赤毛猿
「あっぶないなぁ」
その黒い影はいかにも迷惑といった風にゆっくりと立ち上がった。
街灯に照らされた姿を見て彼女はすぐにそれが何者であるかを理解した。
まるいで機械作業員の様な少しダボついたつなぎに使い込まれた皮手袋に革のブーツ。
そのところどころには丸い穴が開いていて先ほどの名残の蒸気が薄く吐き出されている。
軍用のものとは違う大きく武骨な多機能ゴーグルと口元を隠すように巻かれたマフラーで顔は良く見えないが、先ほどの人間離れした動きと、真っ赤に燃える様に赤いショートの髪がその人物がそれであることの十分な証拠であった。
それは、貧民街では英雄的義賊と称えられ、富裕層からは最悪の盗賊としてA級指名手配されている盗賊「赤毛猿(レッドモンキー)」だ。
両手には先端がフックの様な形状で使の部分は自動巻取り式の太いワイヤーによって繋がった一対のナイフが握られている。
すぐに戻ってきた追手達のヘッドライトが彼女の背後から赤毛猿を明るく照らし出した。
しまったと思い金髪の女性は思わず振り返った。
直接見てしまったヘッドライトのあまりの明るさに幻惑し。すこしクラクラする。
赤毛猿は眩しそうにゴーグルのつまみを回す。
するとガチャガチャと機械音を立てながらゴーグルの形状が変化しこともなげに追手達の方を真っすぐに見つめ直した。
金髪の女性はこれまでの人生でこんなにも多機能ゴーグルが羨ましいと思ったことはなかった。
「貴様、赤毛猿か!?」
「どうしてこんなところに!?」
追手達も突然のA級指名手配犯の登場に驚きを隠し切れないでいる。
盗賊が高級住宅街のど真ん中に現れたのだ。
その理由など、決まっている。
「誰がモンキーだ!このやろう!」
赤毛猿はその異名が気に入らないらしい。
当然のことかもしれないが。
徐々に冷静さを取り戻しつつある追手達が、プロヴェーダに備え付けられたライフルを取り出し赤毛猿の方に銃口を向ける。
「どうする?」
「構わん!どのみちデッドオアアライブ指定だ!撃て!」
「しかし、このままでは博士に当たるかもしれんぞ。」
「クソッ!なんて夜なんだ。」
追手達が次手をどうするかまごついているのを見て赤毛猿がにやりと笑う。
『自分を相手にして考えることに時間をかけるなんて、なんてバカなやつらなんだろう。』
赤毛猿は左手にもった方のナイフを素早く投げた。
ナイフは少し離れた街灯に向かって音もなく勢いよく飛んでいき、赤毛猿が手をクルリと回すとナイフに付いたワイヤーがクルクルと街灯に巻き付いた。
次の瞬間追手達の視界から一瞬で赤毛猿の姿が消えた。
ナイフに付いた自動巻取り装置によって勢いよく巻き戻されたワイヤーに引っ張られて、飛ぶ様に赤毛猿は街灯の方に移動していた。
一瞬何が起きたか分からずに追手達が手に持ったライフルを乱射しするが、そんなものが当たるはずもない。
赤毛猿はくるりと空中で姿勢を変えて地面に平行になって街灯に両足をつける
その瞬間に体のいたるところから細く蒸気がほとばしる。
そして街灯を蹴って信じられないスピードで空中に舞い上がった。
追手達は完全に赤毛猿の速さに翻弄されて明後日の方向に向けてライフルを乱射していた。
しかし、空中で徐々に速度を落としていた赤毛猿の方に追手の一人がなんとか照準を合わせようとライフルを構え直した。
だがそれを見て赤毛猿は不適ににやりと笑った。
そして空中で猫の様に体を丸めると、その姿が見えなくなるほどの蒸気を体中から噴き出した。
もうほとんど照準を合わし終えていた追手は構うものかと引き金にかけた指に力を籠める。
赤毛猿は自分の体を包む蒸気の中で足にぐっと力を籠める。
ここは空中、足の先には何もない。
訳ではない。
そこには空気がある。
ただあまりに柔らかく、あまりに早く動くため、だれも捉えることが出来ないだけ。
じゃぁそれを超える速さで鋭く動くことが出来たなら?
それほどの速度で空気を蹴ることが出来たなら、それはもう硬い壁と変わらない。
足元で硬く圧縮された空気を蹴って赤毛猿は飛んだ。
真っすぐにまるで弾丸の様に一直線に。
追手の指が今にも引き金を引こうとした瞬間。
蒸気の煙幕がはじける様に霧散した。
彼の銃が凄まじい破裂音とともに弾を発射した時には、赤毛猿の姿はすでにそこにはなかった。
「どこに行った!?」
追手たちが慌てふためいてきょろきょろと辺りを見回す。
カチャリ
追手たちの耳に聞き覚えのある音が背後から届いた。
兵士ならば聞き覚えのある、日常の中にある音。
そう、これは銃を構える音だ。
彼らが振り向いた時にはすでに遅かった。
赤毛猿は両手にリボルバー式の拳銃を持ち、しっかりと追手達の方に向けて構えていた。
追手達とその銃口の目があった瞬間に銃口から銃弾が放たれた。
そして追手達が糸の切れた人形の様にばたりと力なく倒れこんだ。
白いプロヴェーダの上でその全てを見ていた女性は、今新しくできた問題に全力で思考を巡らせていた。
全てを終えた赤毛猿が正に今自分のことをじっと見つめている。
逃げるしかない。
そう思い、プロヴェーダにしっかりとまたがり直そうとした瞬間、彼女の脇腹に鋭い痛みが走った。
どうやら追手が乱射した弾に被弾したらしい。
白いワンピースの寝間着がじんわりと赤く染まっていく。
傷を認識した瞬間に燃える様な痛みと共に全身から一気に力が抜けていった。
「これで終わり?」
彼女の脳裏にそんな言葉が一瞬浮かんだ。
そのままプロヴェーダから倒れこむ様に落ち、冷たい道路の上で彼女の視界は徐々に暗闇に包まれていった。
彼女の目に最後に映ったのは、やれやれとでも言う様に深くため息をついた赤毛猿の姿だった。
終焉の蒸気城 Wassy @0415wassy
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