Uターン病

静嶺 伊寿実

Uターン病の症状

 最初は単なる症候群だった。

 なぜか行き先へ向かっている途中で戻ってしまう、一度出たお店にもう一度入って行く、布団が恋しくてもう一度入ってしまう。

 単純な心理的行動だと思われていたので、人々は「心が弱いせいだ」「帰る家を思い浮かべるから、無意識に身体が戻ろうとするんだ」と問題視しなかった。実際、帰ることを考えずにいると戻らなくて済む、という意見がインターネットで散見していた。


 そのうち、出身地や地元へ引っ越しをする人が増加するようになった。リタイア世代から始まったこの行動も、初めは「都会暮らしよりも田舎暮らしへの憧れが強まった」としか認識されず、好事家こうずかによる道楽の一種だとされたため、注視されなかった。

 だがその動きは半年足らずで、労働力を担う働き世代にも浸透した。

 都会の就職先を辞め、地方へ転職する若者たちは口々に「なんだか帰りたくなった」「毎週帰省するようになって、いっそのこと住むことにした」「やっぱり生まれ育った地域が肌に合っている」と、条件が悪くなるにも関わらず、地元企業へ喜び勇んで就職していくのだった。


 この状況になってようやく、Uターン症候群は国で認知された。だが、国はあえてこの症候群を放置することにした。地方に人口や労働力が分散し、過疎化の解消に効果があったからだ。国はこの動きを歓迎し、地方へ転職した人に所得税を減額させる制度を設け、支援した。いわゆる「Uターン症候群就職支援策」である。


 ところがUターン症候群は、ウィルスが原因の病気であることが判明した。最初の症状が出てから一年半、ウィルスの症状は弱かったものの感染力は高く、ウィルス性だと分った時には国民の三分の一が感染していた。

 そして国が感染対策に腰を上げた時には、ウィルスは抗体を持ち、ちょっとやそっとの薬では効かない病原菌へ変貌していた。


 Uターン症候群はUターン病と名称を変えた。

 Uターン病の蔓延を広げたのは、一見した症状の分かりにくさだった。思っていた行き先に行けず戻ってしまう、というのははたから確認できることではない。単なる忘れ物、ストレスからの逃避、気まぐれ、思い直し、思い違い。誰でも一度ならずしてしまうことである。

 しかしUターン病はじわりと市民生活をおびやかしてした。タクシーやバスが行き先と別方向へ行ってしまう、トラック輸送がUターンばかりしている、壊れたゲームのように駅の改札を行ったり来たりする人が続出している。このような報道が連日なされ、Uターン病の症状は日に日に強くなっていることを強調された国民は、単なる車のUターンも怯えるようになった。

 

 こうなってくると、様々な主張をする集団も出てくる。

「ギャンブル依存症も実はUターン病が原因で、一度出た競馬場に戻ってしまう。ギャンブルに通い詰めている人からウィルステストをすべきだ」

「うちの旅館はリピートしてくれる客のおかげで生計が成り立っていたのに、全員のUターン病が治ってしまうと、リピーターがいなくなるかもしれない」

「あそこの店は、あえてお釣りを間違えることで、客をUターンさせて利益を上げている」

など、言いたい放題言っている影響で、ついには「おかえりなさい」を禁止したメイドカフェまで現れた。

 ちなみに、Uターン症状を利用した「帰ってきたくなる雰囲気」を演出する店舗が続出したのは言うまでもない。


 国はUターン病対策として、「忘れ物は人に届けてもらって下さい」「帰る先を思い描かないで下さい」「移動中は後悔や思い返しをしないで下さい」と無理のない範囲のレベルを上げながら呼びかけたが、社員は出社せず、物流は混迷し、ついには街から人が消えた状態になって、国はワクチン開発とは別の手を打った。

 自動運転、自動輸送、遠方勤務テレワークの実用化である。


 けれども、Uターン病の症状はますます強まり、世間ではいろんな出来事が一気にやってきた。

 飛行機や車は忌避きひされ、一方通行の列車や電車が好まれるようになった。真っ先に自動運転化されたのは、地下鉄である。

 石油を運んでくる船もUターンをするから、石油製品や紙パルプが高くなるかもしれないという噂が流れた。さらに海外製に頼っている衣料品は、軒並み価格高騰した。

 ドル円相場は二百円を超え、株価はグローバル企業を中心に暴落。

 企業はグローバル化を止め、国内生産百パーセントにすると言い出し、脱グローバル化をした企業からじわりと株価を戻す。

 家を持たない人々が重宝され、社員は職場に併設された下宿所に泊まる光景が当たり前となった。企業は遠方勤務テレワークよりも、企業の敷地内に住まわせる「社宅団地」

の方が安く効率的だとして好まれ、「社宅団地」は社会現象になった。

 この社宅団地は、高層マンションではなく木造の長屋がごく一般的であった。高層マンションだとエレベーターを待っている間に帰宅してしまう者が多く、なるべく低層で、通勤時間がごく短いことが望まれたからであった。さらに自動輸送の設置も簡易に行えることもメリットであった。

 情報が入りすぎるのを嫌った人の中には、携帯電話スマートフォンやテレビまでも手放す者までおり、代わりにラジカセが売れ、新聞の契約数も五十年前を超えた。


 ちなみにちまたではUターン病のメリット現象として「Uターン復縁」と呼ばれる、よりを戻すカップルが急増。

 かくいう俺もUターン病効果か分からないが、彼女と復縁をし、先月結婚した。


 Uターン病が発現してから、六年。様々なことが進んだり戻ったりしたが、国と企業努力のおかげで市民生活は保たれ、ようやくUターンウィルスの終息宣言がなされた。


 これでようやく旅行に行ける! 帰ることを想起しないようにしていたので、車を手放し、旅行を諦め、長屋で粛々と暮らしていたが、それも今日で終わりだ。さて、なにからしよう。

 俺はインバネスコートを羽織って、出掛けてみることにした。本当にUターンしなくても済むようになっているのか試したかった。

 長屋を出ようとすると、妻がざんぎり頭にカンカン帽をかぶせてくれた。腰まで伸びた黒髪を襦袢じゅばんに流しながら、財布を持たせてくれる。

「外へ行くなら雑誌をいくつか買ってきて。アッシュカラーのボブにしたいんだけど、どんなのがいいか見てみたいの」

 はいよ、と西洋ブーツを履いて出る。

 それにしても、なんでこの女と結婚したんだっけ。俺は羽織はおりはかまで立ちで考える。そもそも流行ばかり追って、見栄を張ろうとする彼女に疲れて別れたのに、なにか戻りたかった訳でもあったかな。

「今こそ国際化、グローバル化の時代であります。今こそ国民はAIに打ち勝ち、細やかなサービスを……」

 街頭テレビで蝶ネクタイをつけた偉い人が叫んでいる。

「時代は常に進んでいるのであります。人は時の波に乗らねばならないのです!」

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Uターン病 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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