第2話

 

 そしてジェバードは言葉の通り、次の年もアンナの屋敷を訪ねた。


「去年言っていたシャルマとは、旧王国のシャルマ王のことですね。あまりいい国王ではなかったようですが」


「あら、どうやって調べたの?」


 アンナは去年何気なしに言ったあの一言を、ジェバードがきちんと調べてくるとは思わず驚いた。


「……お客さんに歴史学者の人がいたから聞きました。一体シャルマ王に何の関係があるのですか」


「ふふふ、やるわね。そうよ。でもそれ以上は言いたくないわ」


 アンナがそうはぐらかすと、ジェバードは悔しそうに唇を噛み締めた。そして黙ってスープを飲み干すと「来年も来る」と言った。アンナの口角は自然と上がっていた。




 それから、ジェバードは毎年秋の始まりになるとアンナの元を訪れた。三年目には声変わりをし、五年目にはアンナの背を抜かした。成長に伴いジェバードは年々少年らしさが消えていき、そして懐かしい青年――シャルマの容姿に近づいていった。


「シャルマ王には十五人の愛人がいたらしいね」


「また歴史学者の情報かしら」


「いや、本で読んだ」


「まあ、ついに字が読めるようになったのね」


「奉公先のお坊ちゃんに教えてもらったんだ。書くのはまだ下手だけど」


「あらそう。じゃあアンナって書いてみてくださいな」


「嫌だよ、下手だって言っただろ」


 年々アンナとジェバードは親しくなっていった。お互い身寄りのないもの同士だからこそ、意図せずにそうなってしまったことは少々複雑ではあった。

 片や裏切った男の末裔、片や自分の一族を呪った魔女。それなのに、一年に一度の休みに一緒に食事をする事が当たり前になってしまっていた。呪いを解くという目的のためだと言えばそれまでであるが、傍から見れば完全に仲の良い姉弟のような関係になっていたのである。




「アンナってさ、なんで歳を取らないの?」


 それはジェバードが年々不思議に思っていたことであった。自分ばかりが成長するのに、アンナは出会った時のままなのである。最初は若く見えるだけかと思ったが、年々その違和感に気付かされた。五年前にジェバードはアンナに年齢を聞いた。その時アンナは二十六歳と自称していたが、そうであればシャルマ王はともかく自分の父や祖父にさえも呪いをかけることはできなかったはずだ、と彼は矛盾を感じていた。そして去年も同じく年齢を聞くとアンナは迷わず二十六歳だと自称したのである。それは冗談にしては自然すぎた。


「ふふ……そんな怖い顔で見ないで。ジェバードは信じるかしら? 私が、二百年以上も前からずっと今のままだなんて」


「……なるほど。そういうことか」


 ジェバードは特に驚かなかった。そして目の前の魔女は、自分の祖先を呪い、それから歳を取っていないのだと悟った。本来ならありえないことだが、彼女の容姿や言動からもはや疑う要素の方が少ないぐらいであった。


 真相に近づいたジェバードは、ある年から呪いの話題を出さなくなった。アンナは不思議に思ったが、こちらから言うことでもないので放っておいた。

 そしてジェバードが成人を迎え奉公先でも重役を担うようになってきた矢先、彼は王都にある大学に進学することになった。彼は十分な教育を受けていないにもかかわらず、ほぼ独学で読み書きができるようになり、博識でもあったため常連の学者が大学へ推薦してくれたのである。


「よかったわね。まさか貴方が進学するなんて、出会ったあの時は微塵も思わなかったけれど、今となっては納得の結果だわ」


「……ありがとう」


 ジェバードは小声でそう言った。アンナがいなければ、自分は字が読めないからと最初からすべて諦めていたはずだった。呪いを解きたいという目的のためではあったが、結果的に進学が叶ったのはアンナのおかげだとジェバードは感じていた。

 そしてジェバードには一つの不安があった。それは次いつアンナに会えるのかが分からなくなってしまうことであった。ジェバードにとってそれは不思議な感覚だった。


(……どうして離れるのがこんなに寂しく感じるのだろう。アンナは僕の母親でも姉でも、ましてや恋人でもないのに)


 そしてアンナも同じく自分のおかしな感情に気付いていた。それはどうしようもない喪失感であった。ここ数年、アンナは年に一度の彼の訪れを楽しみにしていたのだった。最初こそジェバードを試すようなことを言い心の中で面白がっていたが、今となってはかつての平凡な貴族令嬢にその時だけは戻っていた。冷静になってみれば、それこそがおかしかったのだとアンナは思った。


(今までの私に戻るだけ……魔女に戻るだけよ)


 アンナは覚悟していた。ジェバードが王都へ行ってしまえはもうこの辺境の地には戻ってこないだろうと。結局呪いは解けなかったが、愛がなくても結婚はできるし家庭は築ける。それに王都の大学を出れば今の何十倍もお金を稼げるのだから彼はもう不幸にはならないだろう。なって欲しくないとアンナは思った。

 

(情が移り過ぎたわ……私がそんなことを願う資格なんてないのに)


 アンナはジェバードが屋敷を去った後、ひっそりと涙を流した。




 ジェバードは王都で忙しい生活に追われていた。大学の学友はほとんどが歳下の貴族達で奉公出の平民はジェバード以外はいなかった。そして大学ではきちんと休暇があったが、限られた休暇中に馬車で片道七日もかかる辺境の地に行くことは物理的に不可能であった。ジェバードはその鬱憤を読書に費やした。休みの日は一日中図書館に篭った。そしてついに黒魔術の本を読むようになった。学友達には気味が悪いと笑われたがどうでもよかった。アンナに近づけた気がして嬉しくなり、彼は本の内容を夢中で頭に入れた。


 そしてアンナの元には王都から手紙が届くようになった。ジェバードからであった。数年前に字が下手だと言っていたのが謙遜だったのかと思うほど彼は達筆であった。内容は当たり障りないことだが、ジェバードの日常が手に取るように分かりアンナは自然と笑みが溢れた。


 そしてふと思った。シャルマの字はかなり下手だった。恋人であった時何度も手紙のやり取りをしたが、乱雑な字の解読は簡単ではなかった。十分な教育を受けているはずなのに怠惰な性格がその教育を生かしきれていなかったのだ。アンナはあの字を思い出すと、ジェバードは幼少期に教育を受けていないとは思えない程の均整で読みやすい字だと思った。そしてそれは彼自身の努力の賜物だと思った。ジェバードは年々シャルマに顔が似てくるのに、中身は全然違っていた。そのせいで全く憎いとも思わなかった。むしろ……。アンナはそこまで考えて、思考を停止した。


(……そんなことより返事を書きましょう)


 

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