫の豪華絢爛な着物を引きずらないように持っていたお抱えの役人の、またさらに後ろの役人が透ノ心の上着をあれよあれよの間にひっぺがして、裸にさせました。
姫は透ノ心の上半身裸を値踏みするように四方八方から見ると、
「貧相な体してるわよね〜、はい! 次!」
「ははぁっ!」
重そうな着物を抱えた役人ごとぶん回し、ゆき姫は次の瞬間には入口から飛び出していた。
そこにはいたたまれない気持ちを抱えた若者が一人残されました。
春の暖かな日差しを通り抜けた生ぬるい風が、彼のつややかな背中を撫でます。
「な、なんだったんだ?」
◆
ゆき姫は天真爛漫で勇猛果敢。
疾風怒濤の猪突猛進。一度決めたことは最後までやり通す芯の強さをお持ちです。
ゆき姫はこの春の麗らかな日、花見に興じていた若者の上着を片っ端からひんむき、舐めまわすように裸を見ては、嵐のように去っていきました。一体どんな目的があってのことなのか、まったくもって見当もつきません。
この異様な光景は、見るものに極上の笑いを提供し、
「姫様、ご乱心!?」「殿方の裸に興味津々」
などというような瓦版も刷られ、城下町中に知れ渡るのに時間はかからなかったのでございます。
◆
「ちょっと! 透ノ心!! どうにかしなさいよ何よアレは!」
扉を壊さんばかりの勢いでゆき姫は再び透ノ心の家に上がり込んできました。
今度はいつも通りの、お忍びの百姓の格好をしていたところを見ると、役人には内緒でこっそりと来たようでございます。
透ノ心は、彼女を見ると両腕で自分を抱きしめるようにして後ずさり、「や、やめて……」と懇願しました。もちろん冗談でした。
ですけどね、嵐の吹き荒れる、心に余裕のないゆき姫にそんな冗談は時に命取りです。
ドドン!!
重々しい音とともに、彼の顔のすぐに後ろの壁にいきなりクナイが2本生えてきました。
否、クナイは生えてくるものではありません。投擲し、壁に突き刺すものであります。
つまり、それは目にも止まらぬ早さで、ゆき姫が投擲し、顔の傍に突き刺さった暗器だったんです。
先程も申しましたように、ゆき姫は一国一城の姫でありますし、城主であられる蛸川 吸盤に蛸川流忍術の粋を教えこまれた一流の戦闘くノ一でありますから、クナイを壁にぶっ刺すなんてお茶の子サイサイですよ。
え? それは聞いてないって? そいつは失礼しました。
「次、つまらないこと言ったら、当てるよ?」
ゆき姫の目は本気です。
透ノ心は腰から崩れ落ちました。
これならまだ上着をひんむかれたほうがマシですからね。
◆
透ノ心は、ゆき姫から事の始まりを聞き、ようやく合点がいきました。
どうして町中の殿方の上着を脱がして回っていたのか。
姫は三月の頭頃、背中に桜吹雪をこしらえた男を見たとの事。
「遠山の金さんよ! 蛸川の町に来てくださったんだわ!」
「そんなわけないだろ。……まさか、それで殿方の裸を確認して、桜吹雪があるかないかって確認して歩いてたのか?」
なら僕の背中なんて確認しなくていいじゃないか! 僕は遠山の金さんではない。
それに、もし本人を前にして、衣服をひっぺがしたとしたら、取り返しのつかないことになる。
「その背中はどこで見たんだよ」
「城内よ」
「なら、城の役人か家来か家臣か。城の中を探せばいいじゃないか」
「城内の殿方の背中はみーーんな確認したから」
とんでもないことをけろっとした顔で言ってのけるのはゆき姫です。舌を出して許されるのは姫の特権です。
透ノ心は、これ以上ゆき姫に奇行をさせては行けないと思い、少し考えてから言いました。
「城内に連れて行ってくれ。僕が探してみよう」
◆
蛸川城はからくり屋敷でありますから、秘密の出入り口はいくつか用意があります。
ですが、そのどれもに必殺の罠が仕掛けられているためか、余所者はその出入り口を使うのはやめた方がよろしいかと存じます。
透ノ心はゆき姫が小さい頃から城内に出入りしていたものですから、もちろんその出入り口を知ってはいましたが、死の危険があることも身体に染みて分かっていましたから、きちんとした城門を潜り、安全な正門から入ることになりました。
「おや、透坊ちゃん。今日はお仕事ですか?」
女中頭の御手洗さんがお出迎えをしてくれました。姫の世話や、城内で暮らしている役人や武士の住む寮の寮母をしております。
「お久しぶりです。御手洗さん。隠し扉からこっそりと来る時とは違い、正式な訪問ですから。姫に頼まれた人探しです」
「まぁまぁ、ふふふ。立派になられましたねぇ」
坊ちゃん呼ばわりはよして欲しい透ノ心でしたが、御手洗さんには子供の頃からお世話になっておりましたので、観念することにしました。
「おーい御手洗さん、あ! 透ノ心じゃないか」
「おーい御手洗さん、あ! 透ノ心だ!」
「おーい御手洗さん、あ! 透ノ心だね」
ほぼ同時に挨拶をしてきたのは、三つ子の家来、通称『味団子三兄弟』の海苔吉、小豆吉、胡麻吉です。
ゆき姫を前にすると、海苔吉と胡麻吉はさっと体を守るようにして後ずさります。
「ゆき姫、お、お、お助けを」
「私は食べてもおいしくありませぬ」
「もうしないってば!」
城内のゆき姫の評価を知り、透ノ心は頭を抱えます。一方、寮母の御手洗さんは腹を抱えて笑いました。
「何、どうかしたんですか?」
小豆吉だけ、ぽかんとしている。
「ま、まさか小豆吉。お前、ゆき姫に脱がされていないのか?」
「あ、そういえばそうかも」とゆき姫。
「そういえば小豆吉はつい今しがたまで、故郷に帰っていましたからね。ゆき姫に脱……、ゆき姫の調査に関わっていないはずです」
「なら!」
ゆき姫の目がキラリと怪しく光りました。
すっぽんぽーん!!!
透ノ心が止める間もなく、瞬きの合間に小豆吉の上半身はあらわになりました。
「へ?」
大方の予想通り、小豆吉の背中には何の跡もありません。
「なーんだ」
「一体なんなんですか?」小豆吉は服をさっと羽織った。
かくかくしかじか。ここまでの話をかいつまんで話しました。
「背中に、桜吹雪、ねぇ。そんな人、見ませんでしたけど」と小豆吉。
「だよなぁ。おいらも知らねぇもんよ」と海苔吉。
「この城内にはいないんじゃないですか……?」と胡麻吉。
「そういえば、小豆吉だけどうして故郷に帰っていたんですか? 皆三つ子でしょう?」
「あぁ、小豆吉は二月の初め頃に背中に大けがをしてな。療養のため三月の頭から今の今まで帰っていたんだ。痛すぎて痛すぎて仕事にならねぇってな」
「大けが?」
「あー、あたしと節分に付き合ってくれた、あのことよね、あれは……ごめんなさいね」
ゆき姫は申し訳なさそうに頭を下げた。
「そんなそんな! 滅相もございません。私がちゃんと避ければよかったんです」と小豆吉。
「いや、鬼が豆避けたらダメだろ」と海苔吉。
「あんな鉄砲玉みたいに早い豆は殿様でも避けられないよ……」と胡麻吉。
ふんふんと話を聞いていた透ノ心は、閃きました。
「なるほど、そういうことだったんだ」
小さすぎて聞こえない声も、ゆき姫は聞き逃しません。
「え、ねぇ。何かわかったの?」
ゆき姫は透ノ心に近づいて、聞きました。興味津々なようです。
「あぁ、分かったよ。桜吹雪の正体も、君の馬鹿力もね」
◆
「結論から申し上げますと、桜吹雪を背中に携えた男の正体は、小豆吉です」
「えぇ? 今しがた背中を確認したじゃないですか。なーんにも跡はなかったですよ?」と海苔吉。
「いくらなんでも桜吹雪の入れ墨をたったひと月で跡形もなく消すのは無理ってもんじゃないですか?」と胡麻吉。
「入れ墨だったのなら、その通りです。しかし、ゆき姫が見た桜吹雪は、けがの跡だったんですよ」
「ケガ?」
「皆さん、想像してみてください。一流のくノ一であるゆき姫が投げた豆が背中に当たったら、すごい跡がつくと思いませんか? それはもう、おびただしい量の赤い跡が、桜吹雪のように、びっしりと」
「「「ひっ!!!」」」
味団子三兄弟の顔が恐怖でひきつります。
「実際には、けがをした当初は紫色にでも腫れていたんでしょう。治りかけのちょうど桜色に腫れた傷を、ゆき姫が見て、その後小豆吉は故郷に帰りました。痣の跡もなくなり綺麗になったから、桜吹雪の男は忽然と姿を消したのです」
これでもう二度と、姫は殿方の上着を剥ぐことはなくなると、一安心した透ノ心でありました。
◆ <後日談>
ここは満開の桜が咲き誇る城下町の屋台の一角。
取り立て屋の角衛門と助六が大好きなお酒を飲んで、楽しくやっています。
そこにやってきたのは、ゆき姫です。豆をぱらぱらと手に持ち、後ろでは役人が何やら瓦版をばらまいています。
助六はそれを拾って読み、まるで雷にでも打たれたかのように固まりました。
角衛門はそんな助六を置いて、ゆき姫に絡みます。
酒で気分がいいのでしょう。それに、恰好の話の種がありますから。
笑える話が、酒には最高の肴になります。
「ゆき姫~、どうですか? 桜吹雪は見つかむもごぐごもご!」
角衛門の口を助六がすかさず両手で塞ぎました。噛まれようがよだれがつこうがお構いなしです。それはもう、その後の言葉を言わせまいと必死です。
「角衛門、何か言いたいことでもあるの?」ゆき姫はにこやかに応えます。
「へ、いえいえいえいえ!!! なんでもございやせん!!」
助六は角衛門を無理やり引きずって路地裏へと連れていきます。
「おい! 助六! 離せってえんだ!! これから俺が楽しい話をしてやろうって時に!!」
「角さん、見なよこれ……」
助六が拾った瓦版を角衛門に見せます。
それにはこう書かれていました。
『姫が探していた桜吹雪の入れ墨男の正体は小豆吉なり。桜吹雪の入れ墨の正体は、姫が節分で投げた豆にて腫れに腫れた血豆と痣の跡なり』
「な、なんだってえええ!!?」
姫の強さは町人の誰もが知っていましたし、遠山の金さんのように綺麗な桜吹雪が、実は血まみれの痛々しい痣の跡だったと知ると、眼前の桜を見るだけで恐怖がひゅうっと背中を駆け抜けていきます。
そして、その後の一文が、角衛門の心臓をぎゅっと鷲掴みにしました。
心を鷲掴みにするのと、心臓を鷲掴みにするのと、天と地ほどの差があります。
『もし姫が殿方の服を剥いだ件についての話題を姫に話し、姫の逆鱗に触れたものは、姫による【鬼は外、福は内の刑】に処す』
【鬼は外、福は内の刑】
この話をしている私は、もちろんあなたも初耳でしょうが、意味するところは分かってしまうことと思います。それはもちろん、角衛門も同じでした。
「角衛門、さっき、何か、言った?」
豆をひとつかみ持って、軽く投げる仕草をしたゆき姫は、近くの植物の生えた障子に無数の穴を作りました。音も無く。その後、障子紙の向こう側から「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえたのはおまけです。
号外はあっという間に城下町中に知れ渡り、百姓は皆、桜吹雪と見まごうほどの、おびただしい量の桃色のあざを想像しては恐怖におののき、二度とその話題を口にしようという者はいなくなったそうな。
もちろん、その瓦版、御触れを出すように進言したのは、透ノ心でありました。
◆
「で、どうして遠山の金さんを探す、なんて言いだしたんだよ。何かあったんじゃないのか?」
「なんでよ」
誰にもぶつけることのなかった豆をぽりぽり食べるゆき姫は、透ノ心の家でくつろいでいました。
「小豆吉の背中を見たのは三月の頭だったんだろう? でも、実際にその背中を探し始めたのは四月過ぎた辺りじゃないか。時間差がある。だから、最近きみにとって、遠山の金さんに相談したいようなことが起きたんじゃないかってことだよ」
「んー」
透ノ心の顔をまじまじと見るゆき姫。姫の綺麗な瞳で見つめられた透ノ心は思わずたじろぎました。
「な、なんだよ」
「あんたって、どうしてそんなに何でもわかっちゃうんだろうね」
わからないことも、あるみたいだけど。そう小声で呟くゆき姫。その声は透ノ心には聞こえません。
「そ。実は、この間、不思議なことがあったんだよね」
さてさて、わざわざ遠山の金さんを探して相談したいこととは何だったのか!?
なんとまぁ、どうやらこの話は、続くみたいです。
どうなることやら……。
続
鞘元透ノ心の心算絡操帖 ぎざ @gizazig
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