最高の思い出を

望月くらげ

最高の思い出を

 それは放課後の教室で幼なじみの三杉隆弥の言った唐突な一言から始まった。

「文化祭をジャックしよう」

「はあ?」

 高校三年の秋、クラスメイトたちは一週間後に迫った文化祭になんて興味はなく、それよりも模試の判定が上がっただの下がっただの、受験のことで頭がいっぱいのようだった。そういう僕だって例外ではなく、昨日帰ってきた模試で本命の大学の判定がBからCに下がってしまったので、塾の時間を増やそうかと真剣に考えているところだった。

 なのに、この男はいったい何を言い出すのか。

 一つ前の席の隆弥はわざわざ椅子を後ろに向けて僕の方を見てくる。でも、僕はその視線を無視したまま手元の問題集に視線を落とした。

「バカなこと言ってないで勉強しろよ」

「勉強なんてやってる場合じゃないだろ! 高三の今は、今しかないんだぞ!」

「留年したら来年も高三だけどな」

「それもいいな。もちろん弘人も一緒にダブってくれるんだろ?」

「バカ言え」

 そんなこと誰がするもんか。でも、僕の答えに隆弥は不服そうな顔をして、頬杖をついたまま僕の問題集を奪い取った。

「何するんだよ!」

「問3の答え、間違ってる」

「は?」

「あと問5も。公式そっちじゃなくて教科書302ページの――」

 僕の問題集をちらっと見ただけで隆弥は間違いを指摘していく。慌てて奪い返すと僕は顔を上げた。

「隆弥、昨日返ってきた模試って」

「全部A判定」

「ないわー」

「まあだからなんだって感じだよ。このまま卒業したとしてさ、俺らの三年間は勉強しかなかったってなるだろ? だから文化祭を楽しみたいんだ」

 真剣な表情でそう言うけれど、だからといってどうして文化祭ジャックだなんて話になるのかわからない。

「別に一年や二年の店を回るだけでも楽しいだろ」

「わかってないな、弘人は。お祭りっていうのは参加するから楽しいんだろ」

「だから見て回るのだって十分参加に――」

「俺たちにとって最後の高校生活なんだぞ!」

 隆弥の声は思ったよりも大きくて、クラスメイトたちがいったい何事だとこちらを見るのがわかった。僕は苦笑いを浮かべて「なんでもないよ」と言うけれど、隆弥は立ち上がるとクラスメイトの方を向いた。

「みんなも! 高校最後の文化祭なのにこのままでいいのか!?」

 クラスメイトはどうにかしろよといった表情で僕を見てくる。でも、僕だってどうしたらいいかわからずに困ってるんだ。

 なんとか隆弥を席に座らせると、僕はまだ何か言い足りなさそうな隆弥に小声で言った。

「でも、例えばジャックするったってどうするんだよ。僕たち受験生はくだらないことをして内申を落とすわけに行かないんだぞ」

「今更多少下がったところで変わらなくないか?」

「それはお前みたいに成績上位のやつだから言えるんだよ。僕はお前とは違うんだ。そう言うなら一人でやれよ」

「悪い悪い。大丈夫、ちゃんとバレないようにするし、なんならバレてもお前には迷惑がかからないようにするよ」

 本当だろうな、と疑いのまなざしを向ける僕に隆弥は大丈夫だと笑う。こんなふうに笑うときの隆弥は絶対に自分の意見を曲げないと、僕はよーく知っている。結局このハチャメチャな幼なじみの思いつきに、僕は逆らうことができないんだ。

「いいよ、付き合ってやるよ」

「ホントか!?」

「ああ。だから、やるなら派手にやろう」

 ニッと笑った僕に一瞬意外そうな表情を浮かべながらも、隆弥は嬉しそうに頷いた。


「で、何をするつもりなんだ?」

 教室はみんな自習をしているので喋っていると邪魔になる。と、いうことで僕たちは学校近くの公園に移動した。途中のコンビニに寄ってジュースと肉まんを買うのも忘れずに。僕はカレーまん、隆弥はピザまんを手に、公園のブランコに座った。

「何がいいかなー」

「考えてなかったのかよ」

「いや、例えば文化祭の間中校長室を拝借とか、学校中に風船を飛ばすとかいろいろ考えてたんだけど」

 自分で言いながら隆弥はこれじゃないとでもいうような表情をしている。まあ確かに、アイデアとしてはどちらも微妙だ。

「風船は準備が大変だな。校長室は――ありっちゃありだけどしょぼくないか?」

「それなんだよなー。放送室をジャックして演説とか?」

「絶対にすぐ先生が来る」

「だよなー」

 手の中のピザまんを口に放り込むと、隆弥はブランコの上に立ち、高くこぎながら空を見上げた。

「なんかこう、でっかい花火を打ち上げるようなこと、したかったんだけどなー」

「……隆弥ってなんでそんなに文化祭にこだわるんだ?」

 ふと、僕は尋ねた。去年も一昨年も、どちらかというと隆弥は文化祭や体育祭に興味はなく、教室で自習をしてたりそもそも学校に来てすらいなかった記憶がある。なのに、どうして今年に限って?

 そんな僕に隆弥はへへっと笑った。

「覚えてないかもしんないけど、文化祭って参加するの初めてなんだよね。文化祭どころか体育祭だって今年が初めてだったんだ」

「知ってるよ」

 今年は体育祭でクラス対抗リレーに一緒に出た。隆弥が出るっていうんで僕まで駆り出されて、でも結局1位にはなれなくて。なのになんでか楽しそうな顔をしてたのをよく覚えている。

「そっか。……三年になったときにいろんな先生が「お前らの高校生活は今年で終わりだ」って言うのを聞いて、俺の高校生活って勉強しかしてこなかったなって思っちゃって。先生たちからしたらきっとそれでよくて、なんならラスト一年もっとしっかり勉強しろって意味だったんだろうけど、でもその言葉でこのまま高校を卒業してしまっていいのかなって思っちゃったんだ」

「そっか」

 その気持ちはなんとなくわかる気がする。隆弥に比べたらそこまで真剣に勉強をしてきたわけじゃないけれど、でも高校生活って本当に一瞬で、気付けばもう数ヶ月で卒業だ。僕たちに遺された時間は、切ないぐらいに少ない。

 そう思うと、最後の文化祭ぐらいぱーっとやるのも悪くないかもしれない。怒られたってかまうものか。隆弥の言うとおり、でっかい花火を打ち上げるようなことを――。

「……いっちょ、打ち上げ花火あげてやるか」

「おうよ。んで何を――」

「じゃなくて、本当に打ち上げ花火あげようぜ」

「物理的に? ……もしかして後夜祭でか?」

 僕の言葉にキョトンとしていた隆弥の顔が、いたずらを思いついた子どものような表情に変わっていく。どうせやるならでっかくいきたい。それこそ、僕らの高校史上に残るようなでっかいことを。

「それいいな! そうと決まれば買いに行くか。おもちゃ屋に行けば花火あるか?」

「僕の家の近くのドラッグストアに夏の残りが特価で売ってたよ」

「おっし、んじゃ行くぞ!」

 ブランコの上から飛び降りると隆弥は走り出す。その後ろを僕もついて行く。

 春が来れば隆弥は東京の大学に、僕は受かれば地元の大学へと進学する。こんなふうに二人で走るのもあと何回あるのか。そんなことを考えると鼻の奥がツンとなる。

「遅いぞ、弘人」

「待てよ」

 笑う隆弥のあとを僕は追いかける。今は、まだその日のことは考えずにいよう。だって僕らの高校生活はまだ終わりを迎えていないのだから。


 ドラッグストアには売れ残りの花火がたくさんあった。しかもそのどれもが打ち上げ花火で僕らはしたり顔で顔を見合わせた。

「この辺、川もないから打ち上げなんてできないもんなー」

「たしかに。手持ちがギリオッケーってとこで、ねずみ花火だって音が出るのはダメだって言われるもんな」

「まあ、そのおかげで僕らはこうやって打ち上げ花火を手に入れられるんだけど」

 ド派手そうなのをお互いの小遣いで買えるだけと点火棒チャッカマンを五つほど買えば準備はできた。

 あとは当日を待つだけだ。

「でも、本当にいいのか?」

 ドラッグストアからの帰り道、ふと我に返ったように隆弥は僕に尋ねた。

 何を今更。もう僕の覚悟はできてる。

「高校三年のラストぐらい、隆弥とバカするのも悪くないなって思ったんだよ」

「そっか」

 そう言って笑う隆弥がどこか寂しそうに見えたのは、僕の気のせいということにしておく。


 結果的に言うと、僕らの文化祭ジャックは失敗に終わった。

 当日、屋上の鍵を拝借して準備をするところまでは上手くいったのだけれど、後夜祭がはじまったところで見回りに来た担任に見つかってしまったのだ。

 逃げろ、と隆弥は言ってくれたんだけど僕は隆弥と一緒におとなしく捕まったのだ。

「なんでこんなバカなことをしようとしたんだ」

 頭を抱える担任に僕らは顔を見合わせて、そして言った。

「最後の、ううん。最高の思い出を作りたかったんです」

「失敗しちゃったけどな」

 僕らの答えに担任はため息をつくと、準備していた花火を確認するともっと深いため息をついた。

「よくもまあこんなにも準備をして……。思い出、か」

「先生?」

「とにかく、これは俺が預かるからお前らは後夜祭に参加してこい」

「はーい」

 諦めて屋上を出ると僕らは仕方なく校庭へと降りるとフェンスの前に座り込む。校庭ではキャンプファイヤーの周りの生徒たちが走り回っているのが見えた。

「残念だったな」

「でも、楽しかったな」

「……そうだな」

 結果が全てではない。現に今年の文化祭は僕らにとって最高のものとなった。

「なあ、またこうやって一緒にバカしようぜ」

「まあ、考えといてやるよ」

 そう言った僕らの頭上で、パンッと何かが始める音がして慌てて顔を上げた。

 そこには、色とりどりの花火が夜空を彩っていた。

「もしかして先生かな」

「じゃないかな。先生、やるじゃん」

「でも、これあとでめっちゃ怒られるんじゃないか?」

「そしたら僕らも一緒に怒られてあげようか」

「そうだな」

 ザワザワと騒がしくなる校庭を尻目に、僕らは夜空を見上げる。

「たーまやー」

「かーぎやー」

 好き勝手叫ぶと、僕らは顔を見合わせて笑った。

 僕らの最後の文化祭はもうすぐ終わりを迎える。でも、その時を惜しむかのよう秋の終わりの夜空を、僕らが買った花火がいつまでも照らし続けていた。

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最高の思い出を 望月くらげ @kurage0827

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