やっぱりこの祭りが好き

林きつね

やっぱりこの祭りが好き

「では先生、今からトマトを投げ合いましょう」

「待て待て待て待て待て」


 私は大学生である。もうほんと、それしかいいようがないくらいの大学生である。授業に出て必要な単位をとる為だけに勉強し、休みの日は友達と酒を飲んで騒いで、そのお金欲しさにアルバイトをしたりする、ザ・大学生である。わざわざ田舎から都会に出てきてそんなことでいいのか? と自問したこともあるが、それなりに楽しい日々を送っているので問題ない。

 そんな私のアルバイトである家庭教師先の生徒は少し変わった高校二年男子である。

 それはついさっき発せられた彼のセリフから一目瞭然だろう。

 私は彼が解いた問題集の答え合わせを黙々とやっていただけなのに。


「いやね、ふと思ったんですよ。凄く面白い祭りをやりたいなって」

「それでなんでトマトを投げ合うことになる」

「知りませんか? トマト投げ祭り」

「いや知ってるけども……」


 日曜日にやっているテレビのおかげで。

 彼はこのように、いきなり突拍子もないことを言うことがある。そして、私の経験上こういう子は得てして頭がいいものなのだが――


「それよりも出来た、はい62点」


 見ての通り普通だ。つまり、私の生徒はただただ変な高校生というだけで、それ以下はあるかもしれないが、それ以上ということはない。


「ふん……いつも通りですね」

「いや、いつも通りじゃ困るんだよ。なんのために私が家庭教師をやってると思ってるんだ」

「まあまあ、そんなことより祭りですよ祭り」

「そんなことってなんだ」


 私が懇切丁寧に勉強を見ていても、彼の成績は恐ろしい程に平行線だった。

 私を雇った理由は多分、親に「勉強してますよ」というポーズをとるためなのが半分、そして暇つぶしが半分だろう。

 私としても、楽で割のいい仕事なのは確かなので、内心そこまで嫌ではないが。


「――では、トマトを取ってきますね」

「だから待てっての」

「えー、じゃあ何を投げるんですか。ビール? ペンキ?」

「なんで何かを投げるのが前提なんだ……」

「いやだって、世界の変な祭りって、大抵何か投げてません?」

「そう……なの?」


 正直よく知らない。

 とりあえず座りなさいよと言うと、生徒は渋々と座った。なんで渋々なんだなどというツッコミは、今更なので一々しない。


「ともあれ、ともあれ、俺は胸と身体が踊り出すような祭りがしたいんですよー!」


 そう言いながら、椅子の上で身体をぐねらせる私の生徒。とりあえず勉強をして欲しい。あんまり成績が振るわないと、それはそれで給料泥棒になってしまう。

 渋々と生徒の目線が問題集に向かうが、五分ももたずに視線はまた私の方へと向いた。


「先生ってさー、田舎のすごいへんぴな村出身なんでしょー? なんか面白い祭りとかやってないんですか?」

「ない。夏に盆踊りと春に運動会をやるぐらいだ。あとへんぴっていうな」


 へんぴだけども。


「えーつまんない……。……そもそも先生ってどこ出身でしたっけ?」

「東北の方にある三角村ってところ」

「なんですかその変な名前」

「定期的に三角形が雨みたいに降ってくるからそう呼ばれてる」

「三角形が降って………危なくないですかそれ?」

「だからこうして都会に引っ越したんだ」


 なんであんな村でみんな平気な顔をして暮らせるのか、私はさっぱり理解できない。まだ向こうで暮らしている妹のことも心配だ。しかも、観光でやってきた年上の男と――……いや、この話はいい。そんなことよりも祭りの話だ。


「――いや、祭りの話はしなくていいんだよ」

「何も言ってないですけど……あれ、先生も祭りに胸踊らせたくなりました?」

「ならない……。というか祭りならいま毎年のやつがやってるじゃないか。それで我慢しておけ」

「はあー? 先生、はあー? 俺ねえ、もう17年もこの街に住んでるんですよ!! 二年だが三年しか住んでない田舎ものとは違うんですよ!」

「君ねえ……殴るよ」

「飽きたんです!」


 祭りも勉強も!!と、ペンを放り出す困った生徒。祭りはともかく、勉強は飽きるほどやっちゃいないだろうに……。


「わかった……わかった……。勉強はもういいから、外に出て軽く祭りを楽しむか?」

「え?! まじで?! 先生最高!!!」


 いうやいなや、上着を手に取り私を押しのけて部屋から出ていってしまった。

 結局、勉強が嫌なんじゃないか。という私の愚痴を聞くものはこの部屋にはもういない。

 こうなっては仕方がない。私も祭りを楽しむとするか。

 幸い、まだ飽きるにはしばらく回数を重ねなくてはならなさそうだし。


 上着を羽織って、玄関から出る。すると、直ぐに容赦なく真っ黒い塊が胸目掛けて飛び込んできた。モチモチして柔らかいそれは、しばらく揉んでやるとそのうち消えてなくなる。

 油断してはいけない。一つ消せばあとは四方八方から飛んでくるので、それをやり過ごしつつ、自分の手の数だけを掴み、文字通り揉み消すのだ――。


 さてあの生徒は――と探してみると、直ぐに見つかった。

 地面に大の字で転び、身体中に黒いモチモチをまとわりつかせながら転げ回っている。


「祭り最高ーーーーーーっ!!!」


 彼は高らかに叫んだ――。

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やっぱりこの祭りが好き 林きつね @kitanaimtona

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