呪われた一日と、勇者と魔族

鞘月 帆蝶

呪われた一日と、勇者と魔族



 ――人は誰しも、神に祝福されて生まれてくる。



 毎年、誕生日には過去一年間の行いと経験をもとに神から加護が与えられ、あらゆる能力値にその恩恵を受けることとなる。


 これはこの世界の理で、常識で、今どき五歳児だって当たり前に知っている、そんな一般的な概念だ。


 ただ、この例に含まれないイレギュラーも一定数存在する。


 一定数というにはあまりにも少なくて、俺は今までの人生でそんな人間に出会ったことはないけれど、それでも、その一定数というのは確実に存在するんだと身をもって知っていた。



 神からの加護。



 それは一年間の過ごし方次第で自分の能力を一気に上昇させてくれる、まさに神様らしいシステムだ。その中には能力値だけではなくありとあらゆるものが含まれていて、歳をひとつとるという概念もまた、そのうちの一つだった。



 話を戻そう。



 人々は皆、これを神の加護や祝福だと声高に言っているが、俺はそうは思わない。


 これは、神の呪いなのだと、心底恨んでいる。



 二月二十九日。



 四年に一度だけやってくる、忌々しい俺の誕生日だ。


 親なら誰もが、その日の出産は何がなんでも避けようとする――呪われた一日。


 その日に生まれた赤子は四年に一度しか歳をとらず、大切なものとは別の時間の流れの中で生き、周りの人々はみな自分より先に逝き、やがて孤独に包まれて不幸に死んでいく。そう語られる、一日。


 唯一、いや二つだけ恩恵があるとするのなら、人の四倍長生きができることと、これまた四倍能力値が上がるということくらいだろう。上昇速度は他の人と変わらないが。



『まったく、兄貴はもっと強くならないと。これから先、自分を守るのは自分しかいないんだよ?』



 はるか昔にそんなことを言い放った妹は、ついこないだ死んでしまった。

 彼女が物心ついたときにはもう、俺よりも年上になっていた。俺はまだ二十歳だというのに、彼女はいつも笑顔を向けてくれて、だんだんと歳が離れていって、そして、もうずっと会わないうちに死んでしまった。


 共に学校に通った何百人もの旧友たちも、みな歳をとり、逝ってしまった者は数えきれない。


 それでも、俺は今もまだ若いままで、同年代の者より軽く四倍は強く、そのせいもあって旅をしている。


 魔王討伐に向けてパーティーが結成されたのは、もう十五年は前だっただろうか。

勇者なんていう虚像に担ぎ上げられて旅を始めてから、周りの人間にとってはあまりにも長い時間が過ぎてしまった。


 王国騎士団の若手最有望株と言われていた戦士アランはすっかりかっこいいおっさんになってしまったし、まだ若々しかった魔法使いのサラももうアラサー。当初まだ幼かった聖職者のルミはかろうじて俺と同じくらいの若さだが、狙撃兵のリク爺と賢者のマユ婆なんて、もうよぼよぼだ。



「遂に、明日だな」



 魔王城のすぐ近くで野営を張りながら、アランが言う。その瞳はどこか遠くを見ているようで、これまでの旅路を回顧しているようにも思えた。


 サラが、ルミが、リク爺とマユ婆が、アランの言葉に無言で小さく頷く。



「長かった、よな」



 俺の返答にも、皆は一度だけ首を縦に動かす。


 遂に、明日だ。長かった旅も明日で終わり、俺たちはようやく解放される。


 魔王が、人間に何かをしたわけじゃない。ただ、俺たち人間と魔族には決定的な違いがあって、二つの種族が交友関係を築くことはないと、昔から言い伝えられていた。


 闇夜に浮かぶ星を眺めて、一度、大きく息を吐く。



「みんな、今までありがとな」



 俺の方こそな。


 なにがらでもないこと言ってるのよ。


 私の方こそ。


 死ぬ前に良い思い出になったわい。なぁ、婆さん。


 えぇ、そうね。



 良い仲間に恵まれた。本当に、最高の仲間だ。


 きっとこれから先、人より長く生きたって、これ以上の仲間には出会えないんだろう。


 でも俺は、みんなとは違う時の流れに生きている。


 どう足掻いてもみんなの方が先に死に、きっと百年後にも俺は平然と暮らしている。



 だからこそ――。



 残されたあとほんの少しの時間を大切にしたいと思った。



     ※



【『魔族』と言っても、外見は人となんら変わらない。】



 昔読んだ本に書いてあったことで、真偽のほどは定かではないが、その著者の言葉をそのまま借りると、彼らと俺たち、人間の決定的な違いはその能力値にあった。


 人間のそれをはるかに凌駕する身体能力と魔力。確かではないが、噂では何百年も生きるとまで言われていた。


 人間は能力で劣る分、文明をより発達させた。千年以上にも及ぶ均衡した対立の末、魔族を滅ぼすための打開案として提案されたのが、俺を含むこのパーティーの結成だった。


 聞いた話によるとこれまでにも何十年かに一度、同じように勇者を作り上げて、魔王討伐へ向かわせていたが、誰一人として帰還したものはいなかったという。



「――よく来たな、こんな所まで」



 特に威厳があるわけでもない声で、目の前に立つ少女は言った。



「……あんたが、魔王か?」

「そうだよ」



 魔族の城の最奥には似合わないくらい美しい金の長髪をなびかせて、透き通った碧い瞳の彼女は答える。



「魔王城っていうから、ここに来るまでもっと苦労すると思ってたんだけど」

「私たちに戦う意志は、最初からないから」



 ふざけるな、とアランが声を荒げた。

 お前たちの――魔獣のせいで、これまで何人の人間が殺されたと思っているのかと。



「魔獣というのは、私たちの魔力にあてられて自然発生しているに過ぎない。私たちの思い通りに動くわけでもなければ、私たちに襲い掛かってくることだってある」

「でも……」



 本当に戦う意志がないらしい魔王に、サラも納得がいかないようだった。


 それもそうだろう。今までずっと、『魔族は悪だ。敵だ。魔族のせいで魔獣は人を襲うのだ』と教えられてきたんだ。仕方のないことだと思う。


 大きく、深呼吸をする。


今までずっと、思っていたことがある。そして今日、それは魔獣ではない魔族と初めて出会って、確信に変わった。



「なぁ」

「どうした? 勇者」

「お前、人間だろ」



 一瞬だけ少女の目が大きく見開いたのを、俺は見逃さない。



 彼女は――魔王は人間だ。そうでないなら俺は――。



「おいおい、さすがにそりゃねえだろ」

「そうよ。それならなんでこんなとこで魔王なんてやっているのよ」

「追い出さ……れた?」



 否定するアランとサラが、ルミの言葉で黙り込んだ。


 ありえない話じゃない。事実、今でも田舎の村ではこんな風習が残っているという。



 呪われた一日。二月二十九日に生まれた赤子は、魔族領へと捨てに行く。



 科学の進歩で、今ではほとんどなくなったが、それでも俺のように、その日に生まれてくるものは存在するはずだ。


 それなのになぜ、俺は一度も同類に会ったことがないのか。そしてどうして、俺は捨てられずに王都で育てられてきたのか。



「――そうと言えば、そうなのかもしれない」



 魔王は真っ直ぐに俺を見つめて、口を開く。



「私たち、魔族の起源は数千年前だと言われている。強大な力を持った私たちの祖先は忌み嫌われ、迫害を受けてこの地へと逃れた。あえて言うのであれば、私たちの祖先は確かに人間だ」



 大方、思っていた通りの答えだった。


 アランたちは口を開けたまま、阿保面を晒している。



「お前たちに戦う意志がないというのは、どういうことだ?」

「言葉の通りだよ。どうせ戦ったって私たちが勝つんだ。そんな無駄な争いよりも、私たちはここで静かに暮らしていたい」

「以前来たという勇者たちは、誰ひとり帰ってこなかったと聞いた。彼らはどうしたんだ」

「ついて来れば分かるよ」



 魔王は俺たちに背を向けて、ゆっくりと歩き出した。


 玉座の裏にある隠し扉を通り、暗い通路を抜けると――。



「――ここが、本当の魔王城だよ」



 そこには、賑やかな街が広がっていた。


 王都となにひとつ変わらないほど活気があって、大勢の人間が通りを歩いている。



「彼らに、戦う意志があると思うかい?」

「それは……思わないが、質問の答えにはなっていないぞ」



 少女は言葉ではなく、目線でそれに応えた。


 彼女の視線の先に目をやると、アランと同じくらいの年齢だろうか、立派な鎧を身に纏った男がこちらに駆け寄ってくる。


 そして警戒して剣を構えたアランをよそに、男は右手を差し出してきた。



「君たちが、新しい勇者一行かい?」



 爽やかな口調で、王都の紋章を胸に煌めかせた彼を見て、俺だけでなく全員が魔王の言葉の意味を理解した。



「元、勇者様ですか」

「あぁ、その通りだよ。現勇者様」



 俺たち一人ひとりと握手を交わして、彼は説明を始める。



 先ほど聞いた魔族の生い立ちについて、今の魔族はさらに力が濃縮されて俺たちよりもはるかに強くなっているということ。


 ここでは魔族領に捨てられた呪われた赤子たちを引き取り、育てているということ。


 我らが王は数十年に一度、あえて呪われた赤子を誕生させ、勇者として育てることで魔族を根絶やしにしようとしていること。


 彼の仲間たちは皆、ここで生きていくことを選んだこと。



 本当に多くの、多すぎることをいっぺんに聞かされた。その間、魔王は――彼女は黙って近くに座っていた。



「――で、どうする? 君たちは」



 一通りの話が終わり、立ち上がった魔王が訊いてくる。


 俺は……できるのであれば、ここで生活してみたい。同じ時間の流れの中でいろんな人と共に生きてみたい。



 だが――。



「――いいんじゃねぇか?」

「うん。いいと思うよ」

「むしろあんな話を聞かされて、王都に戻りたくない」

「わしらはどっちにしろ先が短いからのぉ。どこにいようが変わらんよ。なぁ、婆さん」

「その通りよ。あんたのしたいようにしんさい」



 本当に俺は、仲間にだけは恵まれたみたいだ。



「本当に、いいのか?」



 皆が黙って頷く。



「世話になっても、いいか?」

「もちろん。最初からそのつもりだよ」



 きっとここで生活していても、みんなは俺よりも先に逝ってしまう。


 それでも、俺は生まれて初めて、未来に少し希望が持てた。




 ――その日、俺は魔族になった。



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呪われた一日と、勇者と魔族 鞘月 帆蝶 @chata_fuji

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