エインが主役の最高のお祭り

上山流季

さあ、『最高のお祭り』を始めよう。



 薄ぼんやりと意識が浮上するのを感じた。

 目を開けると、私は『少女』になっていた。

 私はどこか、お城の一室のように豪華に装飾された部屋の中央、姿鏡の前に立っている。鏡の中の私は可憐で少し重いドレスを着て、輝く装飾品によって美しく飾り立てられているようだった。腰ほどまでに長い髪の色は白く抜け、瞳の色は宝石のように赤かった。


 ああ、夢だ。私はすぐに理解した。

 そして周囲を見回す。辺りには誰もいなかった。


 ドレスの裾を軽く持ち上げながら、私はこの『城』の中を探索してみることにした。が、直後とてつもない歩きにくさを感じ、足元を見る。私が履いているのは、ヒールの高い、リボン付きの赤い靴だった。

 私はその靴を脱いで裸足になった。探索には、この高さは邪魔にしかならない。

 どうせ夢なのだから、多少の無法は許されるだろう。私はそのまま歩き始める。


 最初に見つけた部屋は書斎だった。

 私は適当な一冊を手に取り、中身を覗いた。そこに書かれた文字はアルファベットに似た形状の、しかし解読不能な、見たこともない文字だった。夢の中の本だから読めないのだろうか? どれだけページを捲っても、読めそうな単語を見つけることはできなかった。


「おや、エイン。抜け出してしまったのかい?」


 誰かが、本を捲る私に声をかけた。

 そちらに目を向けると、両手に抱えられるほどの大きさの黒いウサギが、鼻をひくつかせながら書斎の机に乗っていた。


 なるほど、動物と会話できる夢らしく、今の私の名は『エイン』というらしかった。


「戻らなくてはいけないよ。これから『お祭り』が始まるんだ。『最高のお祭り』だよ」


「最高のお祭り?」


 ウサギは四足を机から離さず、座ったままその垂れ耳を少しだけ上に持ち上げた。


「ここに来るまでの道順は覚えているね? 戻って、靴を履いて待っているんだ。そうじゃなきゃ『お祭り』は始まらない。始められない。君がいなくちゃ、エイン」


「でも、あの靴は歩きにくい」


「歩く必要なんかないさ、エイン。君は歩かなくていいんだ。みんなが手分けして君を運んでくれる。『最高のお祭り』の会場まで、ね」


「そのお祭りはいつ始まる?」


「まだ始まらない。でも、君が戻るなら、すぐにでも」


 私は手に持っていた本を閉じ、棚に戻すと言った。


「じゃあ、もう少しだけ待っていて。私はまだ、探索を続ける」


「そう」


 ウサギは持ち上げていた耳を元の位置に戻すと、また、鼻をひくつかせ始めた。

 私は書斎から出て、次の探索場所を探し始めた。


 次に見つけたのは、大きな螺旋階段だった。

 私は、腰までの長さの髪を邪魔に思い、ドレスについていたリボンをひとつ適当に解いて、それを使って髪を結った。邪魔にならず、動きやすい程度に、しかし勝手がわからなかったので適当に結んだ。あれだけ綺麗に整っていた長い髪は、おそらく今は、はたから見ればきっとぐちゃぐちゃになってしまっているだろう。


 私は階段を降りていく。どうやら夢の中のお城だけあり、部屋、廊下と続き階段にまで赤いカーペットが敷かれていた。歩き心地は柔らかく、裸足でよかったと私は思った。


「おや、エイン。こんなところにいたのかい?」


 誰かが、階段を降りる私に声をかけた。

 そちらに目を向けると、手すり部分に黒いカラスが立っていた。カラスはくちばしを右に傾けながら言った。


「戻らなくてはいけないよ。これから『お祭り』が始まるんだ。『最高のお祭り』だよ」


「知っているよ」


 私がそう言うと、カラスは今度はくちばしを左に傾けた。


「ここに来るまでの道順は覚えているね? 戻って、髪を解いて待っているんだ。そうじゃなきゃ『お祭り』は始まらない。始められない。君がいなくちゃ、エイン」


「ウサギと似たことを言うんだね。でも、あの髪では動きにくい」


「動く必要なんかないさ、エイン。君は動かなくたっていいんだ。みんなが手分けして準備してくれる。『最高のお祭り』のための準備を、ね」


「そのお祭りはどこで始まる?」


「お城中央の大きな広間さ。もう、テーブルもイスも、カトラリーだって用意してある。みんなが座って待っているよ」


 私は、止めていた足をまた動かし始めた。階段を、転んでしまわないようゆっくりと降りていく。


「じゃあ、もう少しだけ待っていて。私はまだ、探索を続ける」


「そう」


 カラスはくちばしで羽を掻き始めた。

 私は階段を最後まで降りると、まだまだ、探索を続けていく。


 今度見つけたのは玄関ホールだった。吹き抜けの天井は仰ぎ見れば見るほどに高く、豪奢なシャンデリアが釣り下がっている。壁には人物画が飾ってあり、どの絵も、髪が白くて瞳の赤い少女の肖像画のようだった。


「おや、エイン。探したよ」


 誰かが、肖像画を眺める私に声をかけた。

 そちらに目を向けると、カーペットの上に黒いネコがしゃんと背筋を伸ばし座っていた。ネコは前足を舐めながら告げる。


「そろそろ『お祭り』を始めよう。『最高のお祭り』だよ。来た道を戻り、髪を解いて、靴を履くんだ。今日の主役は君なんだ、エイン。みんなが待ってる」


「ウサギやカラスと似たことを言うんだね。でも、私は主役なんてガラではない」


「身の丈に合っているかどうかを、君自身が判断する必要はないさ、エイン。君は何も心配しなくていい。みんなが待ってくれている。『最高のお祭り』はすぐそこだから、ね」


「そのお祭りは誰のためのお祭り?」


「みんなのための『お祭り』さ。みんなで幸せになる『お祭り』さ。それも『最高のお祭り』だよ。君がいなくちゃ始まらない。エイン、早く戻っておいで」


 私は玄関ホールの先を見た。扉さえ開けてしまえば、外に出ることができそうだった。

 私はドレスの裾を裂いて、その丈を短く、そして重量を軽くした。とても、とても動きやすくなった。

 ネコは耳をせわしなく動かし始めた。


「エイン」


「じゃあ、そのお祭りは中止になるね。私はそろそろ目覚める時間だ。主役なら代わりを探してほしい」


「そう、そうか、そうなんだね。でも、それは、困るよ、エイン。実は今からでもまだ間に合うんだ。ここに来るまでの道順は覚えているね? 髪を解いて、靴を履いて、新しいドレスに着替えよう。みんなが君に期待してる。美しく、綺麗な君を待っているんだ。『最高のお祭り』にしよう。君がいなくては駄目なんだ。代わりなんていないんだ。『最高のお祭り』には『最高のエイン』が必要なんだよ」


「でも、私は『エイン』じゃない」


 私はひとつ伸びをしたあと、軽くなった身体で大きな両開きの扉の前へと歩き出した。

 靴も、髪も、ドレスもいらない。主役の座などなおさらだ。


 扉に手をかけると、後ろからネコの声が小さく聞こえた。


「ああ……せっかく準備した『最高の謝肉祭』なのに。さようなら、最高ではなくなったエイン。君はこれまでのエインの中で、一番美味しそうだった」


 私はそのまま扉を開け、外に出た。





 薄ぼんやりと意識が浮上するのを感じた。

 目を開けると、私は私の部屋にいた。

 いつものようにベッドに横たわって布団を被っている。カーテンの隙間からは朝日が零れ、どうやら夢から覚めたことを理解する。


 周囲を見回り、辺りに『動物』がいないことを確認すると、私は欠伸をしながら朝の支度を始めることにした。


 とても変わった夢を見た、そんな気がする。

 しかし詳細には思い出せない。


 ただ――開けた冷蔵庫に入っていた肉を見て、少しだけ気分が悪くなった。



 

 

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エインが主役の最高のお祭り 上山流季 @kamiyama_4S

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