十勝野より逝く ~亡き祖母のための晩夏の花~

kanegon

十勝野より逝く ~亡き祖母のための晩夏の花~


 祖母が亡くなった、と父から携帯電話に連絡を受けたのは、残暑が厳しい九月上旬の午前の仕事中だった。


 あ、やっと亡くなったか、というのが悲しみよりも正直な感想だった。


 帯広の自宅を離れて札幌の高齢者施設に入所していた祖母は、ここ一カ月はずっと危篤状態と言われ続けていた。私は、金曜日の夕方に仕事が終わってから4時間ほど車を運転して札幌に向かい、日曜日の夕方にまた4時間かけて帯広に戻る、という生活に疲れていた。


 祖母の年齢は満年齢で107歳だ。数え年だと108歳ということになる。もうとっくに亡くなる覚悟はできていたので、悲しいというよりもほっと肩の荷が降りた感じだ。


 お通夜は今夜、札幌の葬儀場で行うということなので、午後から休みという手続きを取って、私は午前中でキリのいいところまで仕事を終わらせるべくデスクに向かった。葬儀場側の都合で、本来予定していた斎場とは別の場所になるらしい。


 午前の仕事が終わると、一度家に帰って喪服と宿泊用の着替え等一式を持ち、車のガソリンの残量を確認して出発した。


 札幌市内で少し道に迷ってから、夕方に斎場に到着した。ラジオCMでよく聞く冠婚葬祭企業だ。


 狭い駐車場に苦労して車を停めて扉を開けると、サウナに入ったかのようなもわっとした暑さが体を包んで一気に疲労感を増してくれた。もう九月に入っているし、時間帯も夕方なのに。今年の残暑はどうなっているのだろうか。


 荷物を持って、さっさと葬儀場に入る。スタッフの人に聞いて、三階のご遺族控え室に行くと、ほとんどの親族が既に到着していた。札幌市内に住んでいる親族ならばすぐに来ることは可能だろうが、東京や香川に住んでいる親族も既に来ているようだった。


 祖母には男女六人の子どもがいた。108歳の祖母の子どもなのだから、上は既に80歳を越えているし、一番年下でも70代前半なのだが、六人全員が健康で存命だった。私の父が祖母にとって長男なので、今回喪主を務める。


 祖母は長生きしたが、自分の子ども六人に先立たれることはなかったのだ。


 私は、親戚の人々に一通り挨拶した。


 祖母の子どもが六人。その配偶者。私から見たら従兄弟にあたる人たち。そこそこ広い控え室だが、かなりの人数にのぼる。家族葬にする、とは父から聞いていたが、健在な親戚だけでも結構な数だ。


 生きている人間に挨拶した後、私は棺の中の祖母と対面した。


 祖母は穏やかな表情をしていた。


 亡くなった祖母と対面したら泣いてしまうのではないか、と危惧していたが、特に涙がこみあげるということもなかった。


 祖母はギリギリ明治生まれで、令和が始まるまで生き抜いたのだ。涙にくれて悲しむよりも、大往生を讃えて静かに送ってあげたい。父もそういう気持ちだからこそ、家族葬を選んだのだろう。


 祖母との対面を終えて、控え室内を見渡してみて気づいた。


 親戚の人たちは、控え室の壁に何枚も飾られている、パネルに入れられた写真を見て「きれいだね」と談笑している。


 花の写真だった。


 花が写っているだけではなく、クレマチス、クガイソウ、カンパニュラ、ルドベキア、ユーパトリウムなど、花の名前を書いた札も一緒になるように写してある。


 これは……祖母が庭で育てていた花の写真なのだ。


 祖母が元気だった頃は、帯広の郊外の十勝野にある自宅の庭には、季節の花が色とりどり咲き誇っていた。元気だった頃の祖母の趣味は花を育てることと油絵を描くことだった。ジョウロで花に水をやり、しゃがみこんで小さな鍬を使ってちまちまと雑草を刈っていた。


 ところが、その祖母が札幌の高齢者施設に入所してからは、花を育てる人がいなくなってしまい、今の我が家の庭は寂しい感じになっている。


 庭に咲いている花は、きれいだとは思ったが、私は特に見向きもしなかった。名前も分からないし、興味が無かったのだ。


 そんな、祖母が育てた花を、デジタルカメラを構えて写真に収めていたのが父だった。昔の人間である父は慣れないパソコンを使って写真を取り込んで編集していた。


 それを、祖母を送る葬式の場で使うとは。旧態依然とした昔の人間とは思えないほどの父の良きアイディアであった。


 そうこうしているうちに、葬儀を執り行ってくれる、帯広の神社の神主が挨拶に訪れた。


 着ている服は、いかにもそのへんのオジサンという感じだが、見慣れた神主だ。


 うちは、仏教のお寺の檀家ではない。


 神道の神社の氏子なのである。


 我が家の先祖が屯田兵として北海道に入ってきた時に、お寺ではなく神社にしたらしい。その理由は、お布施だなんだかんだとお金がかかりまくるお寺よりも、神社の方が安く済むから、というものだった。うちの先祖らしい逞しい考え方だ。


 神主もまた、帯広から札幌まで、わざわざ車で来てくれたのである。当然今夜はどこかのホテルで宿泊ということになるのだろう。


 神主が自分の控え室に戻ったあと、簡単な食事が出された。特に旨いものではないが、食事の質に期待しているわけでもないので文句も無い。


 そうこうしているうちに通夜祭の時間になった。喪服に着替えて黒ネクタイを締めて、一階の式場に向かう。


 神道においては、全ての儀式は祭りである。


 だから、お通夜のことは通夜祭という。告別式のことは葬祭という。仏教でいうところの四十九日は、神道では五十日祭という。


 式場は、控え室よりも少し大きいくらいの部屋だった。家族葬なので、控え室に集まっている親族以外の参列者はいないのだから、そんなに大きな部屋は必要無いのだ。


 式場の奥には祭壇が設えられていて、白だけではなく、黄色、オレンジ色、水色など、色とりどりの花で飾られている。その中央には、祖母の遺影があった。


 遺影は写真ではなかった。


 簡素な額に入った油絵だ。


 油絵を描くことを趣味の一つとしていた祖母が描いた自画像だった。


 普通の写真の遺影に付いているような黒いリボンは付けられていなかった。


 まだ祖母が元気だった頃に描いたものだから、せいぜい80代か90代前半くらいのものだろう。


 自画像が祖母本人に似ているかどうかというと、よく分からない。昔の祖母のおもかげなど、それほど明瞭に記憶しているわけではないのだ。


 それこそ冠婚葬祭会社のラジオCMでよく聞くのだが、人が亡くなった時に、葬儀用の遺影探しで遺族は困るらしい。葬儀までの時間が限られている中でアルバムを何冊もめくって調べても良い写真が見つからず、結局は運転免許証の写真にしてしまうことも多いらしい。そして運転免許証の写真は、大体は無愛想で味っけも素っけも無い感じの無機質な写り方になってしまっているものだ。


 油絵の中に残された祖母は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。笑顔ではない。それこそ、運転免許証の写真のように無表情だ。


 だけどその無表情の中に、物静かではあるけど一本自分の芯がある強さを備えている祖母の人柄が浮かび上がってくるように、私は感じた。体が弱って札幌の施設に入る直前まで、祖母は絵筆を握り、鍬で雑草を刈り続けたのだ。


 そして油絵は、遺影の一枚だけではなかった。


 油絵遺影の周りは、花で囲まれている。当然のことながら葬儀会社がお花屋さんに手配して用意してくれたものだろう。


 お花屋さんが用意してくれた本物の花の中に混じって、六枚くらい、油絵が飾られていた。


 祖母が描いた、庭で育てている花の絵だった。


「あ、あの絵はアクタエアの花だね」


 親戚の一人が、油絵の一枚を指さして言った。


「こっちはカンパニュラだよ」


 桔梗のような形の紫色の可憐な花。確かにカンパニュラだ。花に興味の無い私でも分かる。


「これはクレマチスだったかな」


 さっき、控え室の写真パネルで見たから、私も親戚の人々も、花の名前が分かるのだ。


 葬儀会社の若い女性職員の案内で私たちは着席し、正式な衣装に着替えた神主が入場してきて、通夜祭が始まった。


 儀式の手順は、特に真新しいものではなかった。


 神主が祝詞を読んで、玉串奉奠をして、私たち参列者も一人ずつ玉串を捧げて、という感じだ。玉串を捧げた後、二礼二拍手一礼するのだが、この拍手の時にパンパンと音を立てずに、そっと手を合わせるだけであるのが要所だ。


 葬儀の時点では、故人の体から魂が抜け出ただけの状態であり、故人はまだ神様ではない、という解釈なのだ。五十日祭からは故人は神様となり、その時からは二礼二拍手一礼の時に音を立てた拍手をすることになる。


 通夜祭の最後に喪主である父の挨拶で、生前の祖母の思い出を述べた。


 庭で育てていた花の名前を、いくつも、いくつも列挙した。


 通夜祭は滞りなく終わった。儀式の手順自体は二十年ほど前に祖父が亡くなった時と同じで、特に面白みがあるわけでもなんでもない。


 明日は、午前中から告別式にあたる葬祭が行われる。焼き場に行って帰ってきてからは繰り上げ祭がある。


 儀式自体は、今夜の通夜祭と同じで、祝詞、玉串奉奠といったことをするのは分かっている。


 でも……


 通夜祭の終わった式場を出る前に、私は祭壇を振り返った。


 祖母は、生前愛した花に囲まれて、旅だって行くのだ。


 他人に定められた人生ではなく、自分のやりたい趣味をやって自分のなりたいような姿を自分で描いて、そういった人生を107年、明治、大正、昭和、平成、令和、と生き抜いたのだ。


 この通夜祭自体、祖母を送るためのものとしては、ベストの形なんじゃないかな?


 式場を出て、三階まで階段を昇る。控え室には、花の写真たちが待っている。


 油絵に描かれていた花を、もう一度探してみよう。私はそう思いながら控え室に入っていった。

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