最後のUターン

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

ダメな自分を選ぶか チートな人生を選ぶか

「勇也よ、目覚めるがいい。君は現世での死に瀕し、一つの選択肢が与えられた」


 真紅に染め上げられた部屋の真ん中で、僕は目を覚まし、自分が深い眠りに就いていたことに気付く。目の前には白衣をまとう男性。背には柔らかなソファー。歪でありながら、どこかに奇妙な合致を見せる空間が、私の中に一つの不安を築き上げる。


「一つはこのまま現実へ戻り、死の淵を彷徨さまようというものだ。自転車にかれて転倒した君は今、打ちどころが悪く二日にわたっての意識不明の重体となっている。ここで戻っても、回復の見込みは薄い」


 男の言葉に、朧気おぼろげながら記憶が蘇ってくる。何もない休日ということで、近所のパチンコ屋にでも行こうと思って出かけたところで下り坂を暴走した自転車にかれたのだ。そして、空とアスファルトが逆転したかと思うと、強い衝撃が襲ってきた。そこまでで、記憶が途切れている。そうである以上、白衣の男の言葉は正しいのだろう。思えば、これ以上ないほどに非劇的な死に様と言える。まだ死んではいないのかもしれないが。


「それで、もう一つの選択肢は別の世界に魂を移し、そこで新たな生を営むというものだ。そこでの生き方や自分の姿などはここで選ぶことができる。三十路に入り、彼女もなく、休みもなく、その休みもパチンコで無為むいに溶かすような人生から離れることができる。君には、可能性が与えられたのだ。よい人生を選び、歩むことができるという可能性が」


 男の言葉にうなずく。思えば、この三十年以上の人生で楽しかったことは一つもなかった。特技もなければ勉強もできず、友人はできず、恋人など夢のまた夢。ソープに行けば童貞も捨てられると思っていたが、出てきた寸胴ずんどう鍋を相手にふるい立たせることができず、幻滅して魔法使いとなった。

 そんな僕の人生である。チビでデブという罵倒に最近はハゲというものが加わった。この前の休日は小学生に防犯ブザーを鳴らされた。パチンコの帰りというだけであったのに、近くにいた大人が駆け寄りにらみつけられたのはどうしようもなかった。

 仕事も朝の六時に出ては夜の十一時に帰る典型的なブラック企業である。上司の無茶ぶりに罵倒は日常茶飯事で、職場の問題はほぼすべて回される。金がもらえるだけ幸せだろうという言葉に反発して、言い返そうとしても結局は黙らざるを得ない。エコーシガーを根元まで吸いながら、その言葉を必死に呑み込んだのは十時を過ぎた会社の駐車場であった。

 そんな僕の人生である。


「さあ、君はどちらを選ぶ。君の望む条件を付与した人生を選ぶか、今の人生を良しとして生きるか」

「一つだけ質問してもいいですか」

「ああ。何を聞いてもいいぞ」

「転生の条件が良すぎるのですが、何か過酷なことをやらされるんですか」


 僕の問いに、男は一瞬だけ笑った。


「いや、そう不審がるのも仕方がないな。等価交換ということで考えれば、当然の発想だ。しかし、不利な条件はない。我々の上司の気まぐれで、数名を好きに転生させてみようという話になり、丁度ちょうどよく瀕死となった君が現れただけだ。運がよかっただけだ」


 背を向けたまま、男は両手を挙げて首をかしげる。どこの世界でもそうした不条理はあるのだなと少し同情しつつも、その気まぐれが今の僕には救いであった。




 転生の話に同意した僕は赤の部屋を出て研究室のような部屋に通された。液体が充填じゅうてんされたカプセルがあり、そこで望む肉体が作られるのだという。そこで僕は自分のれ物となる肉体を理想に合わせて作った。


「身長は一七八センチで、体重は六八キロ、体型と筋肉はこんな感じがいいな。あと、髪は少し暗めの金髪でそれが合う肌の色、足の長さはこれぐらいでバランスが取れそうだ」


 我ながら我儘わがままなイケメンになった。無精ぶしょうひげと三段腹と煙草に加えた汗臭さとは無縁の存在となり、バルで黒ビールを傾けているのが似合う好青年だ。


「そういえば、転生したら元々の僕の身体はどうなるんだ」

「そのまま生命活動を停止する。つまり、死ぬということだ。ただ、今回の君の場合は転生を拒否してもそのまま死ぬ可能性がある。違いは最期の瞬間を共に迎えるか、それとも別々に迎えるか程度になるかもしれん」


 男の言葉に、そうだろうなと返す。両親が早死にし、兄弟もいない自分からすれば悲しむ人もいない。今日もあくせく働いているであろう同僚が欠員で苦しむぐらいか。戻ったところで、文句を言われるだけであろうから何も悩む必要がないのは救いだが。

 はっきりと言ってしまえば、転生するデメリットはなく転生しないメリットはない。薄くなってきていたせいか、引かれる後ろ髪がないというのはここまで清々しいものなのか。

 そこからは、さらに図書館に通されて必要なスキルを選んでいく。まずは、スポーツ万能と博識とを加えるが、ここでも何をどれだけ選んでもよい。そこで最初に他者の魔法やスキルを任意で無効にできる能力を手にし、回復や治療のスキルを確保する。そうすれば、今回のような無様な死は防げるはずである。

 転移魔法や飛翔スキルは当然のようにつけ、平和な世界でありながら足趾を含めた攻撃魔法も網羅する。これで、戦争が起きれば英雄になることができる。当然、防御のスキルは全て習得している。この時点で名前を覚えるのが億劫おっくうであったため、魔法の天才という能力もつけ、イメージだけで発動できるようにする。

 そして、催眠魔法や催淫魔法、発射無制限というスキルも男の欲に従って習得する。一瞬、妊娠のリスクが頭を過ったが、避妊魔法を見てこの世界の至れり尽くせりぶりを思い知らされた。当然のように習得する。転生すれば酒池肉林の生活だ。今、病床で死を待つだけとなっている僕の肉体からすれば信じられないことであろう。




 次は雑貨屋のような部屋に通され、転生先の持ち物を選択することになる。ひとまず、国家予算の百年分を確保し、金は有り余るほどの量を確保しておく。そのうえで、屋敷と必要な家具類に調度品を揃え、書庫の蔵書量も世界一を誇るものとする。金だけでは周りに人は寄るが残らない。そこに文化というスパイスを加えることで、初めて一定の地位を築くことができる。服や装飾品も同様である。単純に目立つものは少なくし、質素なものやシックなものを多く選ぶ。そして、念の為に持っておく武器と防具はもっとも効果的なものを選び、多くの事態に対応できるようにしておく。酒と葉巻もいいものを置き、今までのような暮らしとは離別する。




「さて、ここまで準備をすれば十分だろうか。思い残すことがあれば、今のうちに済ませておくことだ。一度、世界を選択し、そこに降り立ってしまえばそれ以上の追加も変更も利かない」

「これだけ手にできれば十分すぎますよ。これで文句を言おうものなら、それこそ罰が当たります。既に当たりそうで怖いですが」

「繰り返すが、今回の措置は上司の気まぐれで、本当に損得なしというものだ。新たな世界で新たな人生を楽しむとよい」


 男に誘われ、二つの扉の前に立つ。


「この左の戸の先を進み切れば、新たな世界に通じる。右の戸の先を進み切れば、元の世界に戻れる」


 男の説明を聞いてすぐに左の戸を開け、閉めることなく進んでいく。今の自分にとっては縦に広すぎ、横にはちょうど良い道は苔むしたレンガに囲まれ、これから往く世界を彷彿ほうふつとさせる。

 そう、ここを進んでしまえば僕は死に、僕は新たな生を受ける。何も残すことなく、医師と看護師にのみ看取られ、それこそ無縁墓地に葬られるのだろう。僕をうとんじていた親戚が来るはずもなく、唯一認めてくれた母は既に土の下である。

 背格好をわらわれ、顔は放送コードにかかると言われ、馬鹿で特技もなく、煙草臭さから忌避きひされ、膨れっ面がよく似合うと罵倒され、浮浪者より酷い格好と称された。

 何もかもがダメな人生。その人生そのものを僕は嫌っていた。自棄になり、他人と交わろうとせず、破滅へのアクセルを踏み続けた。その僕が、今、誰にも愛されることなく元の世界を去ろうとしている。




 きびすを返す。速足で来た道を戻る。新しい人生は確かに羨ましい。それでも、僕の人生は僕にしか歩めず、僕しか認めてあげることはできない。それを忘れ、無下にした自分を恨む。それでも、手遅れではない。まだ、最後の一瞬が残されている。その一瞬だけでも、自分のことをどうにかして愛し、認めてあげることがせめてもの償いではないだろうか。運動不足の足が悲鳴を上げそうになる。呼吸は酷く荒くなっている。それでも、このままではダメだという声が魂を後押しし、新たな世界を遠ざけていく。





「すみません」

「おや、どうしたのかね」
























「いや、別世界をのぞく能力を追加してください」

「分かった。つけておこう」

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