男祭2020
薮坂
奇祭、玉砕、大喝采
「──ソイヤ! ア、ソイヤ! ソイヤソイヤソイヤソイヤッ!」
弾ける奇声。迸る汗。ぶつかり合う肉と肉。
夜半、松明が照らす神社の境内。信じられない程に過密した人いきれの中、僕は屈強な男たちの胸板に顔を挟まれ、まさに圧死寸前の様相を呈していた。
顔の形が変わる。息が詰まる。男たちの熱気は際限を知らず、降る雪は上空で雨に変わっている。否。これは雨ではない。汗だ。いや汁だ。
人は死ぬ時、走馬灯を見るという。人生の最後を迎える時、自分の今までを振り返るダイジェスト。その最後を飾るのが、半裸の男たちに塗れている画なんて嫌すぎる。
僕は必死で抗う。手足に力を込める。だけどバルクアップされた男たちは岩のよう。まるでビクともしなかった。焼け石に水どころの話じゃない。無力。圧倒的無力。それである。
嫌だ、まだ死にたくない。というかこんな最後なんて、死んでも死に切れない。僕は文字通り男たちに溺れ、詰まる息の中、どうしてこんなことになったのかを思い返した。そんなの意味ないのはわかってる。わかってるけれど、そうせずにはいられない。
こんな事になった原因。つまりは首謀者たちの名前くらい、死ぬ前にダイイングメッセージとしてどこかに刻んでおかないと気が済まないってヤツだ。
僕は薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞ってそいつらの名を板に刻もうとした。
しかし、目の前にあったのは分厚い胸板。
そして僕は、全てを諦めた。
──────
「──何故だ。何故出来ない。どう考えても解せない事態だ」
講義が全て終わった後の、大学の空教室。メタルフレームのレンズをキラリと煌めかせ、
「あぁ。オレも由々しき事態だと思ってるぜ。何故だ? 何故オレたちには……」
名塩の言葉を受けて返したのは、その隣に立っていた
二人はどこに出しても恥ずかしいくらいのアホであり、もしアホのオリンピックがあれば毎回日本代表間違いなし。日の丸を背負って立つ、ある意味ミライモンスター。
涙が出そうなくらいに残念な事であるが、それが僕の高校からの友達なのである。大学になっても、コイツらはまるで変わらないままだ。
ゆらりと壁から離れた加西は、大きな声で叫ぶように、勿体ぶって止めていたセリフの続きを言う。
「何故……何故! 何故オレたちには彼女ができねぇんだよォ──!」
魂の叫び。頼むから静かにしてくれ。
「おかしいだろ、クソッ、クソッ! 大体誰だよ、大学生になったら彼女くらい自然と出来る、とかウソ吐いたヤツはよ! チクショウ、誰だか知らねぇがアルゼンチンバックブリーカーで背骨折ってやりてぇ気分だぜ!」
「俺も全く同意見だ。大学に入り、新歓コンパにも参加した。サークルにも入った。それにバイトも始めた。しかしまだ俺たちには何かが欠けている。だとしたらそれは何だ?」
「知能だろ」
僕は即答してやった。コイツらは知能が決定的に足りてない。しかし僕が放ったキツめの言葉を意に介さず、名塩はキザったらしくメガネのブリッジを指でくいと持ち上げ、加西は芝居がかったように肩を竦めている。なんだコイツら。腹立つな。
「
「なんでナチュラルに『俺たち』に僕を含めてんだよ! お前ら二人の事だけに決まってるだろ?」
「まぁ落ち着けよ。これはマジで由々しき問題だぜ。オレたちぁ華の大学一回生。なのに誰一人として彼女はいねぇ。周りのヤツらはあんなに楽しそうにしてんのに、だぜ? やっぱおかしいだろ、どう考えても!」
「あぁ、おかしい。この前など、俺は屈辱的な扱いを受けたぞ。イケメン
「くぅー! それ聞いたら目から汗が出ちまうぜ、名塩ォ!」
実際に涙ぐんでいる加西。もう色んなモノを置いてけぼりにしてキモい。
「だからだ。だからこそ。俺たちは俺たちに足りないモノを見つけねばならない。奇しくも明日から冬休み。時間だけはたっぷりとある」
「あぁ、わかってるぜ。これは『戦い』だ。オレたちに足りねぇものを得んとする戦い。既に火蓋は切ってある。オレぁやるぜ。やられっぱなしじゃ、何のために大学に入ったのかわかんねぇからな!」
勉強するためだろ、と突っ込むのはやめておくことにした。コイツらはアホだ。アホに正論は効かない。
僕が黙っているのをいい事に、もう一人のアホである名塩が言う。
「──俺は三日三晩考えた。飲まず食わずで、深い瞑想状態で。考えに考え抜き、そしてついに悟りを得た」
「悟りを得た、だと……? 名塩、言ってくれ! オレたちに足りねぇものは何なんだ!」
「それはな……」
名塩はたっぷりと勿体をつけて。そして、悪魔の様な笑みで言葉を継いだ。
「……神の加護だ」
「神の加護、だと……?」
あぁ、もうなんて言うか。アホ、ここに極まれり。それも二人同時にだ。誰か助けてくれ。
僕は絶対零度の目で二人を眺めてやる。あるいは夏場の生ゴミを見るような目で。しかし二人は嬉々として、セリフを続けていた。
「俺たちは努力した。良い大学に入ればモテると聞いて、高校三年の時は受験勉強に青春時代を捧げた。しかしどうだ。目標を達成しても彼女はおろか、女友達さえ出来やしない。努力はし続けている。しかしダメだ。もうこうなったら、神頼みしかあるまい」
「なるほどな。となると、どの神様に頼むのかって話になるが──、アテはあんのか?」
「ただ頼むだけでは、神とて願いは叶えてくれないだろう。神頼みには供物が必要だ。あるいは、神を崇め奉る祭において良い成績を残すか」
良い成績を残す? 祭で? いやいや、何か雲行きが怪しくなってきた。いや違う、雲行きは元々怪しいどころか荒天だ。
ゴクリ。隣の加西が、生唾を飲み込む。いやいや、そんな固唾飲むとこか、これ。
「俺たちは、ある祭に参加するぞ。五穀豊穣を司り、全知全能の御神体を奪い合う、崇高で神聖な
「その御神体ってのは……」
「──男根だ。俺たちは男根祭に参加するぞ」
──────
「ソイヤッ、サー! ソイヤソイヤソイヤッ!」
「ソイヤ! ア、ソイヤ! ソイヤ! ア、ソイヤ!」
……祭囃子が聞こえた。なんて言うか、むさ苦しいというか、男気100%というか。とにかく熱い。身体の奥から熱くなる、戦いの本能を呼び覚ますような、雄叫びが──。
僕はぱちりと目を開けた。そこに広がっていたのは、海と見紛うばかりの男、男、男。
白フンドシ一丁の男たちが、互いの肉と肉をぶつけ合い、自身の存在を賭けた死闘を繰り広げている。
奪い合うのは、子供の背丈ほどあろうかという大きな木彫りの、男根だ。御神体と称されるそれを、数多の男たちが奪い合う──、まさに奇祭中の奇祭。
もう、どこから突っ込んでいいのかわからない。ていうか、何故だ? 何故ごく一般的な男子の僕が、こんな戦いに身を投じなければならないのか。
「無事か、三木!」
白フンドシの名塩が僕を抱き起こしながら叫んだ。自身のものなのか、あるいはそうでないのか。返り血のように名塩は汗を浴びていた。ぬるりと滑る。絵面が非常に良くない。
「あのバルク兄弟にやられたのか! 前回の覇者らしいぞ! 三木ィ、全く無茶しやがって!」
逆サイドに、いつの間にか加西がいた。こちらももちろん、フンドシ一丁という出で立ち。気がつけば僕も、その正装をしていた。あれ、いつの間に。もしかして記憶が飛んでたのか? さっきまで、僕らはしょうもない話を大学の教室でしていたハズだろ。なのになんでこんなことに……?
「三木、歯を食いしばれ! 御神体は目の前だ。あれを奪えば、願いが叶うとされている! ここまで三人で来たんだ、絶対に三人でモノにするぞ!」
「あぁ、もろちんだ! だがあのバルク兄弟は厳しい。つまり、誰かが犠牲にならなきゃなんねぇようだ……」
「ま、まさか加西ッ、お前!」
「オレぁよ。三人の中で一番、バカだからよ。普段はお前らに、何のプラスも与えられてねぇんだ……」
「おい加西ッ! こんな時に何を言ってるんだ!」
「聞け、二人とも! オレがあのバルク兄弟にブチ当たる。まぁ、勝てやしねぇだろうさ。だがな! あいつらを道連れにするくれぇは、できるハズだ!」
「やめろ、お前だけで敵う相手ではない!」
言った名塩は、すっくと僕の目の前に出た。御神体を照らす松明が、名塩と加西のシルエットを浮き彫りにする。最早、神々しいとさえ思えるような立ち姿。
「……相手は二人だろう? それなら、こちらも二人で当たるのが筋。一人よりも二人だ、加西」
「名塩……お前ってヤツぁ……!」
目を潤ませる加西。そしてそれを爽やかな笑みで受ける名塩。そこには、強固な友情があった。何をもってしても、引きちぎれぬ友情が。
だからだろう。きっと、その異常な状況の只中で僕も絆されたのだろう。そうとしか思えない。気がつけば僕は、普段なら絶対に口にしないであろう言葉を紡いでいた。
「──待てよ、二人とも。僕のこと、忘れてないか」
「三木……?」
「名塩は言ったな。一人よりも二人だと。それなら、二人よりも三人、だろ?」
「三木ィ……!」
僕たちは無言で頷き合う。そして、その言葉が自然に、口をついて出た。
「我ら三人、生まれし時は違えども──」
「同年、同月、同日に、」
「……共に死せんことを誓わん!」
『ソイヤソイヤ、ソイヤ──ッ!』
悲しい戦いがあった。
その戦いを知る者は少ない。
その戦いで死んだ若者を知る者は、もっと少ない。
そして、その戦いで彼らが何を得たのか。
それを知る者は、どこにもいない。
【終】
男祭2020 薮坂 @yabusaka
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