Uターンラッシュ

λμ

Uの怪

 大学卒業後、都内で就職して三年。職場はブラック気味だし、自炊は面倒くさいし、家賃はバカ高いしで、おれは地元に帰ろうと思った。

 幸い実家は牛タン専門の焼肉屋『ゆうタン』で潤っているし、三年かけて手にしたつまらないスキルも、アナログの塊のような親父やお袋にしてみれば魔法に等しい。それに、地元には幼馴染のゆうたんもいる。

 正直、甘かった。いや、甘いとかいう次元の話じゃなかった。


 華麗にUターンしようと乗った新幹線が暴走し、線路上でUターンしたのだ。


 なにが起きるか、言うまでもないだろう。

 おれは地元にUターンするはずが意識が生まれる前の世界にUターンし、神に出会った。


「すまぬのぅ。ここで新幹線がUターンしたらどうなるんじゃろ、と思ってしもうたんじゃ」

「……え?」

「死んでもうたのはしかたないけぇ、オマケつけてUターンさせちゃるけぇ、がんばり!」

「……は!?」


 思考が追いつかずバカみたいな声をあげるばかりのおれを、エセ広島弁とエセ和歌山弁とエセ大阪弁が混じった神は異世界に送った。

 次に瞼をもちあげたとき、おれはヨーロッパ中世前期から中期後半くらいの文化が混じった森のなかにいた。お察しのとおり中世前期だろうが中期後半だろうが森の様子は変わらない。森は森だ。そして悲鳴は悲鳴である。


 最初は逃げようと思ったのだが、放っておけないのが日本人のサガだ。社畜の素養ともいう。

 現場に駆けつけたおれは、地元の幼馴染だった悠たんそっくりの美人アイ・ユーターンが、融嘆ゆうたんなる化け物に襲われているのを見つけた。もちろん助けた。

 エセ和歌山弁とエセ広島弁とエセ大阪弁の混じった神様に授かったスキル、Uターンで。


「ありがとうございます!」


 日本語にしか聞こえない言葉で礼を言われ、おれは心の底から安堵した。言葉が通じるならUターンスキルでなんとかなる。アイ・ユーターンは地元でバツ二になっているという悠たんより貞淑そうだし、惚れてくれているし、ユーターン王家の王女のひとりだというし、最高だとすら思った。


 甘かった。


 兄のジェイ・ユーターンによるクーデターで王家は分裂、彼女は国を失っただけでなく、ありもしない罪を着せられていた。

 また悪いことに、ジェイ・ユーターンは地方戦争の英雄で、王族末席のアイ・ユーターンは放蕩ほうとうの娘と誤認されていた。

 正直、面倒だし、怖いし、他人事には違いないし、放っておいてもよかったのだが、おれは性欲に負けた。


 かくして、ゆうたんと旅に出、早三ヶ月――。


 おれはアイ・ユーターンと彼女の妹のエル・ユーターンと従姉妹いとこのエム・ユーターンとともに、ユーターン王国地方領のひとつノース・ユーターンを目指し、断崖絶壁の渓谷デッド・ユーターンを進んでいた。

 道と呼ぶのもおこがましい切り立った崖のきわを馬車が進む。車輪が小石を踏み、爆ぜ割れた欠片が深淵へと落ちていった。無音。いったいどれどほどの深さがあるのか。道は次第に細くなっていく。

 おれは馬車の御者台から遠方の崖を睨み、手綱を引いた。馬車が止まり、荷台にいたユーターンたちが小さな悲鳴をあげた。


「ど、どうなさったのですか?」


 おそるおそる、アイ・ユーターンが顔を出した。


「どうしたもなにも、この道はダメだ。これ以上進むと戻れなくなる」


 これが車なら良かったのだが、馬は後ろに下がれない。女三人を連れた身で馬車を捨てて行くのは無謀が過ぎる。まぁ、Uターンスキルがあるので戦うだけなら困りはしないのだが。


「でも、他に道は……」

「しょうがないさ。Uターンできなくなったら困るからな」

「えっ、あの……」

 

 サッとアイ・ユーターンが頬を染めた。


「あ、あの、えっと……」

「しょうがないって言ったろ? Uターンするぞ」

「え!? こ、ここでですか!?」


 アイ・ユーターンの頓狂な声に、おれは思わず眉をしかめた。


「ここでって、ほかにどこですんだよ? この先じゃUターンできないかもしれないだろ?」

「そ、それは……でも、あの……」


 アイ・ユーターンは頬を染めて、荷台に振り向いた。


「あの、い、妹たちも、一緒に、ということ……ですか……?」

「ああ? おれだけでUターンしたってしょうがないだろ?」

「そ、え、あ……わ、わかりました。で、では、その、せめて、こちらに……」

 

 と、アイ・ユーターンに袖を引かれ、おれは気づいた。

 これ勘違いされてるわ。

 Uターンじゃなくて、ユーターンすると思われてるわ、と。

 おれは袖を掴む手を振り払い、荷台を指差した。


「ちっげーよ! そういう意味じゃねぇ! 荷台に戻ってろ!」

「えっ!? えっ? あの、私、なにか……」

「なんもしてねぇ。いいから戻ってろ」


 言って、おれは手綱を引いた。馬が恐々と反転をはじめる。

 アイ・ユーターンと初めて関係をもったのは二ヶ月と二十八日前だ。助けてもらった負い目でも感じていたのか抵抗はなく、それからは気が向くたびに関係をもった。


 そのうち妹たちに出会うと、おれは彼女らとも関係をもった。そうやって旅をつづけるうちに慣れたのか、変な趣味にでも目覚めたのか、特にアイ・ユーターンの脳内はピンク色になっている。

 まったく困ったもんだよ、とニヤケつつ、おれは来た道を戻り始めた。そういうことは嫌いじゃないし、むしろ好んでいる。だが、


 Uターンに動詞的な意味を感じるとかどうかしてる――。


「……あ?」


 はた、とおれは気づいた。胸のうちで膨らんでいく違和感。


 なんでUターンが通じなかった?


 Uターンは日本語じゃないからだろうか。ターンなんて半ば日本語化した外来語だが、この世界では純日本語しか通じないということなのか。

 おれはちょっと馬車の速度を緩めて、真面目に考えてみた。

 ユーターン王国に、ユーターン王家、ユーターンとは一族の意味を強くもっているから、同じ音のUターンは通じないということだろうか。いや、違う。『ユーターンする』なんて特殊な用語が通じるのは、すっかり脳内ピンクになったアイ・ユーターンくらいのはずだ。


「なら……」


 この世界に『U』の字がない? 

 もし『U』という字形が存在しなければ、当然Uターンの意味はわからない。Uターンという語が存在しないからだ。

 おれはアイ・ユーターンを呼びつけた。


「……なぁ、Uって分かるか?」

「ゆー、ですか? あなた、という意味ですよね?」

「なんだ、知って――なに?」


 おれは違和感に引き止められた。


「ユーの意味はあなた、か?」

「えっと……そうですけど……それがどうかなさいましたか?」

「じゃ、じゃあ、その馬の蹄! 蹄鉄はなんていう!?」

「え、えぇ? えっと蹄鉄は蹄鉄……あ! ホースシューって答えたほうが良かったですか?」

「ホース……シュー?」


 おれは戦慄した。この三ヶ月、日本語が通じる世界だと思ってなにも考えずにいたのだ。この世界では英語も使えるのだ。あるいは英語に相当する言語があるのかもしれない。

 おれは質問を重ねた。


「あー……ホースシューの形を、なんていう?」

「馬蹄形、ですかね?」

「他の言い方は?」

「他の……他の言い方ですか? えっと……」


 アイ・ユーターンは細い顎を指で支え、上向いた。しばらくそうして考えて、はにかむように笑った。


「ごめんなさい、降参です。なんていうんですか?」


 なぞなぞでもしていたかのような回答に、おれは粘る唾を飲み込んだ。


「ゆ、U字形、とは、言わない?」

「ゆー字形? えっと……なんでですか?」


 困ったように眉を寄せるアイ・ユーターン。

 

「……ちょっと予定を変更しよう」

「え!? あの、どうかなさいましたか? その、顔色が……」

「大丈夫だ。それより近くに……言語学の資料がありそうな街はないか?」

「言語学ですか? それなら……」


 アイ・ユーターンの声が遠い。はじめて自分が異世界にいるのだと実感させられていた。おれが彼女の脳内をピンク色にしちまったからだと思いたかった。証拠が欲しかったのだ。

 しかし、なかった。

 最寄りの街の図書館で、おれは異世界の言語について学んだ。驚くべきことに日本語はそのまま存在していた。字形までもそのままにだ。漢字もある。漢という国が存在しないにもかかわらず漢字が存在する。おれはアイ・ユーターンたちとともに来た道を引き返し、都会の大図書館に行った。増えた資料に英語の存在を確認できた。


 アルファベットは、存在した。

 Uという字を除いて。

 同時に、ターンという語がないことも知った。

 調べても調べても調べても、Uという字形だけがなく、ターンという単語だけが存在しない。

 ユーターンは日本語やイタリア語やドイツ語やフランス語でも綴られている。英語にも、アルファベットによる綴りがあった。

 

 だが、Uの字形だけがない。おれはジェイ・ユーターンのことは保留し、嫌がるアイ・ユーターンをなだめすかし、怖がるエル・ユーターンを引きずり、ひとりだけ帰ろうとするエム・ユーターンをしばりつけて来た道を戻りつづけた。

 気づけば、目覚めた地に戻ってきていた。

 

「あの……いったい、どうなさったのですか? ここ最近のあなたは……その……」

「……ここは……ここは……」


 平原を吹きぬける風に頬を撫でられ、おれは気づいた。


「ここは……日本なのか」

「……え?」


 三ヶ月前の記憶が、おれの脳裏に閃いた。

 エセ和歌山弁とエセ広島弁とエセ関西弁のまじった神様は言った。


『Uターンさせちゃるけぇ』


 帰ってきていたのだ、おれは。

 新幹線がUターンしたまさにその場所に。

 気づけば、頬を涙が伝っていた。一瞬たりとも帰りたいとは思わなかった。しかし、かつて地元に帰る気だったおれの心の片隅に、戻れるかもしれないという期待がしがみついていたのだ。

 期待は力尽き、落ちた。涙と一緒に土に染み込んだ。

 Uという字形と、ターンという語が存在しないユーターン王国。

 

 おまえは TURNまわる

 

 おれは回った。

 アイ・ユーターンを抱き、ぐるぐると回りつづけた。

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Uターンラッシュ λμ @ramdomyu

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