2年生編8月

◆美術部の強化合宿?


 冷房が効いているからか、寒気がした。根拠のない勘こそ当たることが多い。

 海の知らないうちに人間界は技術を進化させており、マンションの高いところから、地上にいる訪ねてきた人物を確認できるのだ。普段訪ねてくる人間などここにはいないので、海がインターフォンを利用したのは今回が初めてである。

 まさか画面の先に、クラスメイトの侑希がいて、とりあえず上げてみたら余計なおまけがついてくるなど考えもしなかった。

「うみちゃんの家来るの久々だね~」

 侑希は初めての公園デビューのようにしっぽを振っている。期待されても、この家には必要最低限のものしか置かれていない。

「あら、二人共よく一緒にいるからもっと遊んでいると思えば違うのね」

「遊ぶ時は外が多いんですよ。ね、うみちゃん」

 未だに理解しきれていないが、簡単に説明すると、海と涼子の仮住まいに侑希と藍子が訪ねてきているわけだ。涼子は生徒会の仕事があるため留守。暦は八月の頭。外はすごく暑い。

 ……なぜ二人がいるのかは分からない。侑希曰く「先生の手伝い」

 もちろん海は事前になにも知らされておらず、先程二人が上がってくるまでに慌ててアルコールの類を隠した。……ほとんどが涼子のものであるが。

「助かったわ。本当原稿がやばくて。吉川さんがいないのは計算外だったけど、まぁ、なんとか間に合うでしょう!」

「何言ってんの?」

 侑希がいる限り生徒と先生の関係だが、敬語を出す余裕が心になかった。

「何でうち? え、この前みたいに自分の家でよくない?」

「私の家でやるって言ったら来てくれないでしょう?」

「…………」

「ついでに吉川さんにも加勢してもらおうと思っていたのだけれど……そのうち帰ってくるわよね?」

「待って。私なにも聞いてない。了承してない」

「吉川さんからもらっているわ。宮本さん経由で。それにしてもずいぶんと立派なところに住んでいるじゃない」

 不法侵入に近いご身分なことを分かっていてなのか、単に性格が腐っているだけなのか、藍子は嫌味まで付加してくる。

「美術部の合宿ということで、そこをなんとか」

 可愛い感じを目指したのかもしれないが、海の心は揺れない。

「私、美術部じゃないんで」

「ほら、宮本さんが部活にかかりっきりだと、文化祭の準備も大変でしょう」

「先生、これわたしの作品と関係ないんですけど」

 がさがさと荷物を整理し始めていた侑希が、手を止め、笑顔で言う。

「何で侑希ちゃんもまた引き受けちゃったの。この忙しい時期に!」

 ほぼ毎日文化祭の準備で学校へ顔を出している。今回は日本の風習らしく、長めの休暇になっている。

「うみちゃんの家でわいわいするのは楽しそうだなって。今日ね、お泊りセットも持ってきてるんだよ。見て見て、パジャマ。パジャマパーティーしようよ」

 侑希としては藍子は単なる口実で、このパジャマが本命みたいだった。涼子もそれを承知してのことかもしれない。それにしたって、海には何一つ言わないというのはおかしくないだろうか。

「校則的に泊まりは駄目なんだけれど、」

「先生、原稿手伝わなくていいんですか?」

「はいはい。合宿ね。合宿」

 自称教師がパソコンやタブレットを勝手に広げ始めたところで、そっと侑希が海の横に寄ってきた。いくら冷房が効いている室内と言えども、吐息がかかるほどの距離だと暑い。熱い。

「ごめんね。涼子ちゃんから話いってると思ってて……。うみちゃんが嫌なら、ちゃんとアレ連れて帰るから」

 ついに侑希からも「アレ」扱いされている。魔女だからという問題以前に、根本的に教師という職業に向いていない。

「まぁ……侑希ちゃんがいないと文化祭進まないし……」

――近い。

「ありがとう! そうだ、お土産にアイス買ってきてたの。冷凍庫借りていい?」

 侑希が海から離れ、スーパーの袋を手に持った。

「あ、冷凍庫も冷蔵庫も中身がほとんどないよ! ご飯作ってないの!?」

「侑希ちゃん、冷静に考えて。下手に食材を冷蔵庫に残してみなよ。あいつの気分でなんか作り始めたらそれこそゴミと毒が生成される」

 本日の夕食は、生徒会帰りの涼子に出来上がったものを買ってきてもらうことにした。メッセージを送るとスタンプだけが返ってくる。なんだか腹が立つ。

 さすがに侑希にワインを出すわけにもいかないので、割り材として買っておいたジュースの中で希望を聞く。

「私は白ワインかな」

とふざけたことを言う教師には、水道水で十分だ。グラスだけワイングラスにした気遣いに感謝していただきたい。

「それで。私が手伝えることなんてないんじゃないですか、顧問」

 侑希はタブレットを渡され、何かを書き込むように指示されている。前回も戦力外だった海にできることなどないように思える。

「日本語ができれば簡単な仕事を頼みたいの」

「はぁ……」

 馬鹿にされている気がしなくもない。

「ここにセリフの下書きがあるから、場所をあわせて入力してちょうだい。操作はね――」

 現代の人間に興味を抱くことが最近までなかったため、電子機器の操作方法は疎い。感覚的に操作ができると言われても分からない。スマートフォンも連絡を取る、調べものをする、写真を撮るくらいであれば問題ないが、普段使わないアプリを使えと言われたらできない。

 待ち受けもロック画面も初期状態。魔女である彼女には本来必要がない。……人間と連絡を取る場合を除いて。

 だからこそ、写植という作業は絶対に今後活用する場がない。覚えたくもない。

「このくらいも出来ないんですか?」

 おそらく海のやる気のなさをくみ取っての挑発であろうが、藍子に言われると腹立だしい。

「ローマ字は分かりますでしょう? カーソルあわせて打てばいいだけです。ここが変換、確定はここ。マウスは、左のボタンだけ押せれば大丈夫です」

 海が雑務をこなさなかった場合、侑希に矛先が向かうかもしれないと判断し、挑発という言い訳に身を預けることにする。

 授業でパソコンに触ったことはあるが、あれは教科書の通りに進めるだけで、仕組みは理解していない。基本的にコンピューターの類は涼子がやってくれている。

「うみちゃん、どう? 大丈夫そう?」

 相当嫌そうな表情で藍子に対応していたため、藍子が離れた瞬間に侑希がやってきて海の横に座った。

「パソコンとか使わないって言ってたもんね」

 情報の授業でも、侑希にはかなりお世話になっている。初めはキーボードの概念が分からず、画面を触っても反応しない学校の電子機器に苦戦した。

「これはタブレットだから、このキーボードでも打てるし、スマホみたいに画面上に出して操作もできるよ。どっちの方がいい?」

「どっちがやりやすいの?」

「うーん、人それぞれだと思うよ。でも、画面全体が見えた方がいいから、わたしならキーボードをカタカタした方がやりやすいかなぁ」

「じゃあそれで」

「そうしたらこのままだね。わたしこのまま隣で作業してるから、分からなかったらすぐ聞いて」

 隣に座ると言っても、座る位置がいささか近い。伸びをすれば軽々と彼女に届いてしまいそうだ。

「先生、いったい何冊作るつもりなんですか?」

「今回は三冊ね」

 侑希は視線を画面に落としたまま、呆れた口調で藍子に問う。

「わたしを戦力として数えて作ってないですよね……?」

「……えぇ、もちろん。さすがに生徒を私用でこき使っているのがバレたら大変だから」

 涼しい顔をしてよく言う。一瞬、藍子のペンの動きが止まったのを海は見逃さなかった。他の教員や保護者達にバレようと、藍子は魔法を行使してなかったことにする。侑希の心配はもちろん、自身の立場の心配もしてなどいない。

「今度こっそり美味しいもの食べさせてあげるから。ね?」

 人間界の規律など知ったことではないが、海でもアウトなことをしているのは分かる。

「もちろん若宮さんにも奢るわよ。何が食べたい?」

 今さら食に対して貪欲になれないことを分かっていて聞いているのだとすれば、彼女の内臓だと言ってやりたい。

「うみちゃんは、遊びに行ってもコレ食べたい!とかあんまり希望言わないよねー」

「侑希ちゃんは甘いものばかりじゃんか」

「……そういえば、今年はやけにパン食べてるよね? ……毎日のようにパンじゃない?」

 お昼は侑希と机を囲んでいつも食べている。彼女はいつも手作り弁当で、海はコンビニで買った既製品だ。偏ったものを食べ続ければ必ず侑希に指摘されると思い、なるべく別のものを買うようにしていたつもりだが偏っていたようだ。

「きっとこれでしょ?」

 テーブルの端に置いてあった瓶を藍子がつまむ。

「何ですか、それ」

 藍子は答えを言わず、ラベルが見えるようにして侑希の目の前に置いた。それは海が最近ハマっているピーナッツバターだ。今日も昼ごはんとして、食パンに塗って食べた。

「ピーナッツバター好きなの?」

 侑希がわざわざ作業の手を止め、大きな瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐ。

 ちなみにこのピーナッツバターは、ピーナッツの粒が残っており、かつ濃厚な味わいをしていてすごく美味しい。数か月の単位で食べ続けている。

「美味しいんだよ」

「……否定してるわけじゃないけど、なんだか不思議な組み合わせだね」

「?」

 あまりオシャレではなく質素なラベル、大きく書かれた地域名、フォントに拘らないピーナッツバターの文字。

「ねぇ、わたしも食べたい。パンあるならちょうだい」

「えっ、いいけど、お昼食べてきたんじゃないの?」

「食べてきたけど?」

 それが何かと言いたげだ。侑希は痩せているけれど、とてもたくさん多く食べる。

「い、一枚でいい?」

 たくさん食べると言うなら、涼子へのお使いを追加しなければならない。

「もちろん。そんな一袋でも食べると思った?」

 笑って言うけれど、笑い事じゃない。

「先生は……食べないですよね?」

「そんな嫌そうな顔されたら食べません。ま、お腹空いてませんから」

「侑希ちゃん、焼くの? そのまま?」

 ゆっくりと立ち上がると、強めの冷房の風が顔に当たる。

「そのままで大丈夫だよ。ありがと、うみちゃん」

 以前、侑希が家に来た時のことを思い出す。あの時も美味しそうに食べていた。しかし、どうせ来ると分かっていたなら、侑希の好きな甘いものをいくつか用意しておいたのにと思う。

「はい、どうぞ」

 どうぞと言っても、食パンとバターナイフを乗せた皿を持ってきただけだ。食パンもどこでも売っている八枚切りのもの。これだって侑希が食べたいと言うことが分かっていれば、高い食パンを涼子に買わせに行かせただろう。

「わたし、あんまりピーナッツバター食べないかも。……中学の給食で食べたのが最後かなぁ」

 侑希は「いただきます」としっかり手を合わせてから、多めにピーナッツバターを塗った食パンを小さな口で豪快にかじる。

「えぇ!? 地元の人が食べないとか……なんてもったいない……。こんなに美味しいのに……」

 思わずピーナッツバターの瓶を抱きかかえてしまう。

「そんなに好きなの? たしかに美味しいけど……」

「私はジャムならマーマレードかしら」

「わたしはイチゴが多いですね。妹が大好きでいつでもストックあるし」

「地元なのに何で……」

「それは、だって、……青森の人がみんなしてリンゴを毎日食べるわけじゃないっていうのと同じじゃないかなぁ……」

 残念そうな目で侑希が見てくるが、ちゃっかりと食パンは完食している。

「……では、若宮さんのバイト代はピーナッツバターでよろしいかしら」

「百年分で」

「腐ってもいいなら」

 皮肉の言い合いは疲れる。

 このままでは埒があかないので、戦力の二人――正確には一人と魔女だが――には手を動かしてもらう。海もうるさく言われない程度に手を動かし、興味はないが藍子の原稿の内容にも目を通していた。藍子がどういった性格なのかについては詳しく知らない。このたった一年と数か月の姿しか見聞きしたことがない。涼子に言わせれば魔女らしい魔女とのこと。

 そんなよく知らない魔女に対して勝手なイメージを抱いてはいたので、中身は血みどろで趣味の悪い展開とばかり思っていた。しかし、実際には可愛らしい女の子が多く出てきて、バトルがあっても頭が吹っ飛ぶことはなかった。

――意外。

 彼女なら四肢を分断したり、生殺しの状態を好みそうなのに、なんて考える。

 もしかしたら、侑希に見せられる範囲だけ渡しているだけかもしれない。

「うみちゃん」

 そろそろおやつの徴求でもされるのかそわそわしていた時間、侑希が手を動かしたまま、

「この前段ボールを取りに行ったじゃない」

「行ったねー。侑希ちゃんがアイス買うの許してくれなかったやつね」

「そうそう。アイスはどうでもいいんだけど」

 段ボールも一つならともかく、たくさんを一度に運ぶのは大変だった。侑希と一緒に運んで帰ったが、途中でぶちまけてしまった。

「アキちゃんの手伝いも行ってくれてたんだってね。ありがとう」

「あー。そうそう。タイミング悪くね」

「あとサボりとか言ってごめんね」

 きちんとペンを置いて、身体まで海の方に向けてまで謝ることではない。侑希ほど働いていないのだから、サボりとあまり変わらない。

「気にしなくていいよ。私が勝手についていっただけだし」

「……でも、よくアキちゃんが同行許したね? 実は結構仲良しになった?」

「向こうは思ってないと思うよ」

 どこか軽蔑したような目。まずは制服をきちんと着ないことには距離は縮まらないだろう。

「アキちゃんはいい子だよ」

「悪い子じゃないのは分かってるよ」

 もしかしたら海たちが彼女を警戒していたことを、侑希は察していたのかもしれない。

 噂をすれば、玄関の方から音がした。

「ただいま帰りました。まったく、夕飯まで買わせて……」

 文句をたらたら言う涼子の手にはほとんど荷物が握られていない。海たちの夕飯は、

「お邪魔します……」

 少し疲れた顔をしている秋桜が両手に持っていた。海が言うことではないかもしれないが、「もう少し持ってやればいいのに」という状況で、小柄な彼女が可哀相だ。

「アキちゃん?」

 侑希も海の後ろから顔を出す。

「侑希いらっしゃい。カイはちゃんとお茶を出しました?」

「お邪魔してます、涼子ちゃん」

「出したよ。そんくらい出来るわ。それで、どうしてアキまでいるの?」

「いろいろと多い方がいいかと思いまして。きちんと彼女のご両親にもうちに泊まる許可は取りましたわ」

「え!?」

 なぜか秋桜が驚いて、シャツのボタンを廊下で緩め始めている涼子を見る。

「ちょ、会長、確かに夕飯をいただくという形でしたけど、泊まりなんて聞いてません!」

 話を聞くに、真面目な秋桜は夕飯を先輩の家で食べる連絡を両親にし、最後に涼子が電話を替わったらしい。そこで話が変わってしまったのだろう。

「校則で生徒同士の宿泊を伴う交友は禁止されています。どうして生徒会長が自ら校則を破りに行くんですか。もう少し会長としての自覚を持っていただかないと困ります」

「そんな堅苦しいことばかり言っていては、楽しい学生時代の思い出がつまらないものになりますわよ」

「涼子、脱いだシャツはカゴに入れて」

 スカートのフックにさえ廊下で手にかけていたので、ひとまず海は彼女を部屋に押し込む。侑希が苦笑しながら、後輩が持っている荷物を半分受け取り、

「まぁまぁアキちゃん。えーっとね、今日は美術部の合宿という形で瀬川先生も来てくれてるから。ね?」

 住人より住人らしくなった侑希が、飲み物や冷たいものを冷蔵庫へ詰めていく。

「……カイ先輩も会長も美術部員じゃないですし……。……合宿の申請用紙提出されていませんし……」

 瀬川のわざとらしい笑顔を見て、秋桜も諦めたようだ。

「でも私、騙されて連れてこられたので、一度着替えを取りに帰っていいですか」

 生真面目な秋桜は一度必需品を取りに帰った後、お菓子の差し入れまで持って戻ってきた……制服姿で。おそらく寝る時の格好も学校指定のジャージだろう。

「合宿という名目なんですよね、先輩方」

――どうせ乗ってくるなら、最後まで乗ればいいのに。真面目だなぁ。

 きっと彼女なりの照れ隠しなのだろうが、もう少し素直になった方が万人受けしそうだった。




◆美術部合宿(名目)


 非美術部員をさらに二名巻き込み、藍子の原稿は着々と進んだようだった。涼子と秋桜(主に後者)が持ってきてくれたピザや寿司を囲み、時刻は日付を跨ぐまで残り三十分というところ。いつも早く眠りについているのか、侑希は少し眠たそう。

 早く寝なさいと怒るかと思った秋桜は、結構元気で、最初は文句を繰り返していたくせに律儀に藍子の手伝いをしていた。本当にただの良い子だ。しかし、漫画やアニメに詳しくないらしく、いちいち藍子の触れてほしくないところを突き刺していたので、きっと次は呼ばれないだろう。

「先輩たちは後二か月したら修学旅行ですよね」

「もうそんな時期ですか……。文化祭に体育祭が終わったら、また忙しいんですのね……」

 涼子が嫌そうな顔をした。修学旅行も生徒会の管轄らしい。

――修学旅行委員とかないもんなー。そういえば体育祭委員もないけど……。

 体育の時に率先して動いている人間が数名いたことを思い出す。その人たちが体育会系の委員会にでも所属しているのだろう。

「うちは奈良と京都でしたっけ? お土産は八つ橋以外でお願いしますね」

 「沖縄の方がよかった」と涼子が愚痴をこぼす。

「十一月の頭だと紅葉は微妙かなー。うみちゃんもどこ行きたいか考えておいてね」

 班決めは体育祭以降決めるはずだが、侑希の中では一緒になることが大前提になっているようだ。

「いいなぁ……私も侑希先輩と京都行きたかったです」

 無視される奈良。

「アキちゃんが卒業する時、一緒に旅行でも行こうよ。ね、みんなで」

「そうですわね」

 涼子がさらっと出来もしないことを了承する。何度も高校生をこなしている貫禄だろうか。海は大小あれど罪悪感を覚えてしまう。長く行き過ぎた弊害か。

「せっかく年頃の女の子が集まっているのに、恋バナの一つもしないの?」

 一番貫禄があって、一番性格が悪いのが彼女だ。繁殖を必要としない魔女に恋愛感情などあるわけがなく、五名の内三名が確実に魔女である状況で聞く意味が分からない。

「侑希は好きな人います? ……って、流れに乗っただけですのに、そんな勢いよく睨まないでいただけますか?」

「あはは……うみちゃん、大丈夫だよ。うみちゃんの方が人気あるよ」

 自分の人気など気にしたことがない。嫌な誤解を受けた。

「カイ先輩は侑希先輩のこと大好きですもんね」

「え、何で。いや、好きだけど。えっどうして」

「誰だって見ていれば分かりますよ。いっつも侑希先輩の方見てますもんね」

 自覚はあったが、周りに気づかれるほどだとは思っていなかった。背中に汗を感じながら侑希の方を見るが、

「ね。もう気にならなくなっちゃった。わたしもうみちゃんの顔好きだからよく見てるよ。お互い様だね」

 お互い見ていても目が合うことはほとんどない。いつ見られているのだろうか。

「先生はちなみにどうなんですか。数学の大坪先生と仲良くしていると噂でお聞きしましたが」

 テーブルの下で侑希が表情を変えないまま、後輩の足を蹴った。いきなりの出来事に被害者と海だけがついていけない。

「ぇ……」

 特に秋桜の戸惑いが激しい。聖人侑希に実力行使されるとは思わなかったようだ。

「本当に生徒は先生同士の恋愛話が好きよねぇ……。私の恋人はこの中にしかいないのでご心配なく」

 空気を読んだ発言なのか、真面目に言っているのかは分からないが、原稿を指して笑顔を浮かべる藍子に秋桜は「気持ち悪い」と嫌な顔で返した。

 空気が重くなった絶妙なタイミングで、和ませるためではなく、おそらく天然のあくびが侑希の口から出てくる。

 秋桜も眼鏡を少しずらしながら目をこすっていた。

 気を利かせた涼子が「布団を敷いてきます」といつ用意したかも分からない敷布団を三つ、広いリビングの空いているスペースに並べていく。

「涼子ちゃんたちはどこで寝るの?」

「私たちは自室にベッドがありますので」

 明らかに侑希が不満そうな顔をする。

「侑希ちゃん、ベッドがいいなら私の使っていいよ」

「ベッドでも布団でもいいよ。せっかくお泊り会なのにみんなで寝ないの? 先生はベッドでいいけどね」

「じゃあ、涼子。布団もう一組出して。……先生はソファでいいですよね?」

「なぜ宮本さんには自身のベッドを提案したのに、私にはしてくれないのかしら?」

 自室に何もないと言えども、彼女を自分のテリトリーに極力近づけたくない。本能的に彼女を好きになれない。

 涼子は何かしら文句を言いつつ、ないはずの布団をどこからか出してきた。

「……よく布団が四組もありますね」

 もっともな意見だ。

「互いの両親用ですわ」

 両親もいなければ、布団だって先程まで存在していなかった。

「私のベッドでよければお貸ししますよ。藍子先生」

「いいわよ。どうせ先生は仲間外れなんだから、大人しくソファお借りします。その代わりワインを分けてくれない?」

「なにをおっしゃっているんですか。女子高校生の家にワインなんてあるわけないでしょう」

 涼子が藍子の相手をしている隙に、海たちは寝る支度を整える。海は歯磨きをさっと済ましてしまえばやることはない。秋桜は眼鏡を丁寧に拭いており、侑希も洗面所で長々と支度をしていた。

 挟まれて寝るのは落ち着かないと思い、海は藍子から離れた壁側に陣地を取った。

 そこから順に、侑希、秋桜、涼子の順で横になる。もちろん海の顔は壁側を向いている。あんな話をした後に、間近で見るのは恥ずかしかった。

 布団に潜ってから十分間くらいは侑希が秋桜に話を振り、眠たそうな声で秋桜が受け答えをしていた。しばらくして秋桜が眠りに落ち、涼子が侑希にも眠るように促す。

「うみちゃん、寝ちゃった?」

 秋桜に気遣ってか、すごく小さな声だった。

「今日はありがとう、おやすみ」

 隣の隣のそのまた隣くらいから溜め息が聞こえた気がした。

 海は誰かと肩を並べて眠るなんて、何百年ぶりだろうと考える。きっと次は修学旅行で同じようなシチュエーションになるのだろう。人間とそんな近くに寄るなんて、もう二度とないと思っていた。

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魔女の暇つぶし 汐 ユウ @u_ushio

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