苦しみ代行屋さん

憂杞

苦しみ代行屋さん

 これは、僕がある不思議な村を訪れた時のお話です。


 そこの村人達は奇妙なことに、どんな怪我や病気をわずらっても苦痛を感じないのです。

 例えば年端もいかぬお子さんが転んでも泣き喚くことはなく、女性が赤ん坊を産む時は痛みなく産めます。余命僅かと告げられた病者さんは苦しむことなく、安らかに永遠の眠りについたといいます。


 僕は村へ足を踏み入れるなり、たいそう大層に驚いたものです。なにせ重い荷物を持って長く歩いてきたのに、その疲れが途端に嘘のように取れてしまったのですから。

 しかし、その奇怪な現象を不思議がる者は、流浪の旅人である僕以外にはいないようでした。

 そのまま立ち竦んでいると、そこへきこりと思わしき村の青年が一人、進んで頭を下げてきてこう言ったのです。


 もしもし、旅人様。

 このような所まで長旅お疲れ様です。

 すぐに近くの宿へ案内いたしましょう。


 何とも折り目正しい青年でした。僕はお言葉に甘え彼の後をついていきます。


 辿り着いた宿もまた、たいそうに持て成しの行き届いた良い所でした。

 玄関も客間も食事処も掃除が丁寧になされており、何かしらの注文をすれば係りの者がただちに駆けつけてくれます。

 感心してお礼を言うと、村じゅうの全ての宿がそうだと誇らしげに返したのです。

 とにかく、良い人達ばかりでした。宿に勤める者だけでなく、他の宿泊者達も皆、です。僕の旅の話を聞かせると非常に喜んでくださり、返礼に村の名物や良いお土産屋さんも沢山教えて頂けました。


 持て成す側も持て成される側も支え合う憩いの場。

 かの村は間違いなく、僕が今まで訪れた中でも最高の場所です。


 ただ、同時に僕は疑問を抱きました。

 どうして苦しみを知らないはずの彼らが、こうも見ず知らずの他人に優しくすることが出来るのかと。




 翌朝。

 お世話になった宿を後にした僕は、村の中を散策することにしました。


 真っ先に目指したのは、見るからに人けの少ない上り坂です。歩いて五分ほどの距離があるその道は、広く見晴らしの良い高台へ繋がっていました。

 通り道の両側にこんもり茂る草木は瑞々しく、ちらほら顔を覗かせるのは愛らしい白や黄の花々。香りも良く美しい自然に囲われた場所なのに、どうして人通りが少ないのかと勿体なく思いました。


 昨晩、宿の皆さんに優しさの秘訣を訊いても、口々に謙遜の言葉を述べられるばかりでした。

 だからこそ僕は、この思い遣りに溢れた村についてより理解を深めたいと思ったのです。頂上よりひらけた視野で村を見渡せば何かが分かると、そう思ったことも高台を目指した理由と言えるでしょう。


 そうして辿り着いた高台の草原。

 そこで、僕は一人の人物に出会いました。淡い黄緑色の衣服にふわり身を包んだ、齢二十ほどの大人しそうな少女です。

 据えられた縁台に腰掛けながら、人々で賑わう村を黙々と見下ろしていました。


 僕は立ち止まったまま様子を伺っていました。彼女のかたわらには一本の大きな木がそびえており、あたかも影でその後ろ姿を隠そうとしているように見えて、何やら近寄りがたい空気を感じ取ったものですから。


 しかし、当の本人はそうでないようでした。

 離れで立ち尽くす僕に気付くと、どうぞ、と少女は言い、縁台の端に身を寄せて場所を空けてくださったのです。

 お心遣いに感謝し隣に座ると、少女は柔らかな微笑みとともに声を掛けてきました。


 何かおかしなことでもありましたか? と。


 不意に核心を突かれて、ひどく動揺してしまいました。勿論、彼女と言葉を交わしたのはこれが初めてです。それなのに彼女の口振りは、まるでこちらの事情を全て知っているかのようでした。

 観念せざるを得ないと感じた僕は、ひとまずとっさに頷いてから言いました。


 実は、私はこう見えて旅の者でして、

 この辺りで休める場所があればと思いまして、

 ですから、ここに来たのは単なる偶然でして。


 ――嘘をついたわけではなかったのですが、我ながら間抜けた物言いをしたものです。問い掛けに答えていないどころか、訊かれてもいないのに浅はかな言い訳をしてしまって。怪しまれるのが当然と言えたでしょう。

 しかし、そんな僕にまた微笑みが返ってきました。

 畏まっているわけでも、あざけっているわけでもなく、純粋な笑みを浮かべて少女は言いました。


 なぜこの村に苦しみが無いか、不思議ですか?

 隠さずとも構いません。


 それは、全てを見通したような、真っ直ぐに的を射た問い掛け。

 それを受けた途端に、すっと胸の内が軽くなった心地がしました。ただでさえ心が苦しみを感じていないのに、彼女と話していると不思議と包み込まれているように安心して、いっそ全てを委ねてしまいたいと考えるほどでした。


 はい、とても不思議に思いますが、

 本当に理由を伺っても良いのですか?


 そんな本音が、つい口を衝きました。

 良いのですかと尋ねてしまったのは、困惑しているであろう僕の顔を覗き込む少女が、どこか寂しげな表情を浮かべているように見えたからです。それに対して少女は、


 旅人さんに隠しても、無意味でしょうから。


 と、諦めたように答えました。

 その様子に少しの忍びなさを感じながら、彼女の話に聞かせてもらいました。



 その内容は、想像を遥かに超える幻想のようなお話でした。


 聞くにその少女は、村にいる全員の苦痛を肩代わり出来るというのです。


 村人達の苦痛が無くなるのは、その全てを彼女一人がが代わりに受けているからなのだと。


 その事実に狼狽する僕に、彼女はああ、ですが心配なさらないでください、つらいと思うことは一度もなかったですからと、柔らかく微笑んだまま言いました。


 疑いの言葉を掛けてもただ屈託のない笑みはがりを浮かべて、決して困った様子は見せませんでした。

 隠していたのでも耐え忍んだのでもなく、心根からつらくないと言っているのだと、どうしてか僕は確信していたのです。



 一連の話を伺った僕に、返せる言葉はありませんでした。ただ、長話にお付き合いくださりありがとうという言葉に謙遜し、やり切れなさからその場を後にするだけでした。


 語り終えた後も少女は儚げに笑むばかりで、無礼を責めたりはしません。ただし、このことは村の皆さんには言わないでくださいと、最後に釘を刺すことは忘れませんでした。



 その夜。

 僕は先に言った宿にもう一度泊めてもらうことにしました。結局、朝に会った少女のことが気に掛かってしまい、何となしに気が晴れるまでは旅立たないことにしたからです。


 懊悩する僕の頭には、一つの疑問がありました。

 果たして村人達は、彼女の行いを一生知らないままなのかと。


 そこへ宿の女将さんが、今日は何をして過ごしたんだい? と朗らかに尋ねてきました。

 実のところあまり気分が晴れなかったので、村ではお昼と晩の食事処を巡るくらいでした。

 本当のことを言うべきか迷いました。しかし一心に事情を話してくれた少女との約束を容易には破れず、女の人と会いましたとだけ伝えて、それ以上は言いませんでした。


 そうしたはずでした。


 そうすると女将さんは目を瞠って、僕の両手をいきなり掴んできたのです。


 突然のことに驚いていると、女将さんは必死そうに僕の目を見て尋ねてきました。


 その子は、その子はどこにいたのですか。と。


 僕はその場所をつい打ち明けてしまいました。




 その、翌朝。

 僕は頼まれた分のお土産袋を両腕に提げて、かの高台へ向かいました。


 大きく聳える木の傍らで、かの少女はまた縁台に腰掛けていました。

 おはようございます、と挨拶する僕に彼女も、おはようございます、と掠れた声で返しました。


 振り返る彼女の頰には、涙の痕がありました。


 こちら、僕が泊まった宿の女将さんからです。と言って、僕はお土産袋を手渡します。すると、ああ、と少女は感嘆の声を上げました。


 どうやら彼女は他人の苦しみを代わるだけでなく、無意識に自分の苦しみを他人に伝えていたようなのです。

 少女一人の優しさだけではなく、村人達の優しさを交えた等価交換。だから自分の苦しみは気に掛けることがなかったのです。


 これ、近くのお土産屋さんのものですよね。

 と少女は言いました。


 はい、と僕は答えます。


 何を贈ろうか悩んでおいででしたね、と少女。


 はい、と僕。


 先ほどは村長さんからも頂きまして、と少女。


 そうですか、と僕。


 他の皆さんも贈りたいと悩んでいるようで。


 そうですね。


 贈るには遠方すぎて、心苦しいようで。


 はい。


 本当にお悩みのようで。


 はい。


 本当に、本当に。


 はい。


 本当に私、嬉しくて、嬉しくて。

 ………………



 この日、彼女とお話が出来て、本当に良かったと思います。


 苦しみを代行するという不思議な力が、いつから働いていたかは分かりません。少女は口を噤んでおりますが、しかし相当に前からの事だろうと見当はつきます。

 きっと、少女はずっと前から優しくて、知らずのうちに気持ちを他者へ伝えていて。

 彼女を中心に村じゅうで思い遣る心が芽吹いて、育っていったのだと僕は思うのです。




 ――以上が、僕が訪れた不思議な村のお話です。


 この村は今いる街から西へ歩いて三十分の距離にある、のどかな所です。紹介に預かった食べ物や工芸品はどれも絶品でした。

 最後まで聞いてくださった街の皆さんも、気が向いた時にでも足を運んでみてはどうでしょうか。僕もあれから数ヶ月ほど訪れていないので、いよいよ恋しくなってきているところです。


 あそこの村人達はみんな、良い人達ですから。宿の皆さんもかの少女も一緒になって、どなたのことでも歓迎してくださることでしょう。



  【了】

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