第2話 2017年 1年目🐾

 あたしは黒猫のクロ。

 額に小さな三日月の印を持つ、ノラの雌猫だ。

 実は、あたしには秘密がある。

 4年1度の『大化けの日』由緒正しき三日月黒猫であるあたしは、この日一日だけ人間に化けることができる。


 🐾


 そして1年前の『大化けの日』に、たまたま小学生の女の子に化けたあたしは、ちょっとした事がきっかけで、一人の男の子と出会った。

 名前はむつくん。


 足を事故でケガしてしまった彼は、走るのが大好きで陸上選手になるのが夢だった。

 リハビリを頑張る為に願掛けに神社に来たっていう睦くんの話を聞いて、それから(あたしは次の日に転校することになっていると話したので)あたし達は4年後に、またこの同じ場所で会うことを約束したのだった。


 🐾🐾🐾


 あれから1年……。


 あたしは睦くんの住むアパートに通うようになっていた。

 朝、部屋の窓の外で、小さく「にゃーん」と鳴くと、窓が開いて睦くんが顔を出す。


「おはよー!クロ、今日も来たのかい?」

ふみゃっおはよっ!」

「ふふふ、煮干しのオネダリ?クロは煮干しが好きだなぁ」


「お母さーん、クロ来たー!煮干ちょうだい!」

「はいはい、待っててー」


 睦くんは、当たり前だけど、あたしクロが、だなんてことは知らない。


 🐾


 睦くんは、あれからも、あたしの根城にしている、あたし達が出会った神社に毎日、学校帰りに願掛けに来ていた。


 願掛けと言っても、鈴を鳴らして、手を合わせてお参りをするというだけなんだけど、睦くんは真剣だった。


「神様、どうかお願いします。前みたいに歩けて、それからまた、思いっきり走れるようになりたいんです。頑張ってリハビリもトレーニングも続けます。だから、足が治りますように、お願いします」


 つぶやいている声を、あたしは物陰から聞いていた。

「にゃぁーん」

 そっと顔を覗かせて近づくと、睦くんの顔がぱぁーっと明るくなった。


「わぁ!キレイな黒猫だなぁ、クロ、お前どこから来たの?」


 あたしは睦くんの足にまとわりつきながら、『うにゃーんあたし、みつきだよ』と言ってみたけど、当然のことながら彼には、わからない。

 ただ、見慣れない黒猫が懐いてきたのを、不思議がりながらも嬉しそうだった。

 元々、動物好きみたいだけど、アパートではペットは禁止されているものね。


 だから、あたしは、ここの神社を根城にしつつ、睦くんのアパートにも通うようになった。

 あまり、にゃーにゃー鳴きすぎると、目立って他の住人から苦情とか出るといけないから、そこは抑え気味にしている。

 何しろ、あたしは誇り高き三日月黒猫なのだもの。そのくらいの気遣いはね。えっへん!


 🐾


 睦くんのケガは酷く、右足を引きずってしか歩けなくなっていた。それでも彼はかなり、リハビリやトレーニング(どんなことをするのか、やっとあたしにもわかってきた)を頑張っているようだった。

 頑張りの成果は、かなり出ていて、以前からすれば、足を引きずっていることも気をつけていないとわからないくらいにはなっている。


 それでも睦くんが焦っているのは、側で見ているとわかった。

 普通に歩けるようになってきたとは言っても、やっばりまだ前みたいにはいかない。


 それでも、ここまででも随分、回復してきているし、お医者さんも頑張ってるねと目を見張る程なのだ。


 ただ、睦くんはまだ子供で、当たり前だけど、早く早く元のように走れるように、と気がいる。


「ねぇクロ、僕、自分でもかなり頑張ってリハビリやトレーニングしてると思うんだよ。けどさ、まだやっと前よりも足をかばわないで歩けるようになったかなって感じくらいでさ。普通に走ったりもできないんだ。僕、こんなので本当に走れるようになれるのかな……」


 ある日、神社の木のベンチに座った睦くんが、横に寝そべっているあたしに言った。


 あたしは起き上がると、睦くんのヒザの上にそっと座ってから、『にゃん!元気だして』と彼の手をペロリと舐めた。


「クロ、ありがとう。お前、励ましてくれてるんだね」

「ねぇクロ、同じことを続けていくって難しいね。楽しいこととか、結果が目に見えてわかると頑張れるんだけどさ」

「うん、少しずつ良くなってるのはわかるんだ。お医者さんも、そう言ってくれてるしね」

「だけど、あれから1年経っても、こんなに頑張ってるのに、僕、まだやっと少し前よりも歩けるようになったかなってくらいなんだよ」


「こんなので前みたいに走れるようになったりするのかな……」

 睦くんはもう一度、そう言った。


 ぽつりと何かが、あたしの頭に落ちてきて……見上げてみると睦くんが拳を握りしめて泣いていた。


にゃーご泣かないで


 あたしは睦くんの手をもう一度、舐めながら鳴いた。

 いつも前向きで弱音なんて吐いたことなかったのに。


 でも、そうだよね。

 毎日、生活に追われて大変な中で、一生懸命働いて、睦くんのリハビリにも時間を作って付き添ってくれる優しいお母さん。

 そんなお母さんに心配かけたくなくて、ずっと不安な気持ちを抑えて我慢してたんだもんね。


 夕陽が、ベンチに座る睦くんとあたしを照らしていた。

 あたしは、ひたすら睦くんの手を舐めながら、彼に寄り添うしかできなかった。


 🐾🐾🐾


 三日月黒猫一族に伝わる願掛け、それはこういうものだ。


 元々、あたし達一族は4年に1度の『大化けの日』の為に妖力を少しずつ額の三日月の印に溜めていく。

 それがいっぱいに溜まった時、初めて、うるう年の、その日一日だけ人間に化けることが出来るわけだけど……。


 ただ、これと引き換えにして、一つだけ願いを叶えることもできるのだ。

 妖力を溜め終わる一日に願をかける。

 例えば、そう、

『睦くんの足が完全に治って、前みたいに思い切り走れるようになりますように』

 って。

 これを次のまで毎日続ける。


 次のうるう年には、人間に化けることは出来なくなり、額の三日月は消えてしまう。

 額の三日月が消えれば、二度と人間に化ける力は失われる。

 それでも、あたしは、この願掛けを続けた。


 🐾🐾🐾


 仲間の猫たちからは、バカだなぁって言われた。

 せっかく、三日月黒猫一族に生まれて、4年に1度とはいえ、人間に化けることが出来るのに。

 そんな、人間の子供の足が治りますようになんて願掛けの為に、それを失っちゃうの?って。


 あたしは笑って答えた。

『うん、だってね、人間に化ける力より、もっともっと叶えたい大切なものなんだもの』


 睦くんの頑張りと涙を見た時に、あたしは改めて決心したんだ。

 この願掛けを成就させるって。


 🐾


 それから、あたしは人間の文字を覚えて練習することにした。

 うるう年の日に睦くんに手紙を書きたかったから。

 鉛筆と紙も用意しなきゃって、あちこち探し歩いた。

 そして鉛筆と紙は夜の学校で、落し物箱やゴミ箱の中で見つけることができた。

 今の子は鉛筆がチビると捨てたり、落としても拾いにこなかったりするみたい。

 消しゴムも同じようにして見つけた。

 ノートも、まだ残ってても新しいのに変えてたりするから。

 勿体なくないのかな?って思ったりするけど(睦くんと過ごすようになってから、あたしも色々な人間のことに詳しくなってきたのだ)人それぞれなのかな。わかんないけど。


 🐾


 字を覚えるのはもっと大変で、睦くんのアパートに遊びに行った時、彼が宿題してたりするのを横から覗いたり(クロ、邪魔しちゃダメだよって怒られながら💦)して少しずつ。


 まだ今は、ひらがな少しだけしか書けないけど、その時までには、もっと色んな字が書けるようになりたい。

 ううん、絶対、書けるようになるんだ。


 🐾


 今日も神社からアパートまで睦くんを送りとどけて(睦くんは、そうは思ってないだろうけど、あたしの気持ちの問題なんだよ)『にゃーごまた、あしたね』と挨拶してから、神社のねぐらに帰る。


 大丈夫だよ、睦くん。

 あたしがついてるからね!

 だから、一緒に頑張ろうね。


 帰り道、空を見上げると、まん丸お月さまがぽっかり浮かんでた。


 まるで月明かりが、あたしの歩く先の道まで照らしていて、励ましてくれてるみたいで、あたしはお月さまに、ぺこりとお辞儀してから、帰り道を急いだ。


 🐾🐾🐾


(続く)

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