綿菓子に舞う

夏祈

綿菓子に舞う

 強請って買ってもらった綿あめの味が好きだった。肌に纏わりつく、湿気を孕んだ空気の中で、父と母が笑う夏。もう戻らない幼い頃は、ただ美しい。


 今思えばおかしな値段設定だけれど、どうにも魅力のある砂糖菓子は、年に一度だけお祭りで買ってもらえた。両親に一口ずつちぎって渡して、甘いね、美味しいね、と向けられる笑顔が好きだった。ピンク色の浴衣を着せてもらって、夜の街を歩くのが好きだった。その日は両親だって仲が良くて、二人楽しそうに会話をする。それだけで幸せだった。

七月の最初の日曜日に行くのが恒例だった。電柱の間を渡る提灯、きらきらした七夕飾り、耳を貫く祭囃子、香ばしいソースの香り。人混みに攫われないようにしっかりと握っていた二つの手は、私よりずっと大きかった。

「広花、はぐれないようにね」

 そう言った母は、いつもよりずっと優しく笑う。好きなキャラクターの袋に入った綿あめを強請ると、仕方ないなと買いに行ってくれた父がいる。幸せな、過去だった。



 両親の仲は決して良いものでは無かった。彼らがたった一枚の紙で他人になったのは、私が中学生の夏だった。家族と出かけるよりも友人と遊ぶ方が楽しいと思う年齢になって、家族と夏祭りに出かけることはなくなっていた。その間に、家族にはもう戻らないヒビが入っていた。

 家を出る父の背を見送った。七月最初の土曜日だった。母と二人きりになった家を飛び出して、名前も知らないキャラクターの袋に入った綿あめを買いに行った。屋台が立ち並ぶ見慣れていたはずの通りは、あの頃よりも寂れていて、小さく見えた。私が成長したのか、この街が緩やかに小さくなっているのか。どちらかはわからないけれど、どっちにしろ、あの頃のままではいられないのだ。大きくなって、綿あめが何で出来ているのか知った。きっと私達だって、傍から見れば幸せそうな家族だったはずなのだ。でもそれは、虚像みたいな幸せを、家族という固定概念の軸に巻き付けて振舞っていただけだった。ただの甘い嘘だ。

 帰っても、母は何も言わなかった。私が右手に握っているものに気付いても、それでも何も言わなかった。私は、母にこっちを向いてほしかった。毎日怒って、泣いて、しばらく笑顔も見ていなかった母に。だから私は、母に言う。



「おかあさん、お祭り行こうよ」



 私よりもずっと小さな手が、私のふくらはぎ辺りをぎゅっと掴み、頬を摺り寄せながらそう言った。仕事を終えて保育園に娘を迎えに行けば、走り寄ってくるなりこれだった。

「どうしたの? 急に」

「あのね、みかちゃんが今日夏祭り行くんだって、ゆいかも行きたい」

 きらきらと輝く大きな目をこちらに向けて、愛娘はそう言う。こんなにも純粋に強請られてしまえば、それを叶えない選択肢などあるまい。

「いいよ、行こうか。パパも誘って日曜日に行かない?」

「やった! いいよ、にちようびね!」

 結花はくるくるとその場で回り、ふっくら柔らかな頬を染めて嬉しそうに笑った。

「ころんじゃう、危ないよ」

「だいじょーぶ!」

 ねぇママ。弾んだ声で私を呼んで、結花は回るのをやめる。

「お祭り行ったらわたあめ買って!」

 満面の笑みを浮かべる彼女に、いつかの自分が重なった。あぁそうだ、綿あめは、本当は幸せの味だった。

「……そうだね。ママも食べたいなぁ」

「じゃあ半分こしよ? あ、パパにもあげなきゃだからみっつに分けよ!」

 屈託なく、躊躇いなく、彼女は私の過去を吹き飛ばすようにそう言ってくれる。あぁそうか、あの甘いお菓子と夏祭りは、永久に私の幸せの象徴なのだ。

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綿菓子に舞う 夏祈 @ntk10mh86

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