第18話 時は流れる

 きわちゃんと離れて、涼子は涼子、きわちゃんはきわちゃんで各々過ごすようになり、そこそこの時間がたった。四季が三周し、あんなに散々頑張って入った大学ももう卒業のシーズンを迎えるところだ。涼子は感慨深く、これまでの日々を思い返す。


——そういえば、この杉並木の小路も、最初はきわちゃんと通ったんだっけ。そのあとは怜衣と一緒に、作品の創作について話しながら。暑い日には木陰を珍重して、寒い日には葉の落ちきった木々に余計寒さを覚えて通った。そうそう、木をよじ登るカエルとかいうよくわからないオブジェができたこともあったっけ。


涼子の大学生活は充実していた。しすぎていた、といっても過言ではない。日本画をひたすら描いて、コンクールに出れば何らかの賞をもらうこともできた。気のおけない友人も数人できた。そして、こうして無事に卒業を迎える……。


これが、自分の実力なのか、きわちゃんの影響なのかと問われれば、残念ながら全て自分自身の力だなどとは胸をはって言うことはできない。もしかしたら、きわちゃんありきだったのかもしれないと、涼子自身が疑っているのだ。


——そう思うと、少し複雑な心境になる。


「涼子、なに考えてるの? 」

「ううん、何でもないよ。」

「何でもないって顔じゃないよ。」


そう、きわちゃんが心配してくれている。本人に言うべきか——いや、言うべきではないな、これは。この座敷童は涼子にめっぽう甘く、めっぽう弱い。そんなことないよ、と言ってくれるのが目に見えている。


きわちゃんもこの三年で・・・・・・いや、会った時から考えれば、もう五年の付き合いになるのか。この五年で、随分成長した。喋るのももう舌っ足らずになることも少なく、普通に話せるようになった。

姿形も——いや、これは、育ちすぎた。涼子とかわらない、大学生くらいの背丈には成長している。それが今、隣にふよふよと浮いているのだ。座敷童としての力も増したようで、家全体の雰囲気や運の巡りが良くなったように思う。


もう、あのか弱いきわちゃんじゃない。寂しくもあり嬉しくもあり……。心根だけはすっかり母親気分になってしまった。


そんな涼子を、今じっときわちゃんが見つめている。


「・・・・・・そんなに聞きたいの? 今考えてること。」

「うん。」

「きわちゃんが立派に成長したなぁーって、五年前と比べてたの。」

「・・・・・・絶対それ、違うでしょ。」

「えぇー。違くないよ。これのこと考えてたんだよ。」

「んーん、涼子深刻な顔してた。もっと大事なこと考えてた、絶対。」


・・・・・・参った。我が家の座敷童には全てお見通しらしい。涼子がきわちゃんのプロフェッショナルならばきわちゃんもまた涼子のプロフェッショナルなのだ。初めから、隠し事などできようはずもなかった。


「・・・・・・聞いて、後悔しない? 」

「するわけない。不安なことがあるなら聞いておきたい。」

「・・・・・・そっか。あのね、私さ、ちゃんと自分の実力でここまで来れたのかなって。」

「涼子、自分の実力を疑ってるの? 」 

「そうなのかな・・・・・・。なんか、もうよくわからないや。」


すると隣にいたきわちゃんが正面に回り込んで、目を合わせて言う。


「言っとくけど、涼子。僕は家の関係が良好になるように、涼子に力が片寄らないようにすっごい気をつけてたから。だから、僕の力で卒業できたのかなとか馬鹿なこと考えてたら……僕、怒るからね。」


ぷんぷんと可愛く怒っている。・・・・・・やっぱり、ずいぶんと成長したものだ。


「・・・・・・そうだよね、約束、したもんね。でも、ごめん。正直疑ってた。・・・・・・そっか、私、実力で卒業できたんだね。」

「そうだよ。約束忘れるなんて涼子、酷い。」

「ごめん、ごめんって! 」


二人ではしゃぎながら、まだ人のいない小路を歩く。人が来るまで、もう少し。あとほんの少しの時間だけは。


                 ○


「・・・・・・そんなこともあったねぇ。」


おしゃべりをしながら、今もなお隣にいてくれるきわちゃんに微笑みかける。もう涼子は既に高齢、齢八十三歳。張りきって仕事をしていたのが途中で病気をして、それからめっきり体が弱くなってしまった。おかげで、八十三歳にして既に病床に臥している。


きわちゃんは相変わらずだ。青年の姿のまま、いまだに涼子、涼子と言ってついて来る。昔は自分がきわちゃんの母親になったような心持ちだったが、今では祖母と孫ほども見た目が離れてしまった。自分たち自身は、未だに相棒のようなものと思っているのだが。


「涼子、もうそろそろ横にならないと体に障るよ。休んでくれたら、かわりに良いもの持ってきてあげる。」

「良いもの? そういわれると弱いわね。わかった、休むわ。」


ぱたぱたと部屋を出ていくきわちゃんを目で追いかけながら、横になった。体力すら衰えてきて、嫌になる。もしも、昔きわちゃんと歩いたような元気な体に戻れたら。——非現実的な願いだ、自分でも笑ってしまう。するとそこへ、


「涼子、お待たせ。ほら、これ見て! 」

「なに? ・・・・・・あらま。」


きわちゃんの手には、無くしたと思っていた社会人駆け出しの頃のアルバム。昔懐かしき両親や、名残惜しき理香や怜衣の写った写真。一気にあの少女だった時代に引き戻されたような感覚に陥る。


「ほら、懐かしいでしょ? この前隣の物置で見付けたんだよ。」

「そうだったの。・・・・・・ありがとう、懐かしい。……懐かしいわ。」


両親は言うまでもなく、怜衣すらも涼子を一人残してこの世を去ってしまった。努力を惜しまず、世界中を飛び回っていた。元気だったのに。突然、逝ってしまったのだった。

と、ふとアルバムの最後に綺麗に色づいた紅葉が一枚挟んであるのに気がつく。その葉は未だみずみずしく、ついさっき拾ってきたもののようだった。

思わずきわちゃんを見ると、悪戯が成功したようににんまり笑っている。


「さっき庭で拾ってきたんだよ。綺麗でしょ。・・・・・・涼子に見せたかったんだ。」

「ありがとう、きわちゃん。優しいね、大好きよ。」


ぎゅう、と一度、抱きしめた。


                 ○


それから一年後の春。佐伯佳祐は古びた木造の平屋の前に佇んでいた。東京の大学へ進学するので下宿先を探していた折、この家を遠い親戚が教えてくれたのである。その家の持ち主は、佐伯涼子。その遠い親戚の姪にあたる人物だった。

繊細な日本画で身を立て、生涯結婚することなく去年の暮れにこの世を去った。手入れをする人がいなくなって久しいから、そこを使ってほしいと言われたのだ。


カラカラと引き戸を開ける。葬式をしてから数ヶ月間、ほぼ掃除もしていないはずだ。なのに、この家には今も人が住んでいるような温かみがあった。それにほっと息を吐き、佳祐は足を踏み入れる——。


                ○


その様子を遠くから見ている人影が一つ。


「へー、あの子が涼子の遠い親戚の子かぁ……。」


じゃあ幸せにしてあげなきゃね、ときわはぽつりと言った。

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クローゼットの男の子 東屋猫人(元:附木) @huki442

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