稀人の火祭り

金糸雀

七年ぶりの

 トレッキングを趣味とする私はその日、県境沿いの山道を縦走するコースを歩いていた。このコースを歩くのはもう三回目なのに、どうしたことか道を見失ってしまい、気付くと全く見覚えのない場所にいた。方位磁石を出してみても壊れていてもあさっての方角を差し、まるで役に立たない。地図を出して現在地を確認しようにも、そもそも辺りに道らしい道はなく、現在地を把握することはできなかった。

 「山で道に迷った時はやみくもに歩き回ったり、意味もなく下ったりするのではなく、正しいルートに戻ることを優先する」というのは、登山をする者の常識である。しかし、今どこにいるのかわかっていない現状では、正しいルートを探すのも難しいのではないかと思われた。かといってこの場に留まっていてもどうしようもないので、とりあえず移動することにした。

 歩いているうちに、今まで来た道に行き当たるかもしれない――そう、期待を込めて。


 

 やがて、開けた場所に出たと思ったら、忽然と集落が現れた。役に立たない方位磁石はとうにしまい込んでいたが、地図はまだ左手で持っていたから広げてみた。だが、この一帯に人家があるという情報は読み取れない。今時、地図に載っていない村などあるものだろうかとは思ったが、私は中に踏み入った。ここがどこなのか、どうすれば見知った道に戻ることができるか、とにかく尋ねてみようと思ったのだ。

 ぽつりぽつりと建っている古ぼけた、昔話にでも出てきそうな家の軒下には、白地に黒で不思議な文様が描かれた提灯が提げられていた。まだ明るいからか、提灯にあかりはつけられていない。辺りは静かだが、ちらほらと人影が見える。

 最初に行き会った着物を着た四十絡みの男に

 「あの……」

 と声を掛けようとしたが、男が

 「客人がいらっしゃったぞ」

 という大きな声で叫んだので、私はその機会を失った。


 一体どこにそんな大勢の人がいたのだろうかと面食らうほどの人並みが押し寄せ、私はたちまち、彼らに囲まれてしまった。集まってきた人々もみな、和装である。家の佇まいといい、現代日本のものとは到底思えない。

 そうしてみなが口々に叫び、拝むのである。

 「ご客人だ。ご客人がいらっしゃったぞ」と。


 私は村長むらおさの家だという屋敷に案内され、上座に座らされて豪勢な山の幸を振舞われた。圧巻だったのは、卓の中央に置かれた猪の丸焼きである。

 「これは……?」

 私が尋ねると、村長――白く長い顎髭をたくわえた老爺である――が答えた。

 「今日はご客人がいらっしゃることがわかっていたから、前もって用意していたのです」

 ご客人とはどうやら私のことらしいが、私が今日この場所に辿り着くことを、何故知っていたのだろうか。私はトレッキングをしていたら偶然迷い込んだだけで、ここに来る予定などなかったのに――そのような疑問が湧いたが、大方、わかるものはわかるとでも言われるのだろうという気がしたし、ここは所期の目的を果たすことにしよう。そう考えた私は尋ねた。

 「ここは何という村なんですか? ――いや、村、といっていいのかどうかもわからないんですけど。実は僕、道に迷って適当に歩いていたらここに来てしまった感じで、本当、何もわからなくて」

 「ここに、名前はありません」

 村長は答えた。

 「名前は、外に向けて名乗る必要があるから付けるもの。ここは閉じた場所ですから、名前は要らないのです」

 「そういう……ものですか」

 私は、釈然としないながらもそう答えた。

 「それでも、あなた様のように、外の世界からご客人がいらっしゃることが、何年かに一度あり、私たちは、そのようなご客人を神の遣いとしてお迎えすることになっているのです」

 村長はそのように続けた。

 これにはなんとも答えようがなかったが、私をもてなすためなのか傍らに付いた若く美しい娘に勧められるまま、私は酒をあおった。


 酒は特別に強いものだったのだろうか、盃に一杯飲んだきり、私は気を失ってしまった。 



 意識を取り戻した私は、夜更けの暗がりの中、自由の利かない状態に置かれている。どうやら、案山子かかしのように両腕を伸ばした格好に固定されているようだ。手足を動かそうとして、両方の手首、そして足元が縛られていることに気付く。おそらく、十字型に組んだ木の支柱か何かに縛り付けられているのだろう。

 がさがさと物音がするので目線を下に向けると、四人の男が薪を私の足元に積み上げていた。彼らが男だとわかったのは体格が男のそれであったからで、年齢や表情といったものはわからない。何故なら、彼らは四人とも顔全体を覆う面を着けていたからだ。面には、提灯に描かれていたのと同じ文様が描かれている。

 目を少し遠くに遣ると、二重三重に、面を着けた人々が私の周りを取り囲んでいるのが見えた。まるでキャンプファイヤーのように。


 この後の展開が容易に想像でき、私は声を上げた。酒の中に薬も盛られていたのか呂律が回らず、聞き取れるような言葉が紡げているか不安を感じながら。

 「あの、もしかして、僕を燃やすつもりで?」

 それに応えるかのように、今度はあかあかと炎が上がった松明たいまつを持った二人の男――多分、男だろう。先ほどの四人と同様、奇妙な文様が描かれた面を被っている――がこちらに向かってきた。やはり――僕はこれから、火あぶりにされるのだ。

 

 

 「ど……どうして……こんなこと……やめっ、やめてください……」

 身を捩り懇願するが男が止まる気配はなく、松明の炎が移されて薪が燃え始めた。


 猛烈な熱気が上がってくる。

 呼吸が苦しい。

 なんとか息を吸っても、熱い空気に喉が灼ける。

 肉の焦げる臭いが上がり始める。

 僕は声を限りに悲鳴を上げた。


 「有難いことです。あなた様のおかげで、七年ぶりにこうして祭りを行うことができる」

 意識を失うことすらできない苦痛に苛まれる私の耳に、淡々とした村長の言葉が届いた。ぱん、と何かを叩く音とともに、不思議な音楽が流れ始め、嬌声が聞こえ始める。私を取り囲んだ人々が踊り狂っているさまが、煙にいぶされた両目にちらちらと映った。

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稀人の火祭り 金糸雀 @canary16_sing

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