日曜日、広場の前で

白里りこ

Кровавое воскресенье


 政治の混乱と戦争による疲弊によって、民は困窮していた。

 この現状を何とかしてほしい。その願いを伝えたい。


 そしてちょうど、サンクトペテルブルクのあちこちで、大規模なストライキが起き始めた。


 今が好機である。労働者が一丸となって立ち上がり、請願すれば、皇帝ツァーリも民衆の危機を理解して下さるはずだ。

 大切な者を守るためにも——みな、立ち上がろう。


 この、工場労働者協会の指導者ガポン神父の意見に、みな賛同した。

 彼と、彼の友人もそうだった。


 次の日曜日、ロシア皇帝ニコライ二世のおわす冬宮に向かって、行進する。

 彼らの同志たる十数万の人々と共に。



 そしてその日が来た。

 家を出る前、彼は、彼の妻と幼い息子に優しくキスをした。


「これから父さん、お前たちの生活が良くなるようにと、皇帝陛下にお願いしてくるから」

「気を付けてね」

「何、ただみんなと一緒に歩くだけさ。皇帝陛下は確かに専制政治を敷いていらっしゃるが、きっと父さんたちの言葉を聞いてくださる。神に認められし名君であらせられるからね。安心して待っておいで」


 妻は静かに頷いた。息子は首を傾げて、それから彼に抱き着いた。


「じゃあ、行ってくる」


 そうして彼は友人と待ち合わせて、デモ隊の元へと向かった。


 重く、雪に閉ざされた皇宮前の広場。


 労働者たちの請願の内容は、正義と保護を求めるもの。

 ……暴政をやめてほしいこと、憲法制定議会を作ってほしいこと、労働者の自由と権利を守ってほしいこと、日露戦争をやめにしてほしいこと、など。


 これだけ大勢の人が声を上げれば、皇帝ツァーリは民衆の窮状に気が付いてくださる。そうすれば全てを善くしてくださると、彼らは信じて疑わなかった。

 彼らは聖像と皇帝の肖像を掲げて、粛々と行進した。



 やがてデモ隊はナルヴァ門付近に到着し、そこで、彼らを阻止せんとする軍隊に阻まれた。

 彼らは無抵抗の意志を示し、ただ願った。

 我々の声を聞いてほしいと。



 ――そして響いた。


 銃声が。



 彼は見た。


 友人の頭が、一瞬にしてのけぞり、血飛沫を上げるのを。



「……え?」


 気づけば何かが足元に倒れている。

 熱い血潮が、真っ白な雪を融かして流れていく。


「何が……?」


 目の前に転がっているのは……友人? 友人の……死体?

 まさか。


 動揺は、しかし、立て続けに鳴り響く銃声によって遮られた。


 まずい。まずい、まずい、まずい!


 彼は友人の身体を引きずって退いた。跡が赤々と鮮やかに残り、その上を人の群れが踏み荒らしてゆく。


 銃声は止まない。


 何——?


 彼は必死で近衛兵から逃れようとしながら、呆然とする頭で考えた。


 生活を良くするための請願と——死?


 結びつかない。ありえない。

 皇帝陛下は、こんな——こんな惨劇をお望みだというのか?



 嘘だ。




 退却。



 ただ安寧を求めていた人々の冬宮への歩みは、一転、恐怖に呑まれた反対方向への逃走に変わった。



 ユリウス暦1905年1月9日のこと。

 この日デモ隊からは、千人の死者と二千人の負傷者を出たと言われる。

 血の日曜日Кровавое воскресенье事件。

 ロシア第一革命のきっかけ。

 そして、長きに渡るロシア革命が開幕する。





 後日彼は、家族と共に友人の墓前で祈った。

 そして誓った。

 帝政を、終わらせる。革命を、実行する。

 こんな悲劇は許されない。皇帝はもはや崇拝の対象たりえない。

 ツァーリを破滅させなければならない。今すぐ。この手で。

 民衆の手で。


「必ず、この国に平和を」


 彼は、神と友人に向けて誓う。

 家族のために。人々のために。祖国ロシアのために。



 おわり

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日曜日、広場の前で 白里りこ @Tomaten

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