第7話
駅にて列車の切符を買ったは良いが、ホームで駅員が待ちうけていた。
「悪いけど、一人一人検査させてもらうよ。先ほど使者が知らせに来たんだが、貴族様の使用人が逃げたそうだ。かなり時間が掛かるだろうから、もうすぐ発車するこの列車は諦めて、次のに乗ってくれ」
不満そうな人々に混じり、私は青ざめた。
貴族の使用人が逃げただけで、駅員に捜索させるはずがない。本当は、異種を見付けろという指示が出ているはずだ。
帽子やフードを外せば、エーリもシャリアも簡単に異種だとばれてしまう。
どうすれば良いのか、と考えたところでシャリアが一歩進み出た。
「だめだ、止めろ! また命が削れるぞ」
「構いません。どうせもう、僅かです……。それよりも、このままではエーリまで捕まってしまうでしょう」
そしてシャリアは顔を上げ、その美しさに驚く人々の耳を切り裂くような声をあげた。
人々がばたばたと倒れる。発車ベルが鳴り響く中、私は崩れ落ちるシャリアを抱きかかえて列車に乗り込んだ。
すぐに個室席に入って、シャリアを下のベッドに寝かせる。口から流れる血は止まることなく、枕を濡らしている。
「……ミシアを、抱かせて」
母親の願いに従い、エーリは彼女の上に命を失くした少女を横たえた。彼女はしっかりと、娘を胸に抱く。
「……気分は」
問うと、シャリアは薄青い目を開いた。
「そろそろ、限界のようです……」
堪え切れず、エーリが泣き出した。しがみつく息子の頭を撫でながら、シャリアは私を見上げた。
「ありがとう。ウェンさんのご友人……」
「いや。かえって、すまないことをした……」
いくら急いでいたからといって、無計画すぎた。結果、こうしてシャリアの命を削ることになってしまった――。
「謝らないで。良いのです、これで。私は貴族に買われずに済んだ……。リディスの山に帰れる」
うわごとのように呟いて、シャリアは尚も続けた。
「ウェンさんのことは……本当に、申し訳ありません」
「それこそ、あなたが謝ることじゃないだろう」
「いえ。私があの時、“死の声”を使うことが出来ればウェンさんは助かったかもしれない……。サルヴィスの領主は、異種の“死の声”を知っていたようです。エーリはウェンさんのおかげで逃げられましたが、襲撃の際に私と娘は真っ先に昏倒させられたのです。あまりにも突然で、気が付いた時にはもう……領主に捕らわれていました。口元は固く、猿ぐつわを噛まされて手も足も縛られていました」
「領主が知っていた? いや待てよ。それはそうだろうな。何せ、あなた方が地下牢に捕らわれていた時……その声が使えたならば逃げだせたかもしれない」
「はい――。異種の恐るべき能力として、一部の貴族間に知られていたそうなのです。かつて異種が、抵抗として使った証でしょう……」
「しかしそれならどうして、オークションの時は外されていたんだ?」
「サルヴィス領主は知っていても、あのオークションの主催者は知らなかったのでしょう。見栄えが悪いと言って、縄などは全て外され鳥籠に入れられました。しばらくは憔悴のあまり、何も出来ませんでした。そして――気が付けば舞台に居て……娘が死んだのです」
シャリアは苦しげに顔を歪め、変わり果てた娘の背中を何度も何度もさすっていた。
しかし“死の声”とは言いえて妙である。あの声を浴びた人は死なずに気絶するだけのようだが、使った本人はこうして――死に近付く。“死の声”の死とはすなわち、異種の死を表すのだ。
怒りも憎しみも覚えず、強力な力は自らの命を削る。――なんと儚い、種族であろうか。
「エーリは、子供なので力の使い方はよくわからなかったはずです。だから、あなたにも作用してしまいましたね……申し訳ありません。使い方をちゃんと覚えれば、意識して特定の人に作用させないようにすることも出来るのですが――」
「謝るのは止めてくれ」
私が首を振った時、シャリアはごほごほと咳き込んだ。
「お母さん!」
「……エーリ。ごめんなさいね。一人きりに、させてしまうわね……」
涙を流すシャリアは、エーリの頬に手を当て哀しげに囁いた。
「一人きりには、ならない」
私は力強く告げた。
「ウェンの友人として、彼に代わってエーリの面倒を見よう。だから安心してほしい」
エーリの面倒を見ること――それは、ウェンに対しての弔いにもなるだろう。
ウェンはきっと、心痛めたはずだ。自分が訪れるようになったため、領主に露見してしまったのだから。
「ウェンのことは、どうか恨まないでやってくれ」
私の懇願にも似た願いに、シャリアは微笑んだ。
「いいえ――恨むものですか。ウェンさんは、たくさんの幸せをくれましたもの」
シャリアは己の血で濡れた、真っ赤な唇を笑みの形にした。
「エーリを、お願いします……」
「ああ、もちろんだ」
「あり、がとう……。ウェンさんとミシアとは、天の国でまた会えるでしょう……」
ふっ、と灯が消えるようにシャリアの目から光が失われた。
母の亡骸にすがって、いっそうひどく泣き叫ぶエーリが見ていられなくて。私は目を閉じ、涙を堪えた。
シャリアとミシアの体を毛布で包みこみ、私達は彼女達を抱いてリディスの駅に降り立った。
そして休むこともなく、暮れゆく日の中、リディス山に登った。
シャリアとミシアの遺体は、異種の伝統に従って雪に埋めた。
異種の遺体は骨も肉も、自然――大地や雪に解けるようにして消えていくのだという。
本当に雪ような種族だ、と思いながら私はエーリと共に母と娘を弔った。
七日後。私はようやくリディスを発ち、故郷の領地へと舞い戻った。
そして迎えた老執事は、帰った私を見るなりかんかんに怒って来た。
「お嬢様――! 何ですか、あの電報は! 山を買うなんて正気ですか!? しかも異国の!」
「私はいたって正気だ。ところでディン。私はもう“お嬢様”ではないぞ」
「これは失礼致しました。つい昔の癖で――。って、そんなことはどうでも良いのです! どうして山など買ったのですか!」
「話すには長くてな」
「しかも山の管理のために、幾人か雇ったとか……」
「それも話すには……」
「領主様!」
怒鳴られ、私は肩をすくめた。
「わかったわかった。あとでゆっくり話すから、とりあえず家に入れてくれ。私は疲れているんだ」
ディンの横をすり抜け、私は追いすがる「お嬢様! ……いや領主様!」という声を無視して自室にまで直行する。
懐かしい書斎の内側に入り、ようやく人心地つく。
「さて、どう説明するかな」
嘘は止めておいた方が良いだろう。青くなったり赤くなったりはするだろうが、ディンも認めてくれるはずだ。
そう。私はリディス山を、サルヴィス領主から買い上げたのだ。
闇オークションのことを王に進言されたくなければとっとと売れ、と半ば脅して――しかしもちろん少なくはない金をもって、リディス山はフィス領の飛び地となったのだった。アーシェル王やルーデン王の許可も、ちゃんと取り付けてある。
理由はもちろん、あそこでしか暮らせない少年が居るからである。あのままでは、サルヴィス領主はエーリをもさらうだろう。
私の屋敷で保護したいところだったが、エーリは子供で長くは故郷の山から離れられない。
そこで思いついた妙案が――山の買い取りだったわけだ。
それだけでは不安なので傭兵を雇い、山の入り口の警備を頼んだ。表立っては私の離れ領地だから兵士を置いているとでも、町人は思ってくれるはずだ。
もちろんまた、リディスを近々訪れる予定だった。
私はずっと懐に忍ばせていた、ウェンの形見でもある黒い手記を取り出した。
「……お前の研究は、私が引き継いでみせる……」
友人が為し得なかった夢を、叶えてみせる。彼が命懸けで守ろうとした家族の、たった一人の生き残りと共に。
だからウェンよ、見守っておくれ。
あの厳しい雪山に一人ぼっちになってしまった、あの少年を――。
彼は母を想い、妹を想い、友人を想い、泣いているのだろうか。
胸が締め付けられる思いで、私は目を伏せた。
だが、私はすぐに顔を上げる。
感傷に浸っている暇はない。やるべきことはたくさんある。
早く終わらせて、リディス山を訪れなくては。そしてその時には、土産にたくさんの飴玉を持っていってやろう。
(了)
雪のみた夢 青川志帆 @ao-samidare
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