ラッキー・スターは私の天敵

佐倉奈津(蜜柑桜)

それは本当にラッキー・スター?

 私の旦那の空人は、感覚が地球人ではない。


「あ、そっか、今年は閏年だから二月が二十九日まであるのか」


 カレンダーを見ながら、空人が間の抜けた声をあげた。月ごとに変わるカレンダーの写真は、オリオン座を中央に据えた南の空。


「ずっと東京五輪て騒いでいるじゃない。何を今さら」

「星歌だって五輪に興味はあまりないじゃないか。いやね、そうじゃなくてさ、閏日一日だけで収まるレベルのものじゃないのになぁって思ってさ」


 そう言って空人はカレンダーをめくり、早々に三月のものにする。

 空人の言いたいことは分かる。地球が太陽の周りを巡る時間のずれの話だ。地球の公転を基準に一年は三百六十五日とされているが、実際に公転にかかる時間は三百六十五日と小数点以下二四二二……日。はみ出た分を調整するために四年に一度だけ閏日を入れて誤差を少なくするが、四年間ではみ出る分は約〇・九六八八日なので一日足しては多すぎる。


「まあ、確かに閏日を入れてもズレたままなのは、そうね」

「四年どころか何百年単位を使う話じゃないか。そうしたってずれたままだけど。ほんと面白い」


 空人はめくったカレンダーを星形の画鋲で止め直すと、食卓に戻って椅子を引いた。

 閏年といえば四の倍数年だから百の倍数年は全て閏日を持つというのが地球の公転を基準にした法則だが、四年に一度の閏日を何度も繰り返して足しすぎた分を出来るだけ修正するため、千三百年とか千五百年とか、四百の倍数にならない年には閏日を作らない。そうしてどうにか足しすぎてきた分を帳消しにしようという工夫であるものの、それでも完全に公転と暦の一年がぴたりと一致するわけではない。


 プラネタリウム解説員をしている私も相当な星好きと自負しているけれど、天文台の研究員である私の旦那の空人は、悔しいが私を超える天体バカだ。いちいち話が宇宙へ飛んでいってしまう。閏日、閏年と聞いて彼が思いつくのは、二月二十九日の誕生日は四年に一度しか来ないとか、オリンピックの年だとかそういうものでは無いのだ。


「閏日の話はもうそういうものとしてわかっているからいいけれど。それより聞いたでしょ。この間のオリオン座のニュース。ベテルギウスがどんどん暗くなってるって」


 空人が広げた若草色のランチョンマットの上にサラダボールを置きながら、自分の作った菜の花サラダのオレンジトマトを見て、私は今日の業務連絡を思い出した。ニュースで見た宇宙の写真に、こんなオレンジに燃えている星があった気がする。


「超新星爆発も予測より早く起こるかな。これはどうなるか興味深いよね」

「ちょうどまだまだオリオン座が綺麗に見える時期じゃない? だからこのニュースもプラネタリウム冬空解説に挟もうか、って話が出てるんだけど」

「ああ、タイムリーでいいかも。欧米からの観測データ、集めて星歌のパソコンに送るよ。でもオリオンがあの形を崩すのは嫌だなぁ」


 箸や皿をそれぞれの席の前に並べながら、空人はさも残念そうに言う。その口調が真剣すぎる割に内容があまりに非現実的なので、私はつい苦笑してしまった。


「爆発して消滅したって、七百光年離れてるのよ? 消えてから見えなくなるまで七百光年かかるんだから、その間にとっくに私たちなんて死んでるわよ」

「その前に地球がなくなってるかもね」

「有り得る」


 何万年、何光年、地上にいる私たちは毎日、その途方もない時間を超えたものを見ているのだから奇妙だ。四年どころか、十年、百年さえちっぽけに思える。


「天体だと何年に一度のイベントなんてわんさかあるもんね。二〇〇九年はスペース・ドームプラネタリウムも沸いたわ」

「土星の輪?」

「そうそう、土星ってやっぱり輪っかがあるから土星、ってイメージじゃない? それが無いから、子供達大騒ぎで可愛かったぁ」


 砂肝の葱塩焼きにレモンをかけて、私は白ワインのコルクを抜いた。こちらに向けられた空人のグラスに注いでやる。

 土星は自転と公転の軸の関係に傾きができているため、十五年に一度の周期でそのシンボルともいえる丸い輪が地球からだと見えなくなってしまう。それがこの間は二〇〇九年だった。せっかくの機会だからと、プラネタリウムの映像には特別プログラムが組み込まれ、展示も増えたのだ。太陽系の中でも見た目から人を惹きつける土星の輪の消失現象は、私を含め入館者の誰しもが興味を持ったのである。まだ客として訪れていた私も大興奮したものだ。


「今度は二〇二四年でしょ。その年に他にもいい天体イベントぶつからないかな。楽しみ」


 次は自分がそのイベントを担当できるかもしれないと思うと、今から企画に想像が膨らむ。ついつい頬が緩む私を見て、空人はこちらにもワインを注いでくれながら呆れ顔で言った。


「そんなに興奮するかな、前のイベントから十五年すれば見えるじゃない。やっぱり僕としては五輪よりも土星の輪よりもホームズ彗星の方が気になる」

「そんなついこの間あったばっかりじゃない。次にいつアウトバースト起こるかわかんないわよ」


 ホームズ彗星の大増光は確か、二〇〇七年だった。望遠鏡も何もなしで肉眼でその輝きが見られたのだ。私が勤めるプラネタリウムと空人の天文台が属する複合施設、スター・プラネットが定期刊行しているニュースを読んでいたから、私も一番よく見えるという時間を狙って丘の上に登ったのを覚えている。しかしそれは、何年とかのレベルでなかなか見えるものではない。


「それだって百十五年ぶりでしょ。生きているうちにもう一回なんて」

「見られたらすごいよねぇ! いやぁあの時見られたのは運が良かった!」


 目を輝かせる様は少年のようだが楽しみにするものがおかしい気がする。私は約二年に一回の火星の大接近とか金環日食とかで十分心踊るんだけどな。

 そう思いつつ、箸を伸ばすと、空人のスマートフォンの着信音が鳴る。ホルストの《惑星》の一曲、「天王星」だ。メールが来たらしい。タップしてスマートフォンを持ち上げた空人は、スクロールする手を止めると画面を見たまま私に聞いてくる。


「ねえ星歌、夏なんだけど、数日天文台に泊まり込みしていい?」

「天文台? なんかあるの?」


 嫌な予感がする。


「七月下旬にね」

「え」


 私の予感は的中した。的中して欲しくなかった。しかし低くなった私の声のトーンにも、無意識に上がった私の眉にも気がつかず、空人は嬉々として続ける。


「今年は太陽系五つ、明け方の空に勢揃いするんだよ。だから数日間その動きを観測しないかって先輩が誘ってくれた! スコープ、新しいの購入決定したってさ、すごい!」

「ちょっと、七月下旬は私の誕生日だから、今年はここ数年分のお祝いって休みとって旅行行こうって言ってたじゃないのー!!!」

「えぇっ別の日程じゃダメ? だって次いつ見られるかわかんないじゃん! すごいラッキーなのに!」


 さも当然のような顔をする空人のお皿に、鷹の爪だけよそってやりたい。数年間天文台のイベントで私の誕生日にいなかったくせに。


「そんな数年数十年のレベルの話より一年に一回しかない日の方が私には大事なのー!! 空人の誕生日だって去年お祝いできなかったじゃないのー!」

「星歌だってさっき土星の輪が楽しみって言ってたじゃないか」

「それとこれとは話がちがーう!」


 空人旦那の感覚はどこかおかしい。自分のどこかを宇宙に置いてきてしまった宇宙人に違いない。


 私は地球人なので、身の丈に合った「一度」を大事にしたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラッキー・スターは私の天敵 佐倉奈津(蜜柑桜) @Mican-Sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ