第3話
ジェバードは大学在学中は一度もアンナの屋敷を訪れることはなかった。しかし手紙は季節が変わるごとに届いた。アンナは手紙が届く度に季節の始まりを感じるようになった。
そしてある年、ジェバードが大学を卒業したという知らせが届いた。彼はもう立派な青年で二十五歳になっていた。あの時の少年と出会ってもう十五年もの年月が経っていたことにアンナは改めて驚いた。そして彼は王都の研究所で働くことになったらしい。しかしその前に一度彼は屋敷に帰ると書かれていた。そして文字通り彼はアンナの元に帰ってきた。
「アンナ久しぶり……! 君はあまり変わらないね。僕はどう? 変わったかな」
久しぶりに会ったジェバードは饒舌だった。王都での生活は彼にとって刺激になっていたのは確かであった。
「そ、そうね。大人っぽくなったわね……あと、なんだか賢そう」
「はは、何それ。そりゃ働かずに勉強ばっかりしてたら賢くもなるよ。僕ももう二十五だからね、あと二年でアンナより歳上になるね」
「そんなのは見た目だけの話よ。こっちは二百年以上も生きてるおばあさんだっていうのに」
「なに言ってるんだ、こんなに可愛いおばあさんがそういるはずな……いや、なんでもない。というか、アンナってまだ僕のこと子供扱いするつもり?」
ジェバードは恨めしそうに目を細めてアンナに問うた。その顔がおかしくてアンナはクスクスと笑い、それを見たジェバードは小さく溜息をついたが、すぐにつられてアンナと一緒に笑った。二人は数年ぶりとは思えないほど打ち解けた雰囲気で、これまでと同じように話に花を咲かせた。
ジェバードは二週間も屋敷に滞在した。アンナはこんなに長い間ジェバードと過ごすのは初めてであったが不思議と居心地が良く、あっという間に日が過ぎてしまった。そしてジェバードが王都に戻る前日、彼は信じられないことを言った。
「実は僕、分かったんだ。呪いの解き方が」
アンナは驚いた。なぜなら、あの呪いの解く事は不可能に近いからだ。あれからアンナはたくさんの魔術書を読んだが、どれにも明確には解き方が記載されていなかった。
「僕の呪いもそうだけど……主にアンナにかけられた呪いの解き方がね」
「え……私にかけられた呪い?」
アンナは自分への呪いとは何か理解できなかった。そもそも自分を呪った覚えがない。しかしジェバードは冗談を言っている様子でもなかった。アンナはジェバードが忙しい学生期間の合間に黒魔術を学んでいたことを知っていたので、自分の言葉を飲み込み彼の話に耳を傾けた。
「ただ、……なんと言うか。僕の呪いは解ける見込みがないよ。だから僕はもういいんだ。それにもうとっくに失恋したから」
「……えっと、話が全く読めないわ。まず貴方にもう愛する人ができていたことに驚きだけど……いえ、貴方だってもう大人なのだから当然よね。ごめんなさい」
アンナはジェバードの発言に動揺した。しかし客観視すれば成人した青年が誰かを好きになることは普通のことであるし、その普通のことに対して他人であるアンナが動揺し聞きたくなかったと感じることはおかしなことであると思った。そして自分の呪いのせいで彼は失恋したのだと自責の念に駆られ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「うん、僕はいいんだ。きっと勝ち目はないし」
「……貴方の呪いは解けないけど、その相手の想い人を呪うことならできるわ」
諦めたように目を伏せたジェバードに、いても立ってもいられずアンナはそう言った。が、すぐに後悔した。この期に及んでまた誰かを呪おうだなんて軽蔑に値すると思ったからだ。
「僕はアンナにそんなことはして欲しくないよ。……というか無理だ。だって、相手の男はとっくに死んでるんだよ」
アンナは自分が不甲斐なかった。しかし、ジェバードはそんなアンナを責めようとはせず優しい口調でそう諭した。
王都で出会った未亡人にでも恋をしたのだろうか、アンナは少し想像して胸が苦しくなった。そして言葉に詰まり必然的に沈黙が訪れた。
「で、アンナにかかった呪いのことだけど」
沈黙を破ったのはジェバードだった。
「何のことか分からないって顔だね。アンナはシャルマ王を呪った時、代償を払ったね。歳を重ねられなくなった。それこそが君が受けてしまった呪いだよ」
「それが私の呪い……? 呪いではなく代償よ。これはもう戻らないわ」
「いいや、元に戻るよ。君は呪った代償として過ぎゆく時を払わなきゃいけなかった。でもそれはなぜだと思う? たくさんの魔術書を読んだけど、直接答えは書かれていなかった。でも僕が思うに、それは本人たちが気付かないと意味がないことだからなんだ」
「どういうこと?」
いつからこんなに難しいことを言うようになったのだろう、とアンナは彼を見据えた。
「アンナはシャルマを愛していた。だから君は愛の呪いをかけた。そして君の時が止まり、シャルマの時はそのまま進んだ。もしシャルマが君を愛していれば……同じ時を生き、一緒に土に還りたいと願ったはず。そう願った時、シャルマは愛する人に愛される。つまりアンナは元々シャルマを愛しているのだから……」
「シャルマが私を愛したら『愛する人が別の人を愛する』という呪いは無効になるってこと? そして私の時も進むっていうの? ……そんな、馬鹿げてるわ!」
「ああ、これはあくまで僕の仮説だ。だけど、ここに来て確信したんだ。アンナ、僕は再会した時君に『あまり変わらないね』って言ったけど、あれはちょっと嘘。少し変わったね。こんなこと今まで一度も思わなかったのに、久しぶりに会った君は少し歳を取ったように見える」
落ち着きながらも比較的強い口調でそう言われ、アンナはハッとして自分の頬を触った。
(私は歳を取ったのだろうか。分からない。毎日鏡を見ていてもそんな事思ったことがなかった)
「も、もしそうなら何故今? シャルマは私を愛してくれなかったし、私を置いてもうとっくの昔に死んだのよ」
「知ってる。でも一つ言えるのは……君が呪いをかけたのはシャルマだけじゃないってことだ」
静かにそう応えるジェバードの言葉を理解することに、数秒はかかった。
「……ジェバード、その言い方だとまるで貴方が私を愛しているみたいに聞こえるわよ」
アンナは自嘲しつつ冗談めかしく言った。しかしジェバードの表情は真剣だった。
「まさしくそうなのだけど」
冗談を言ったはずが、あっさりと両断されアンナは身体中が熱くなり顔面が火照った。
(な、何を言っているの?)
アンナはそうジェバードに瞳で訴えかけようとしたが、すぐに目を逸らされてしまった。
「……本当は王都へ行く前からだったと思う。そして会えない日々が続いてやっと自分の気持ちを自覚した。同時に呪いの仮説も立てたから君に次会う時はすべて伝えようと思っていたんだ。僕の仮説通りなら、どうやら君の呪いは両思いでなくても解けるみたいだね」
そう言い徐々に早口になるジェバードを見て、アンナは開いた口が塞がらなかった。
そしてジェバードは一息つくと再度アンナに向き直り、口を開いた。
「アンナ……君が誰を見ていても、僕は君が好きだよ。僕は君と一緒に歳を取れるだけで満足だから」
ジェバードはそう言って笑った。しかし、笑っているのに今にも泣きそうな顔にも見えた。アンナは動揺した。しかし嫌な気持ちは全くしなかった。そして同時に、自分に芽生えていた気持ちに気付き驚いた。
本当はずっと前から気付いていたのかもしれない。あんなに執着していたシャルマの存在がいつからか、ちっぽけな存在になっていたことに。そしてその反面、ジェバードが幸せであることを望んでいたことに。ずっと蓋をしていたこの感情の名は、母性や同情心ではなかったのだ。
(私も、ジェバードを愛していたのだわ)
そう、アンナは気付かないうちに、いつからかジェバードのことを愛していたのだった。
「ふふ、ははは」
アンナは急に小さく笑い声をあげた。ジェバードはその声にビクリと肩を揺らした。自分が勝手なことを言ったので怒らせたのかもしれないと彼は推測し焦っていた。
「ごめん。さっきのは忘れて……いや、忘れられては困るけど、えっと……そう、深く考えなくていい、だって君はシャルマのことが」
「呪いならもう解けているわ」
ジェバードが言い終わる前に、アンナはそう言い放った。その顔は晴れやかだった。
「アンナ……?」
アンナは不思議そうに自分を見下ろすジェバードに近づき、ゆっくりと唇を重ねた。ジェバードは突然のことに蹌踉めき、倒れてしまいそうになったがなんとか耐えていた。頭が混乱していたがアンナから微かに香る花の匂いに心を落ち着かせた。そして、冷静になって先程のアンナの言葉を思い返した。そう、もう
辺境の魔女は死んだ。と人々は、あの廃れた地に佇む無人の廃墟を見て口々にそう言った。
そしてある国では平民出身の学者が疫病を消滅させ、国を救った。彼はその後王都に小さな屋敷を建て、愛する妻と共に幸せに暮らした。彼の妻は至って平凡な女性であったが、彼にとってはかけがえのない愛する人であった。
fin.
捨てられた魔女と、呪われた王子の末裔 つきかげみちる @tukikagemichi
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