鬼の顔をした男と、盲目の女

卯月 幾哉

本文

 今ではない時、ここではない土地の話である。

 ある農村で、恐ろしい顔をした男児が生まれた。その形相に両親すら怯えるほどだった。

「こりゃあ人の子とは思えん。鬼子じゃ。祟りがあるぞ」

 祟りを恐れた両親は、生まれて間もないその子を山奥に打ち捨てた。

 そのままでは野犬か狼か、それこそ鬼に食べられてしまっただろう。しかし、そこをたまたま通りかかった赤大鬼は、赤子を不憫に思った。鬼は人を食うが、彼らならではの情理を弁えた生き物だった。

「わしが育ててやろう」

 赤大鬼は赤子を潰さないように慎重に摘み上げて、山奥の里に持ち帰った。

 赤子はすくすくと育ち、「迅勁じんけい」と名付けられた。迅勁は鬼に混ざって育ったため力が強く、体も並の人よりは大きくなった。

 しかし、迅勁が十五になったとき、彼は人里に戻されることになった。理由はいくつかあるが、結局のところ、人と鬼は相容れない存在だったからだ。しかし、迅勁は育ての恩を忘れず、無闇に鬼と争わないことを誓った。別れの時には、迅勁と彼を育てた鬼の一家はみな涙を流した。

 生まれ育った村とは違う村を訪れた迅勁は、鬼とは思われなかったが、恐ろしい男だと思われた。しかし、力が強い迅勁はよく木を伐り、よく畑を耕すことで、村に受け入れられた。とはいえ顔が恐ろしく怪力の持ち主なので、好んで近寄ろうという者はいなかった。


 その村の外れに寺があった。寺の住職は人格者であり、身寄りのない子を拾っては読み書きを教えて育てていた。

 その中に、目の見えない女子がいた。彼女は幼い頃に、事故で両目を傷つけて失明してしまった。貧しい両親は彼女を育てられず、この村に置いて立ち去ったのだった。名をゆいといった。

 目の見えない彼女は読み書きを覚えられなかったが、代わりに歌を覚えた。祭の時には彼女の歌に合わせてみなが踊った。結はまた見た目も美しく育ったが、貧しい田舎の村には目の見えない女を嫁にしたい男はおらず、そのまま尼になるかと思われた。


 迅勁が初めて結に出会ったのは、村に来て七日目の朝である。迅勁は川に水を汲みに行くところだった。そこで、同じく水汲みに来ていた結を見かけた。ひと目見て、迅勁は彼女に心惹かれた。

 結にとって勝手知ったる川辺であったが、先日来の雨で足場が悪くなっていた。いつもより慎重に水を汲む結が盲目であると迅勁が気づいたのは、こちらを向いた彼女が彼に気づく様子がなかったからである。すれ違うところまで近づいたところで、結は誰かがそこにいると気づいた。

「……おはようございます」

 村人の誰かだろうか、と思いながら結は迅勁に挨拶をした。

 挨拶をされた迅勁は、彼女が盲目であると悟った。ひとまず挨拶を返そうと思ったが、しかし、そのとき足元をしゅるしゅると何かが下走る音がした。

「危ないッ!!」

「きゃあっ!!」

 迅勁は素早く結の眼前に移動し、地面を蹴って泥を跳ね上げた。蛇である。草むらを忍び寄り、結に襲いかかろうとしていた蛇は、迅勁の咄嗟の行動に驚き、再び草むらの中へと逃げ去ろうとした。

「こやつめっ!」

 迅勁は手に持った桶で地を打った。それは的確に蛇の頭を捉えていた。ぐったりとした蛇を掴むと、迅勁は腰に差した短刀でさっと頭を切り落とした。これは今日の食事となる。

 ふと振り返ると、結は水桶をひっくり返し、尻餅をついていた。

「大丈夫か」

 迅勁が手を伸ばすと、結はその手を取って立ち上がった。

「あなたは……?」

 そのときにはもう、結は迅勁が初対面の人物だと気づいていた。

「迅勁という。六日前にこの村に来た者だ。今は村長の家に厄介になっている」

「結と申します」

 自己紹介を交わした後、結はすんすんと鼻を鳴らした。

「血の匂いがします。蛇から助けてくださったのですね」

 結は目を見張った後、ばつが悪い顔をした。

「……すまん。突き飛ばしてしまったな。怪我はないか?」

「ええ、大丈夫です」

 迅勁は不思議な感覚を覚えていた。すぐに、その理由に気づいた。結が怯えないからである。きっと、彼女の目が見えないからだろう、と考えた。だから、こう言った。

「実はな、俺の顔はとても恐ろしいのだ。もしお前の目が見えるなら、きっと叫んで逃げてしまうぐらいにはな」

 そう言われて、結はきょとんとした後、にこりと微笑んだ。

「まあ。とても信じられません」

 結の心は安らかだった。初対面の相手にも関わらず、しっかりと守られているように感じていた。また、迅勁の野太い声は、彼女を安心させる声だった。

 一方の迅勁は、結の素朴な笑顔に見惚れたが、幸い彼の赤く染まった顔は誰にも見られずに済んだ。

 その後、二人は連れ立って水汲みに行った。また、迅勁は寺で蛇を捌いて、その場にいた者たちに分け、一部だけ持ち帰った。


 二人は時が過ぎるに従って仲を深めた。

 結にとって迅勁は、強く大きく、支柱のように揺るがず頼りがいのある存在だった。彼は口数は少なかったが、よく動き、目の見えない結をよく気遣った。

 迅勁にとって結は、安らぎと愛しさを与えてくれる存在だった。口下手な彼とは対照的に、よく喋り、よく笑った。「鬼に育てられた」という話を明かしても怯えることなく、迅勁の話を興味深く聞き出した。

 結が村に伝わる歌を歌えば、迅勁も鬼の里で覚えた歌を歌った。

 出会って一年が経つ頃、二人は結婚した。

 更に一年が経つ頃、結は珠のような赤子を生んだ。結のように美しく、迅勁のように元気な赤子だった。赤子は両親に大事に育てられた。

「顔が俺に似なくてよかった」と迅勁は言った。

「私と違って、五体満足でよかった」と結は言った。

 その子は両親に似て、優しい人物に育ったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼の顔をした男と、盲目の女 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ