猫をもっと好きになる缶詰

真花

猫をもっと好きになる缶詰

 私は犬派だ。

 生まれつきの素質も、それを修飾する人生も、定規で引いた直線のように犬を私に愛させる。

 だが、大学進学を機に上京してからの一人暮らしでは犬を飼う程の経済力もなく、かと言って無理して飼う決断をする程の犬愛を自覚してもいなかったので、文字通りの一人暮らしをしている。

 動物の居ない生活も悪くはない。

 そして、動物が居ないからこそ出来る、バイトやサークルで夜にしか部屋に戻らない日々を送って来た。

 だが、今日は東京に越して来て初めて午後一杯が空いている。たまにはいいかも知れない、私は部屋でゆっくりと時間を過ごすことにした。

 本を読んだりネットを遊んだりしている内に五時の鐘が鳴り出した。実家のときと違う音色に、よく聞き取ろうと窓を開ける。

 眼下に飛び込んで来たのは駐車場、その隅に猫溜まり。十匹以上の猫が集まっているのだ。

「猫って群れる習性あったっけ?」

 ぼうと見ていると、駐車場の入口からエプロン姿のおばちゃんが、よたよたと覚束ない足取りで入って来た。手にはエサ皿。

「なるほど、あいつらそれが狙いか」

 案の定、群がる猫。あっという間に空になる。これでは満腹にはならないだろうに、おばちゃんはエサ皿を取り、来たときと同じ速度で駐車場を出て行った。

 ふむ。

 それから機会を作っては観察を続ける。

 恐らく。エサをやっているのはあのおばちゃん一人であり、猫達は慢性的に空腹である。猫はおばちゃんのエサを食しても、あの場所から散るということはない。

 私は犬派だが、生粋の犬派だが、猫が嫌いと言う訳ではない。いやむしろ、これで猫派並みに猫を好きになれば、猫を愛せば、完全になるんじゃないのか。

 世界の真理を発見したときだけにある、総毛の逆立つ、全身が粟立つ、脳の中に甘い汁が溢れる感覚。

 行こう、キャットフードを買いに。

 駅前? いいや、大型店だ。やるならば最高のオープニングにしたい。

 着けば贅沢とも言えるラインナップ。吟味の上で私が選んだのは「猫をもっと好きになる」と言うキャッチフレーズの缶詰。猫が好きだと謳うもの達の中で、これだけが私のニーズを射抜いている。生産者の顔写真がそのままロゴに「私が作りました」と言うのも自信を感じる。値段が多少張るのは許容範囲だ。

 部屋に着いたらもう夜はとっぷりと暮れていて、作戦決行は明日だ。たとえおばちゃんが先にエサを与えても、問題なく私の缶詰にも群がるだろう。

 次の日は朝から期待でそわそわしていた。午前中で終わった講義の後、ひたすら自室でスタンバる。間違ってもおばちゃんより先に与えてはいけない。おばちゃんへのリスペクトだけではない、習慣を破壊してはいけない。これはマナーじゃなくてルールだ。

 だから私はむしろ猫を待つのではなく、おばちゃんを待つ。こんなに恋い焦がれるとは思わなかった。いつも、あ、また来てる、くらいの関係なのに、今日は何度も駐車場を確認してしまう。

 五時の鐘、来た、おばちゃん。いつもと同じ、その一定さが尊い。万が一今日だけ大盛りだったら私の計画は猫とおばちゃんの蜜月に押し出されてしまうから。

 いつもどおりの猫集合からの定位置への離散。今しかない。

 私は用意したエサ皿に缶詰を開けようとして、はたと気付いた。

「現場で開ける方が演出として秀でてる」

 私は両手にエサ皿と缶詰を持って駐車場に走る。今より燃える青春を感じたことはない。

 駐車場。

 正面から見ると猫の群れは、近寄り難い迫力がある。取って喰われそうな、実際食欲の塊なのだけど、圧力。

 おばちゃんにもうひと匙のリスペクト。これに毎日向かっていたのか。しかしこんなところで引き返す訳にはいかない。

 暴風に屹立しながら歩を進めるように、しかし着実に前へ。猫は何もして来ない。ニャーと左端の三毛が鳴く。負けない。私は負けない。

 ついにおばちゃんのステージと同じ場所に至る。猫はじっと様子を窺っている。

 エサ皿を、置く。

 缶詰を、開ける。

 匂いだけでとろけそうだ。何だこれは。何が入ってるんだ。

 エサ皿に、出す。

「さぁ、来い」

 全ての猫が、エサ皿に向かってくる。これだよ、これがしたかったんだ。

 先頭のブチがエサ皿に到達し、ペロっと舐めて、くるりと踵を返して元の位置へ。 

 え?

 二匹目、三匹目、同じ反応。

 次から次に版で押したようにUターンしてゆく猫達。最後の一匹まで、同じ。

 立ち尽くす私の前に、えらくいい匂いをさせながら、猫に全く選ばれなかった缶詰の中身がそのままのエサ皿。

 三毛が、ニャー、と鳴いた。

 それは敗北を確定させるゴングだ。

 猫達をひと通り見遣り、私はエサ皿を持って、敗者のロードを部屋まで繋いだ。

 匂いがいいから、ちょっと食べてみたら、脂と土みたいな味がした。香りからは想像出来ない、これは猫もああなるわ。確かに、猫が好きな味とは書いてない。

 部屋の窓から見れば、あいつらは定位置に待っている。

 猫は私の元に集まったのだ。あの感覚は忘れられない。でも、食べてはくれなかった。そうだ、これから別のエサ缶を買いに行こう。

 あいつらがきっと満足するような缶詰を見付けてみせる。

 

(了)

 

 

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