第3話 2018年 2年目🐾🐾
あたしは黒猫のクロ。
額に小さな三日月の印を持つ、ノラの雌猫だ。
実は、あたしには秘密がある。
4年1度のうるう年『大化けの日』由緒正しき三日月黒猫であるあたしは、この日一日だけ人間に化けることができる。
🐾
そして2年前の『大化けの日』に、たまたま小学生の女の子に化けたあたしは、ちょっとした事がきっかけで、一人の男の子と出会った。
名前は
足を事故でケガしてしまった彼は、走るのが大好きで陸上選手になるのが夢だった。
リハビリを頑張る為に願掛けに神社に来たっていう睦くんの話を聞いて、それから(あたしは次の日に転校することになっていると話したので)あたし達は4年後に、またこの同じ場所で会うことを約束したのだった。
🐾🐾🐾
あれから2年……。
睦くんは小学校を卒業して、この春、中学生になる。
出会った時は、どちらかというと大人しげで小柄な方だった彼だけど、ここ最近でグーンと背が伸びて、ちょっぴり逞しく大人っぽくなった感じがする。
🐾
そしてケガをした足は……もう庇うような歩き方はしていない。していないけど、ただ……。
睦くんは、あれからもリハビリとトレーニングをコツコツと頑張った。それでこうして、ほぼ前のように歩けるようになった。
歩けるようには、なったのだ。
🐾
これはお母さんが、主治医の先生から聞いた事だと話していたんだけど、どれだけ真面目にリハビリを続けていても、回復がなかなか進まないように感じる『停滞期』というのは誰にでもあるらしい。
「だからね睦、焦っちゃダメ。今までのあなたの頑張りは、お母さん、側で見てきたからよくわかるわ。その頑張りで以前みたいに、こうして右足を
「でも、歩けても……前みたいに走れない。足はやっぱり思うように動かない。こんなに……こんなに……頑張ってるのに!このままリハビリ続けたって、前みたいに走れるかどうかなんて……わかんないじゃないか!!陸上選手になる夢だって、走れなきゃ!走れなきゃ!!!」
睦くんは焦れたように叫ぶ。
それはまるで、必死で
お母さんが一瞬、絶句する。
「だからね、睦、それはね、先生もおっしゃっているように……」
窓の外から二人の話を聞いていたあたしは、いつものように「にゃーん」と声を掛けづらくなって、そのまま窓の外で黙って話を聞いていた。
睦くんはコツコツと努力するタイプの子だ。そして、陸上選手になる夢の為に一生懸命、頑張ってきた。その夢が足のケガの為に遠ざかってしまってからも、諦めなかった。
そうしてやってきたからこそ、今の足踏みしたままみたいな状態が、尚更もどかしくて堪らないんだろう。
「ごめん……神社に行ってくる」
続けて何か言いかけた、お母さんの言葉に
🐾
あたしは慌てて後を追う。
追いかけていくと睦くんは、いつもの神社の木のベンチにポツンと座っていた。
「
呼びかけると睦くんが顔を上げる。
「クロ……」
あたしが彼の側まで行くと、睦くんはあたしを抱き上げて膝の上に乗せてくれた。
そのまま、彼が話し出す。
「クロ、僕ダメだな。足のことで母さんに当たっちゃったよ……。わかってるんだよ、焦っちゃダメだってことは。主治医の先生も母さんも『停滞期』っていうのは誰にでもあることで、だから腐らずに諦めないでって言うし、僕もそう思ってる……思ってるけど……」
睦くんが拳を握りしめているのが、わかった。
うん……そうだよね……。
わかってても、どうしようもなく辛いことはある。
わかってたって弱音を吐いて、ぶつけたい時だってある。
心は、そんな簡単に整理できるものじゃないもの。
睦くん、大丈夫だよ。お母さんだってわかってるよ、睦くんの、そんな気持ち。
睦くんが頑張ってきたことを、誰よりも側で見ていて知ってるお母さんだもの。
あたしは睦くんを見上げながら、胸の中でそう話しかけていた。
こんな時に、人間の女の子だったら、『みつき』だったら、もっと励ましの言葉だってかけられるのに……。
そう思うと胸が、きゅーっと苦しくなった。
あたしには、ただ、いつもみたいに「にゃあ」って鳴いて、睦くんの手をペロペロって舐めることしかできなかった。
頭を睦くんのお腹の辺に擦りつけながら肉球でトントンして、ヨシヨシってするしかできなかった。
あたしは猫である、この三日月黒猫の自分に誇りを持っている。
だけど、今、この時だけは、人間でない自分が哀しかった。
ふっと、睦くんが『お母さん』じゃなくて『母さん』って呼んでいたことに気がつく。
ああ、睦くんは背が伸びただけじゃなくて、こんな風に少しずつ、大人になっているんだな。
だから尚更に、自分で深く考えたり悩んだりもするようになったんだね。
睦くんは、あたしの頭を優しく撫でながら言った。
「ねぇ、クロ。実は僕、この場所で友達になった子と約束したんだよ。4年後……また、頑張って走れるようになってみせるから、ここで、もう一度会おうねって。あれはこの前のうるう年のことだったっけ。会う約束までは、あと2年……」
「僕、あの子との約束、守れるのかな……。 守りたいけど……守れないかもしれ……」
「にゃん!!!」
あたしは強い声で鳴いて、睦くんを見つめた。
睦くんが驚いたように、あたしを見ている。
その瞳に黒猫のあたしか映っている。
「クロ……お前、諦めちゃダメだって言うんだね……」
あたしを見ている彼の目は、潤んではいたけど、泣いてはいなかった。
この足のケガは不運で悲しいことだったけど、少なくとも睦くんは、この出来事をキッカケにして深く考えることを知ったんだと思う。
彼は強くなった。
きっと本当の意味で、もっと強く優しくなるだろう。
🐾
睦くんは膝の上のあたしを、そっと横に下ろして、ベンチから立ち上がった。
それから、ゆっくりと歩いて行って、いつもの様に参拝して願掛けをする為に鈴を鳴らして手を合わせた。
いつもよりも長い間、睦くんは祈っていた。
あたしもベンチから降りて、睦くんの側に行ったけど、その時には睦くんは、お参りを終えていたし、前みたいに、つぶやいたりもしてなかったみたいだから、彼がどんなことを祈ったのかは、わからなかったけれど。
ただ、その顔は何かの決意に満ちているように見えた。
🐾🐾🐾
神社からの帰り道。
「ねぇクロ。僕、どれだけ時間がかかるかはわからないけど、諦めずにリハビリ続けてみるよ」
睦くんが真っ直ぐ前を向いたまま、あたしに言った。
「にゃーん」
あたしは、いつもよりも優しい柔らかい声で答えた。
黄昏時に、一人と一匹の影が寄り添うように地面に映っていた。
🐾🐾🐾
その夜、一日の終わりに妖力を溜め終わっていつものように、あたしは願掛けをした。
いつもよりも長く強く、猫のカミサマに祈った。
あたし達の寿命は人間よりも短い。
それは三日月黒猫一族も例外ではない。
妖力を持っているから他の猫たちよりは少しばかり長めではあるけれど、それでも数年のことだ。
でも、だから……だからこそ…。
あたしは、あたしにできるやり方で、大切なニンゲンの友達の為に願いを叶えたい。
そして
──そう、思ったんだ。
🐾🐾🐾
(続く)
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