桃の宵闇、乙女の祭

乙島紅

桃の宵闇、乙女の祭



 うららかな風が吹き、ひらひら舞い落ちる桃の花。


 とあるお祭りのあとの、静けさを取り戻そうとする宵闇。雪解けに浮き足立った街のあちこちに吊るされた提灯ぼんぼりに火がともる頃。


 人知れずして開かれるのは、お祭りの影の立役者たる女子おなごたちのつどい。


「はーい、今年もお疲れ様でしたー!」


「でしたー!」


「お疲れ様でーす!」


 三人は清酒の入ったお猪口ちょこを掲げると、それぞれぐいっと一気に飲み干します。


「くーっ。やっぱりお祭りが無事に終わった後のお酒って最高よね!」


 一番最初にお猪口を卓上に置いたのは、三人の中でも年長のシマダイさん。しっかり者で、毎年開かれるとあるお祭りの責任者であり、毎年お祭りの後に開かれるこの女子会の幹事でもあります。


「今日は旦那さん放っておいていいんですか?」


 そう言いながらすかさずシマダイさんのお猪口にお酒を注ぎ足すのは、誰に対しても気が利くヒサゲさん。


「大丈夫大丈夫! 今日は年に一度の女子会だもの、旦那も理解してくれてるわ。じゃ、早速ナガエの婚活の進捗から聞きましょうよ」


「ええっ、私ですか!?」


 思わぬ振りにお酒を吹き出しそうになるのは、才色兼備のナガエさん。賢くて美人であるにも関わらず恋愛ベタな彼女の話は毎回この女子会のさかなにされているのです。


「ほら、去年はお祭りで演奏してくれた太鼓の人のこと気になってるって言ってたじゃない。あれからどうなってるか気になって」


「あ、確かに。わたしも知りたいですー」


 シマダイさんとヒサゲさん、二人の期待の眼差しを向けられて、ナガエさんは「これは逃げられそうにない」と悟ったのでしょう、「はぁ」と小さくため息を吐きました。


「あの後告白して付き合ったんですけど、三ヶ月で別れちゃいましたよ……。彼、いつも太鼓の練習って言って夜どこかに出かけてしまうんです。練習姿見てみようと思って後を追いかけてみたら、行き先は別の女の家で……」


 しょんぼりと俯くナガエさん。黒くて長い艶のある髪が流れるその頭を、シマダイさんは幼い娘にするように優しく撫でてあげます。


「おおよしよし、ナガエは顔も頭もいいのにどうして男を見る目だけはないんだろうねぇ」


「うう……シマダイさん、それ励ましになってません」


「ほんとですよねぇ。ナガエさんってば、すぐに筋肉質で歯が白い人に一目惚れしちゃうんですもん」


「うっ。ヒサゲちゃんもけっこう言うよね……」


「ちなみにヒサゲ的には誰推しなの? あの演奏グループ、確か五人組だったわよね」


「うーん、そうですねぇ。あの五人の中で強いて言うなら……わたしだったら笛の人かなー」


「「笛!?」」


 シマダイさんとナガエさんは二人揃って声をあげました。笛の人といえば、五人の中ではあまり目立った特徴はなく、ひょろっとしたシルエットでいかにも頼りなさそうな風貌だったのです。


「ヒサゲ、あんなのでいいの? 言い方悪いけど、あんたならもっと良い男選べるでしょうに」


 シマダイさんはまたしても自分の娘を心配するかのような様子でヒサゲさんの顔を覗き込みました。


 ヒサゲさんはにこにことしながらおっとりとした口調で手を合わせて言います。


「えー、でも素敵ですよぉ。演奏の前後でちゃんとスタッフさんにも挨拶してましたし、緊張してる歌い手さんの背中をさりげなくさすってあげるところとか、気配りの人だなって思いますもん」


「はぁー、なるほどね」


「ヒサゲちゃん、よく見てるね……。私、見た目だけであの人のことないなって思っちゃってた」


「もう、そんな調子だから変な男にばっかり引っかかるんですよぉ。ね、シマダイさん?」


「まぁ、見た目が気になる気持ちもわかるけど。結婚したらあんまり関係ないわよ? だって、お互いしわくちゃのおじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒にいるわけですもの」


「た、たしかに」


 と目から鱗の様子のナガエさん。


「それに、この際だから言うけど、あんたは隙がなさすぎ! 無意識のうちに高嶺の花になってんのよ。もっと自分のダメなところをさらけ出してもいいのよ」


「はぁ、そういうものなんですかね……」


「そういうものですよぉ。ほら、だっても、給仕係として勤めていた喫茶店で、コーヒーを背広にこぼしてしまったのが旦那様との出会いのきっかけだった、ってよく話しているじゃないですか」


 ヒサゲさんはそこまで言って、「しまった」と口を覆います。


 シマダイさんも、ナガエさんも、ヒサゲさんの話を聞いてどこか哀しげな表情を浮かべていたのです。


 ヒサゲさんにも悪気はありませんでした。彼女たちのご主人様の話は、ほんの一年前までは他愛のない笑い話だったのです。ですが、今年は少し違います。


 急にしんとしてしまったその場の空気を切り出したのは、シマダイさんの落ち着いた声でした。


「……それでも、今年も最高のお祭りになったわよね」


「ええ……。ご主人様がいなくなっても、娘さんにお孫さん、そしてついにひ孫さんですもんね」


「ひ孫ちゃん、とっても可愛らしかったですよねぇ。また来年もあの子に会えると思うと楽しみです」


「そうね。来年も飾ってもらえるといいわね」


 三人は少し黙り込んだ後、互いにお酒を注ぎ、再びお猪口を掲げます。




「それじゃ、ご主人様の旅立ちに……乾杯」




 今宵も年に一度の祭の夜を飲み明かす三人官女。


 出会いと別れ、もう何度繰り返したことでしょうか。何度目であっても、別れは哀しいもの。彼女たちの硝子がらすの瞳には、ほんの少し涙が浮かんでいます。


 されども年が巡ればまた彼女たちのお役目が回ってくるのです。一年、二年、十年、五十年、百年。そこに乙女がいるかぎり。




 ……さぁ、また来年。


 桃の節句に会いましょう。




〈終わり〉

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桃の宵闇、乙女の祭 乙島紅 @himawa_ri_e

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