永遠に叶わぬ未来への願い

辻野深由

永久に叶わぬ未来への願い

 ――この戦争が終わったら、結婚しよう。


 伝える言葉は決まっていた。ずっと、ずっと……心のなかで暖めてきた想いだった。


「来年も祝えるといいな」

「そうだね。レイと一緒に、祝えるといいね」

「大丈夫。戦争が終わっても、きみは僕と一緒にいるはずだから。なにがあってもだ」


 気丈に振る舞ってみせた僕に、彼女――セラはやはりどこか浮かばない顔をして。


「でも、負けたらきっと、アルカディア建国祭は、なくなってしまうわよね」

「そう……、だね……」

「生まれ育った国がなくなってしまうのは……やっぱり寂しい、かな……」


 萎んだ声でセラが言う。


「だけど、どうしようもないんだよね……」


 縋るような声が続く。


「アルカディアには、もう、選択肢なんて、ないのよね」


 その、優しく包み込むような懇願が、真綿のように僕の心を締め付ける。


「レイにも、もう、どうにもできないんだよね……」

「…………っ、この戦争は、やめられないんだ。王子である僕の権限でも止められない。国の威信と存亡をかけた戦争なんだ。たとえ指揮官の命令であっても、両国の間に生まれてしまった感情はどうしようもない。戦争を捌け口にするしかなってしまったんだ……っ」


 アルカディア王国とマルクト帝国の威信を懸けた戦争はもはや誰にも止められない。


 戦争開始から10年。この間に、被害を拡大させすぎた。泥沼に嵌まってしまった。小さな勝利と敗北を繰り返し、お互いに相手をもうじき沈めることができると狂信して、引き返しようのないところまで突き進んできてしまった。大切なものをなくしすぎてしまった。


 アルカディア王国の建国祭は戦時下でも催された。なけなしの酒と、わずかに無事であった蔵に貯蔵されていた穀物をありったけ引っ張り出してきたような料理が振る舞われている。


 そして、勝利を妄信させるかのような舞踏に、強引に士気を向上させんと煩いくらいに鳴り響く狂騒曲。兵士の意地と威信に塗れた行進パレード。そのどれもが、レイにはその一切合切が滑稽な代物に思えた。


 対外的に知らしめる必要があったのだろう。アルカディアにはまだ、祭事を行うだけの余力があるのだと。


 馬鹿馬鹿しい。


 そんなものは、微塵もないというのに。虚栄であることを他国から見透かされているというのに。


 まるで裸の王国だ。――レイには、そうとしか見えなかった。


 それでも、ここは。

 僕の愛した人が生まれ育った故郷なのだ。

 彼女がいまもなお愛し続けている国なのだ。


 だから、僕は。その、儚い願いを受け止める。

 いまはそれしかできないけれど。

 いつか、胸に秘めたその願いを叶えるために。

 そのためにできることは。いまは少ないけれど。いつか、きっと。


「どんなに愚かであろうとも、アルカディアという名前まで簒奪するなんて愚行は許されることではないと僕は考えている。たとえこの国が負けようとも、その名は歴史に残り、未来に残し続けるべきだ」

「……そうだと、嬉しいな」

「任せてくれ。セラの願いは、この僕が必ず叶えてみせる。だから――」


 ――この戦争が終わったら、結婚しよう。


※※※


「――……そう、言ってくれたのにね」


 眼前にある墓標へ、私は小さく呟いた。


「あの瞬間は、一番、幸せだった。人生で、最高の瞬間だった」


 戦争を生き抜いてきたから知っている。

 幸せというものは、いつまでも続かないということを。

 願いというものは、決して叶わぬということを。

 知っていて、それなのに、望んでしまったのだ。


「……だから、なのかな」


 レイと共に死ねなかった。

 死ぬことは許されなかった。

 

 これは、あの戦時下で幸せを噛みしめてしまった私たちに与えられた罰なのだ。

 死にゆく母国の腸で幸福を味わった人間に対する罪過なのだ。


 だから。


「……レイ」


 その冷えた岩肌を撫でてやる。彼の手と同じくらいに冷え切った墓標は、ただ静かに雨に打たれ続ける。


「……私はいつか必ず、アルカディアを再建してみせる。だから……そこで、みていてね」


 それが、生き残った使命でもあるはずだから。


 私は、そっと、濡れた彼の名を撫でるようになぞった。




 ――レイ・マルクト

   享年 18歳。名誉と共に、此処に眠る。

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永遠に叶わぬ未来への願い 辻野深由 @jank

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