Uターン女
悠井すみれ
第1話
近頃、Uターン女、なる怪奇現象だか都市伝説だかが流行っているらしい。
貴方が
「いや……それは忘れものに気付いた人か嫌な奴に会った人だろ……」
休み時間の教室で聞かされた怪談もどきは、全然怖くなかった。彼が冷静に指摘すると、聞かせてくれた友人は大げさに顔を顰めてみせた。情緒を解さない無粋者を哀れみ咎める目つきだった。
「違うって。怪談なんだって」
「だって怖くないじゃん」
目が合って、そして襲ってくる、というなら怖いだろうが。いや、それにしても怖いのは不審者や変質者であって、怪談かというと大いに首を傾げるが。
彼のコメントに友人も疑問を感じたらしく、声に迷いの揺らぎが生じた。
「うーん……目が合ったら悪いことが起きる、とか?」
「それならそう言ってくれないと。話がオチてないじゃん」
呪いのビデオを見たら死ぬ、鏡に向かって×××して右を向いたら憑かれる。こうしたら悪い結果がある、という因果があってこその恐怖ではないのだろうか。
「ていうか、その女、逃げちゃうんでしょ? 怪異としては弱いんじゃない? そいつが何かできるって? 説得力なくない?」
「うー、都市伝説に論理性とか求めるなよなー」
友人の呻きには、つまらない奴、という罵倒が込められていた。つまらない奴で大いに結構。つまらない噂を面白がれないくらいで人間の価値が決まるものか。
つまらない噂、と──そう思っていたのだ。
でも、収まりの悪い話というのは心の隅に留まってしまうものなのかもしれない。ある日の下校時、いつもの道。たまたま、なのだろうが前に人の姿はなく、背後にも人の気配はしない。
いた。
女だ。ワンピースを着ている。若いとは思うがはっきりとした顔かたちはまだ見えない、その程度の距離。いつの間にいたのか。少しだけ心拍数が上がり、そして戻る。通学路には幾つも曲がり角があるのを思い出したのだ。ぼんやり歩いていたら、人が来たのにギリギリまで気付かないということもあるだろう。きっとそうだ。
女との距離はじわじわと縮まる。彼も相手も、ごく自然なペースで歩いている。まだ日も高い時間、都市伝説に怯えるような時刻ではない。このまま、通り過ぎれば良い。
じゃりっ。
俯きがちに歩いていた彼は、前方から聞こえた音に目を上げた。靴が地面を擦る音だな、と思う。思いのほかに近づいていた女は、足を一歩引いた体勢で固まっていた。重心が、下げた足にかかっている体勢。まるで、急に何かに気付いて立ち止まったかのような。そして──
女はものすごい勢いでUターンすると走り去っていった。
「…………」
女の背が遠ざかるのを見送ること数秒、揺れる長い髪はすっと消えた。全力疾走のスピードのまま角を曲がったのが消えたように見えたのだろう。多分。
ゆっくりと、再び歩き出しながら、彼はUターン女なる存在が確かに都市伝説であり怪談であることを噛みしめていた。だって、あの女が彼を見た時のあの顔、あの表情──
恐怖に凍りついていた。意外にもぱっちりとした目は見開かれて、唇は悲鳴を発することすらできずに半端に開いてわなないて。蒼白な頬からは、血の気が引く音が聞こえるような気さえした。そう、あの女は彼から
一体、彼の何が
何も分からない。
分からないからこそ、不気味で怖い。否な感じがする。後ろを振り返れば、
振り返りたい衝動を必死に堪えて、彼は平静を装って歩き続けた。余計なものを見てはいけない。怪異の正体を知ろうとしてはいけない。知らなければ、何もないと信じていられる。
尋常でない存在を見る者が尋常な存在であるはずがない。
やっと通り過ぎる、やり過ごせる。そう思った瞬間、ほう、という溜息が耳に届いた。誰のものなのか、決して、確かめようなどとは思わなかったが──彼には、ひどく落胆した響きが込められているように聞こえてならなかった。
Uターン女 悠井すみれ @Veilchen
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