第4話 2019年 3年目🐾🐾🐾

 あたしは黒猫のクロ。

 額に小さな三日月の印を持つ、ノラの雌猫だ。

 実は、あたしには秘密がある。

 4年1度の『大化けの日』由緒正しき三日月黒猫であるあたしは、この日一日だけ人間に化けることができる。


 🐾


 そして3年前の『大化けの日』に、たまたま小学生の女の子に化けたあたしは、ちょっとした事がきっかけで、一人の男の子と出会った。

 名前はむつくん。


 足を事故でケガしてしまった彼は、走るのが大好きで陸上選手になるのが夢だった。

 リハビリを頑張る為に願掛けに神社に来たっていう睦くんの話を聞いて、それから(あたしは次の日に転校することになっていると話したので)あたし達は4年後に、またこの同じ場所で会うことを約束したのだった。


 🐾🐾🐾


 あれから3年……。


 睦くんは、もうすぐ中学二年生になる。

 出会った時は、まだ子供っぽかった睦くんだけど、すっかり背も伸びて、毎日側で見ているあたしでも時々ハッとするような、大人びた表情をするようになった。


 足の方は睦くんのコツコツ諦めずにしてきたリハビリとトレーニングの成果もあって、歩くのには全く問題がなくなった。

 そして走ることも、日常生活に支障がないくらいになら出来るようになったのだ。


 これには主治医の先生も驚いていて

「今だから言いますが、足を庇わずに歩けるようにはなっても、走れるようになるのは、かなり厳しいかもしれないと思っていたのですよ」

 と、お母さんにも話したらしい。


 でも、睦くんは頑張った。

 停滞期で、なかなかリハビリの成果が出ない時には、かなり落ち込みもしたけど、それでも諦めなかった。

 そしてこうして、走ることも出来るようになったのだ。


 でも、『ここからなんだ!』と睦くんは思っているようだった。


 無理もない。睦くんの夢は陸上選手になることだから。

 思い切り風を切って走ることが何よりも好きな彼なのだ。


 だからその ”ここから” こそが今までにも増して、険しい道のりなのだった。


 日常生活に支障がなく走れるようになったのなら、それで充分じゃないかと他人ひとは言うかもしれない。

 でも、そこまでで仕方がないと諦めてしまうには、睦くんにとって、走ることへの情熱は大きすぎた。


 彼がまだ幼い頃に亡くなってしまったお父さん。そのお父さんの後ろ姿を追うような気持ちも、そこにはあったんだろう。


 主治医の先生から、お母さんは、

「ここまで走れるようになっただけでも大したものです。ただ、陸上というハードな競技は可哀想だけど、今後は無理でしょう」

 と、言われていたようだ。


 睦くんが学校に出かけている時に、たまたま仕事が休みだったらしいお母さんが、どこかに電話をかけて、そのことを話しながら泣いているのを、窓の外から、あたしは聞いてしまった。


 誰よりも走ることが好きで、その為に頑張ってきた睦くんを知っているお母さんだから、余計に辛かったんだと思う。


 走るようになれただけでも、大変な事だったんだ。最初から、それは言われていた事だし、わかっていたことだった。けど……。


 🐾


 それから、あたしは三日月黒猫一族の願掛けをより一層、熱心に続けた。強く強く祈った。

 睦くんの願いを、どうしても叶えてあげたかった。もう一度、思い切り風を切って走れるようにしてあげたかった。


 睦くんもまた、熱心に願掛けをしているようだった。だけどそれだけに頼らずに、ずっとコツコツと努力するのを忘れなかった。

 睦くんはそういう子だった。そんな睦くんだから、あたしも応援したくなったんだよ。


 🐾


「クロ! やっぱりここにいたんだね」

 神社の、いつもの木のベンチ。


 この神社は、すっかり廃れてしまっているからか、展望のいい場所にあるのに人は滅多に来ない。

 あたしは、ここを根城にしているんだけど、睦くんも、アパートから近くのここには願掛けに通っている。


 そして今では、この木のベンチは、まるであたしと睦くんの専用みたいになってる。

 睦くんに会いたい時は睦くんのアパートに行くけど、いない時はこの神社のベンチに来ていることが多い。


 中学生になってからの睦くんは、友達も増えて、付き合いも広がって、それなりに忙しく、あたしと過ごす時間も減ってはきたけど、それでも神社に来て、このベンチに座るとホッとするらしい。


 睦くんにとって、この場所とあたしみつき?クロ?は特別な存在になっているのかもしれない。そう思うのは、やっぱり嬉しかった。


「ふぅ……クロ、今日はちょっと疲れちゃった」

「実は今日ね、先輩から陸上部に入らないかって誘われたんだ」

「今までは体育も見学が多かったりしたけど、最近少しずつ参加できるようにはなってきてたからね」


「にゃーん」


「主治医の先生にも相談したんだけどね。先生は、歩けるようになって……そうして軽く走ることは出来るようになったけど、今の状態で急にハードなトレーニングや競技として走るという無理をしてしまうと、せっかくできるようにはなっていたことができなくなるかもしれないから、あまり賛成できないってって言うんだ」

「だから、今回は入部出来ませんって先輩には断った」

「入りたかったなぁ、陸上部……」

「ダメだなぁ、こんなことで、まだ落ち込んじゃうなんて」

 下を向いて、ギュッと目を瞑る睦くん。


(仕方ないよ、睦くん。

 そんなに、いつもいつも気持ちを張り詰めて頑張り続けてなんていられないよ。

 もっと弱音、吐いてよ。

 愚痴、言ってもいいんだよ。大丈夫だよ。

 あたし、いくらでも聞くからさ)


 あたしは、「にゃんにゃーご元気だしてね」と鳴いて、いつもみたいに睦くんの側に行って手を舐めた。


 頭を撫でてくれる睦くんの手は、やっぱり温かくて優しかった。


 🐾🐾🐾


 4年に1度のうるう年の再会の日まで、あと1年。

 あたしはあたしでずっと、睦くんへの手紙を書くための、字を書く練習を、こっそりとしていた。


 多分、みつきとしての姿では、もう会えないだろう。

 でも、それならせめて、みつきとしての想いを、この手紙に託したかった。


 🐾


 街中にある文字、学校に忍び込んだ時、睦くんの宿題を覗いたりしながら、一文字ずつ見て覚えてきては、地面に爪で何度も書く。


 書き損じたらしい紙とチビたエンピツと小さな消しゴムは夜の学校の落し物箱やゴミ箱から何とか調達してきていたけど、これは、とっておき。限りがあるから普通の練習には使えないからね。

 ノートの残り少しを捨ててあったのを見つけた時には、汚さないように慎重に咥えてから、根城の神社まで運んできた。


 何も書いていない残り数枚だけを、そっと破りとって雨に濡れない場所に隠してある。

 これを睦くんへの手紙用にするんだ。


 ただ、紙を前足で押えるのはできるけど、チビたエンピツを口に咥えて文字を書くのには苦労した。爪に地面で書いたら何とか字に見えるのに。ふんぎゃーあ!って何度も投げたしそうになったけど我慢、我慢。


 ああ、きっと睦くんも、こんな風に上手くいかなくて歯痒い思いを沢山してきたんだろうなぁって思えば頑張れた。


 そんな風にして何とか『ひらがな』を覚えて、大事に隠していた、あの取っておきの紙に、睦くんへの手紙を書くことができたのは、もうすぐ今年が終わろうとしている年末の事だった。


 🐾


 来年は4年に1度の

 約束の年の2月、再会の日は、あと少しでやってくる。


 あたしと睦くんの約束の日。

 その時あたし達は、何を見て、何を思うんだろう……。


 あたしは今日も月を見上げて祈る。

 お月さまは、ただ黙ってあたしを照らしているばかりだけれど……。


 🐾🐾🐾


(続く)


 次回は、最終話🐾「約束の日」🐾

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